HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

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追憶のブートレグ61・ACT48 / TELEVISION

2008-12-01 21:52:57 | ROCK
ブライアン・イーノのプロデュースで世に出た作品の中で忘れては
ならないアルバムに「NO NEW YORK」がある。78年に発売された
このアルバムには当時のニューヨークの、パンクと大雑把に括られるバンド群の
中でどちらかというとアンダーグラウンドな存在だった4つのバンドの音が
刻まれている。そのいずれもがカタログに載るような解りやすいパンクでなく
剥き出しの粗野な音を叩きつけてくるのが、後追いの私には衝撃だったと同時に
「一体イーノはここで何をしたのだろう?」という疑問が頭をもたげてきた。

プロデューサーという肩書きは人によってどこまでの仕事を指すのか、
全く違ってくると思う。アレンジに口を出したり、音響的なことを
整えたり、はたまた金の工面に奔走したり。
この場合のイーノは各バンドの音作りに口出ししたとは思えない。
単純にイーノの目で見て、面白いと映った4つのバンドを紹介する機会を
設けたというのに過ぎないのではないだろうか。
あのアンディ・ウォーホールがV.U.の最初のアルバムで果たしたのと同じ
ような感じに思えるのだ。

掲載写真は74年にテレビジョンが、イーノのプロデュースでレコーディング
したと言われるスタジオ録音6曲を含むブートレグ。
このスタジオ録音が最初に世に出たのは、これとは違うブートレグだが
ジャケットの良さと音質の大幅な改善が、このブートレグをファンの中で
最重要ブートレグとして認知させている。
リチャード・ヘルを含む時代のこの録音において、果たしてイーノは
バンドの音作りに口出しをしたのかどうかが興味がある。
何の根拠も無いのだが、私の考えは「口出しした。」である。
世に出た完成版に比べてアレンジがポップで曲のテンポが早いこと等を
鑑みると、イーノはグラム・ロックのイメージを幾分抱いていたのでは
ないかと思うのだ。勿論バンド側はそんなことを思っていないだろうから
このセッションが物別れに終わっても不思議ではない。

テレビジョンはこのセッションを踏まえて、メンバー・チェンジが吉と
出たこともあろうが、曲のアレンジをストイックなまでに磨き上げ
私たちが耳にすることが出来る、あの傑作1STを世に送り出した。
イーノもあれから4年経ったというのもあるが、当時は意識しなかったであろう
「パンク」という言葉の意味と、バンドの自由にさせたほうがいいケースが
あるということを「NO NEW YORK」で体現した。
そんなふうに考えれば、このブートレグに刻まれたセッションは両者にとって
貴重な体験であったということができる。まあ全ては私の勝手な思い込みに
過ぎないがロックの浪漫というのはそういうものだ。

コメント (9)
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