菅内閣は来週にも総辞職する。与野党双方から辞めろと迫られ,メディアでは「史上最悪」とも罵られた菅直人氏。確かに傑出したリーダーという印象はないが,この政権の震災や原発事故への対応が他にあり得ただろう政権に比してどれだけ酷かったかは,冷静に分析される必要がある。
そうした作業は優れた政治学者やジャーナリストに期待するとして,ここではそもそも菅氏は何をしたかったのかを考えてみたい。その手掛かりとなるのは現在でも本屋に並んでいる菅氏の著書『大臣』である。それを読めば,彼が本当に目指していたことが分かるかもしれない・・・
本書の初版が書かれたのは1998年。民主党が創立された年である。自社さ連立の橋本内閣で厚生大臣を務め,薬害エイズ事件を処理した経験をもとに,官僚組織の隠蔽体質を内閣あるいは国務大臣の「政治主導」によりどう打破するかが語られている。増補版は2009年の政権交代直後に出版された。
本書の基本的主張は「脱官僚依存」「政治主導」というキーワードに尽きる。そのための具体的施策として,民主党は政権獲得後すぐに事務次官会議を廃止し,副大臣や政務官を増員して省庁に与党議員を送り込んだ。これはまさに本書で主張され,かつ民主党のマニフェストに掲げられたことだ。
しかし,菅氏および民主党が主張する政治主導にはもう1つ柱があった。菅氏自身が最初に担当大臣となった「国家戦略局の設立」である。しかし,それはかなり早い時期に棚上げされた。省庁への政治家の関わり方は変化したが,省の壁を越える国家戦略の遂行は実現しなかったことになる。
なぜそうなったのか。国家戦略局のような組織を作ることへの官僚の抵抗があまりにも大きく,それに屈服したのか。それとも,前例のない組織を作る力がこの政権にはなかったのか。あるいは,そうした組織を作ることへの優先順位が,何らかの政治的な理由で低下させられたのか。
1つの答えが,「経産省の現役官僚」古賀茂明氏の著書に書かれてある。古賀氏によれば,民主党政権は公務員人事制度改革で早々と後退するが,これは予算を通すことを最優先として財務省に妥協した結果だという。国家戦略局構想も,そうした流れのなかで霧散してしまったのか・・・。
ただ,もしかすると別の理由があったのかもしれない。いささか皮肉めくが,菅氏を始めとする民主党の中枢が,そもそも国家戦略局という組織で遂行しなくてはならない何らかの戦略を,自分たちが持ち合わせていないことに気づいた,という可能性だ。だったら,組織の設立も必要ない。
菅氏の『大臣』を読むと,制度論はかなり詳しく議論されているものの,その制度を使って何を実現するのかという部分が希薄である。菅氏が消費性向と乗数効果の関係を答えられなかったことはともかく,国土や産業の将来ビジョンがないとしたら,国家戦略を描くことなどできるはずがない。
一方,国家戦略などそもそも不要という考え方もあり得る。菅氏のいう「最小不幸社会」という考え方はベーシックインカムの発想と似ている。セーフティネットだけ張ってあとは自由にさせる,新自由主義的思想に立つならば,産業や経済の国家戦略などありがた迷惑な存在だ。
だが,大震災と原発事故が状況を一変させた。東北の復興や放射能汚染への対応,それらを支える日本経済自体の再興を考えると,省庁を越えた「国家戦略」という次元の発想が必要となる。あるいは政府による規制緩和を求めるにしても,政府のイニシャティブが欠かせない。
ポスト菅の政治家たちは,どのような「国家戦略」を思い描いているのだろうか。
そうした作業は優れた政治学者やジャーナリストに期待するとして,ここではそもそも菅氏は何をしたかったのかを考えてみたい。その手掛かりとなるのは現在でも本屋に並んでいる菅氏の著書『大臣』である。それを読めば,彼が本当に目指していたことが分かるかもしれない・・・
大臣 増補版 (岩波新書) | |
菅直人 | |
岩波書店 |
本書の初版が書かれたのは1998年。民主党が創立された年である。自社さ連立の橋本内閣で厚生大臣を務め,薬害エイズ事件を処理した経験をもとに,官僚組織の隠蔽体質を内閣あるいは国務大臣の「政治主導」によりどう打破するかが語られている。増補版は2009年の政権交代直後に出版された。
本書の基本的主張は「脱官僚依存」「政治主導」というキーワードに尽きる。そのための具体的施策として,民主党は政権獲得後すぐに事務次官会議を廃止し,副大臣や政務官を増員して省庁に与党議員を送り込んだ。これはまさに本書で主張され,かつ民主党のマニフェストに掲げられたことだ。
しかし,菅氏および民主党が主張する政治主導にはもう1つ柱があった。菅氏自身が最初に担当大臣となった「国家戦略局の設立」である。しかし,それはかなり早い時期に棚上げされた。省庁への政治家の関わり方は変化したが,省の壁を越える国家戦略の遂行は実現しなかったことになる。
なぜそうなったのか。国家戦略局のような組織を作ることへの官僚の抵抗があまりにも大きく,それに屈服したのか。それとも,前例のない組織を作る力がこの政権にはなかったのか。あるいは,そうした組織を作ることへの優先順位が,何らかの政治的な理由で低下させられたのか。
1つの答えが,「経産省の現役官僚」古賀茂明氏の著書に書かれてある。古賀氏によれば,民主党政権は公務員人事制度改革で早々と後退するが,これは予算を通すことを最優先として財務省に妥協した結果だという。国家戦略局構想も,そうした流れのなかで霧散してしまったのか・・・。
日本中枢の崩壊 | |
古賀茂明 | |
講談社 |
ただ,もしかすると別の理由があったのかもしれない。いささか皮肉めくが,菅氏を始めとする民主党の中枢が,そもそも国家戦略局という組織で遂行しなくてはならない何らかの戦略を,自分たちが持ち合わせていないことに気づいた,という可能性だ。だったら,組織の設立も必要ない。
菅氏の『大臣』を読むと,制度論はかなり詳しく議論されているものの,その制度を使って何を実現するのかという部分が希薄である。菅氏が消費性向と乗数効果の関係を答えられなかったことはともかく,国土や産業の将来ビジョンがないとしたら,国家戦略を描くことなどできるはずがない。
一方,国家戦略などそもそも不要という考え方もあり得る。菅氏のいう「最小不幸社会」という考え方はベーシックインカムの発想と似ている。セーフティネットだけ張ってあとは自由にさせる,新自由主義的思想に立つならば,産業や経済の国家戦略などありがた迷惑な存在だ。
だが,大震災と原発事故が状況を一変させた。東北の復興や放射能汚染への対応,それらを支える日本経済自体の再興を考えると,省庁を越えた「国家戦略」という次元の発想が必要となる。あるいは政府による規制緩和を求めるにしても,政府のイニシャティブが欠かせない。
ポスト菅の政治家たちは,どのような「国家戦略」を思い描いているのだろうか。