HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

ドキュメンタリー頭脳警察

2010-08-09 19:48:41 | 日本のロック・ポップス
5時間を超える3部作として映画上映された時は、「全て独立しているのでどこから見てもいい」
ということが言われていたように記憶するが、順不同で3部を見て脳内で調整するよりも
やはりこれは1部から順番に見た方がいい。ドキュメンタリーとはそういうものだ。

タイトルに「頭脳警察」とあるが、今回のドキュメンタリーは「頭脳警察」以外の活動を
多く撮影している。2006年からの撮影はPANTAやTOSHIのプライベートや、それぞれの独立した
音楽活動を捉えている。それらが2008年の頭脳警察再結成に繋がるまでの紆余曲折を
見事に捉えていて、一度や二度見ただけで棚に仕舞い込むのは勿体ない数多くの「瞬間」を
鋭く切り取っている。

それにしても、PANTAはあそこまでカメラが入ってくるのをよく許したものだ。それは自身の
母親の葬儀の撮影に対してそう思ったのだが、第Ⅰ部でのあのシーンがあればこそ、第Ⅱ部での
氷川丸の乗員を訪ね歩くシーンのリアリティが胸を打つ。例えは間違っているかもしれないが
質感こそ違うが映画「ゆきゆきて○軍」が描いたリアリティと同じものを私は感じた。
第Ⅱ部を見た後、かつて2度ほど聴いて仕舞い込んでしまった「オリーブの樹の下で」を
もう一度聴きなおそうと思ったのは言うまでもない。

ただ、今回の頭脳警察再結成のいきさつは、複雑だ。PANTAが半ば恒久的なバンドとして
位置付けたかった「陽炎」の知名度をあげるためという理由はどうなのだろう。
「陽炎」としてツアーに出たのに、地方に行けば「頭脳警察」と書かれていたのを見た
メンバーのとまどいや、「これから頭脳警察として活動する」と言われた時の困惑した様が
映画を見た者に残す印象は一体どんなものなのだろう。

再結成の理由が理由だけに、今後の「頭脳警察」には簡単な落とし所は見つからない。
そう簡単に自爆はできないだろう。ただ、それが当たり前なのだ。
ハナから終焉を見据えてメンバーを集めて、バンドを組むなんて普通は考えられない。
ならば、老いさらばえようとも「頭脳警察」でしか出来ない歌があるのだから、もうずっと
存在して欲しいと思う。逆に言えば「頭脳警察」では出来ない歌もあるのだから。
バックが「陽炎」である必然の有無は時間と共に変わってくるだろうが、「頭脳警察」と
「陽炎」の存続は可能であることは了解しなければならないし、そうあって欲しい。

聞かせて新しい歌を 教えてつくり方を
飾らないで 自然なままで
間違いだらけの歌を

清濁合わせ飲む度量が試される映画である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする