HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

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灰野敬二 / わたしだけ?

2010-08-27 09:59:08 | 日本のロック・ポップス
灰野敬二の名前というかロスト・アラーフの名前を知ったのは、71年8月の三里塚での
ドキュメンタリー・レコード「幻野」を聴いてからである。目当ては単純に頭脳警察だったが
ZKはさておき、ここに収録された定型のロックに居心地の悪さを覚え、アルバムの最後に
収録されたロスト・アラーフの演奏に、混乱した収録現場に相応しい雰囲気というか、
強力な音の磁場のようなものを感じた。ただし、それは私が日常聴く音楽全てに当てはまる
のではなく、このアルバムを通して聴いて感じたことである。

しばらく、そんなことは忘れていたのだが裸のラリーズを熱心に聴きだした頃、改めて
灰野敬二を聴いてみようと思い、何枚かアルバムを集めライブを録音したテープも集めた。
自身のソロ、バンド「不失者」を始めとする様々な名義での演奏を聴き、へとへとに
疲れ果ててしまった。同じ演奏をしない故に(できないとは、決して言わない筈だ)
全ての音源は貴重なはずだが、それは共有する部分の少なさを意味することもあり、
聴き手は体力を試される。

結果、私は集めたほぼ全てのライブ・テープを破棄し、アルバムも何枚かを残し(それでも
10枚ほどは手元にある)処分した。悪しき取捨選択は古い物ほど有り難がる傾向を残し
また、ロックのフォーマットに近い演奏を収録した物を残す結果になった。

掲載写真は灰野敬二が81年に出した「わたしだけ?」。声もギターの音も神がかり的というか
これは音楽というより、シャーマニズムというべきかもしれない。
耳馴染みのいい音は一つも無い。アルバムを聴いている間、もう何回も聴いていると言うのに
便宜上タイトルがつけられ、トラック分けされた13の音の塊を「曲」と呼んでいいのか
考える瞬間というのが、フラッシュバックのように訪れる。
「うまくできない、自分のまねが」という歌詞に、とっくの昔に灰野は全てを悟っているのでは
と想うとゾッとする瞬間も必ずある。
そして、その「想い」は最後の「捧げる」で聴ける30分近いノイズに打ち砕かれる。

私は単純な古いロックを愛し、それはずっと変わらないだろう。
だが、このアルバムは自分を律する戒めとして所持し続け、これからも折につけ
聴いていくつもりだ。

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