行政改革などを主なテーマに活動してきたジャーナリスト,若林亜紀氏は昨年の参院選の比例代表区に,みんなの党から立候補した。結果は落選であったが,本書はその顛末を報告したものである。前半は彼女が立候補するにいたる経緯を,後半は選挙戦に突入してからの出来事を描いている。
ぼくにとって断然面白かったのは選挙が始まってからのエピソードだ。比例代表区なので,小選挙区のドブ板選挙とはおそらく様相が違うが,選挙カーで名前を連呼し,人通りの多い駅前などで演説し,ビラを配り,道行く人々に握手してお願いする・・・といった点はそう変わらないと思われる。
このような「日本的選挙」は正直バカバカしく見える。だが,現実に選挙戦を戦ううえで,上述のような戦術は効果的であるようだ。公職選挙法におかしな点が多いのは事実で,インターネットの利用が広く認められないと,十分な地盤,看板,鞄を持たない候補が当選することはなかなか難しい。
とはいえ政策の主張が全く無意味なわけではないのは,若林氏が演説で,ライフワークである公務員や特殊法人の問題点について話すと反応がいいことに示されている。ただし,それは相手とその置かれた状況次第による。このあたりは,マーケティング・コミュニケーションにも通じる話である。
選挙で落選した人の多くが,その後「選挙うつ」になるという。疲労感,挫折感,後悔,嫉妬・・・様々な感情が襲ってくるようである。だが,少なからぬ落選者が状況さえ許せば再び立候補を目指すのは,選挙運動期間中に何らかの強い快感を得たからに違いない。同じことは運動員にもあるようだ。
それは,カルトの布教活動にも存在すると思われる。教祖の教えに共鳴するという面以上に,集団で1つの目標のため熱狂的に運動することには他では得られない快感があると想像される。それを自分も味わいたいとは思わない。クセになってしまい,そこから抜け出せなくなることが怖いからである。
体験ルポ 国会議員に立候補する (文春新書) | |
若林亜紀 | |
文藝春秋 |
ぼくにとって断然面白かったのは選挙が始まってからのエピソードだ。比例代表区なので,小選挙区のドブ板選挙とはおそらく様相が違うが,選挙カーで名前を連呼し,人通りの多い駅前などで演説し,ビラを配り,道行く人々に握手してお願いする・・・といった点はそう変わらないと思われる。
このような「日本的選挙」は正直バカバカしく見える。だが,現実に選挙戦を戦ううえで,上述のような戦術は効果的であるようだ。公職選挙法におかしな点が多いのは事実で,インターネットの利用が広く認められないと,十分な地盤,看板,鞄を持たない候補が当選することはなかなか難しい。
とはいえ政策の主張が全く無意味なわけではないのは,若林氏が演説で,ライフワークである公務員や特殊法人の問題点について話すと反応がいいことに示されている。ただし,それは相手とその置かれた状況次第による。このあたりは,マーケティング・コミュニケーションにも通じる話である。
選挙で落選した人の多くが,その後「選挙うつ」になるという。疲労感,挫折感,後悔,嫉妬・・・様々な感情が襲ってくるようである。だが,少なからぬ落選者が状況さえ許せば再び立候補を目指すのは,選挙運動期間中に何らかの強い快感を得たからに違いない。同じことは運動員にもあるようだ。
それは,カルトの布教活動にも存在すると思われる。教祖の教えに共鳴するという面以上に,集団で1つの目標のため熱狂的に運動することには他では得られない快感があると想像される。それを自分も味わいたいとは思わない。クセになってしまい,そこから抜け出せなくなることが怖いからである。