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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

どうなってるの

2009-01-20 21:56:38 | 日記
以前書いたことなのだが、同じ部署のパートタイマーの中に正社員になりたい人が2人いて、そのうちの1人は私だったが、もう1人の人のほうが勤務年数も長くパソコンのスキルもあるため、その人が正社員になるという前提で仕事をすることになった。

ところが、不思議なことに、この1月からフルタイムで働くのではなく、相変わらず週4日の勤務を続けている。
話によると、正社員としての仕事が本当にできるかどうかを試す期間を設け、そこでやってみて結論を出すのだそうだが、もしその結論が「正社員にならない」ということであった場合、この3ヶ月フルタイムで働くと、夫の扶養圏内を超えてしまうことになるから、それを考えて今までどおりの時間帯で働くのだそうだ。

これって、いったいどうなんだろう。本当にやる気があるのかな~と思ってしまう。
普通だったら、「正社員になる」という前提ならば、まずはフルタイムで試用期間を過ごすのが筋ではないだろうか。
正社員としての仕事を今までの仕事に追加するわけだが、今までと同じ時間帯しか働かないのだったら、追加のしようがない。もし追加したら仕事があふれ出るわけだから、今までの仕事はやりきれなくなるはずである。
これでは、新しい仕事内容を加算して、実際的にどのような時間配分になるのかとか、フルタイムで働いて本当にやっていけるのかとかいうことがわからないのではないだろうか。
これは、最初から扶養圏内を守ることを前提としているとしか思えないのである。

しかも、私はエクセルなどのパソコンのスキルが正社員の仕事として使い物になるほどではないと思ったので遠慮したという経緯があるのだが、その人が新しく表計算などの仕事をしている様子を見ると、エクセルの説明書を開いてやっているではないか。
説明見ながらだったら私だってできるじゃないかと思ってしまうのである。

何か腑に落ちないなあ。
やるならやるで、もっとバリバリ働いてくれよ!
こっちは働きたくても、不完全燃焼なんだ。
一酸化炭素中毒になっちゃうよ。
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不動産屋かけもち

2009-01-20 21:23:23 | 日記

物件探しで3つの不動産をかけもちで探していたら、大変なことになりました。
まず、Aの不動産屋さんは、今まで上の子で2回物件を紹介してもらい契約をしているところであり、もう4年くらいの付き合いになります。そこの営業マンさんは、とてもてきぱきとしていて動きが早く、気に入っている不動産屋さんです。
しかし、今回は2週続けて複数の物件の現地案内をしてもらったものの、残念ながら、これはという決定的な物件がなかなかみつからないので、次の週はふと他の不動産屋に行ってみました。
外に出ている物件紹介の広告を見て、これはというものをみつけてBの店に入っていったら、なんとそれは広告を出している店とは別の不動産屋さんでした。
つまり不動産屋が並んでいて、目をつけた広告はお隣のお店のものだったのです。
入ってしまったので、そのまま似たような物件を探してもらい、見学の手はずを整えたあと、隣の広告の不動産屋Cに入ると、広告の物件はもうないとのことでしたが、別の物件をいくつか紹介してくれました。
こっちは、後ほどあらためて連絡を取ることにして店を出ました。いくらなんでも同じ日に見学というわけにはいかないでしょう。ダブルブッキングになってしまいます。

そして、週末になり、Bの不動産屋の物件を見ると、そのうちのひとつが場所・間取り・日当たりなど総合してなかなかいいものだったので、ほぼそれに決めることにしました。
そこで、さて、AとCの不動産屋さんに断わりの内容を伝えなければということになりました。
Aの営業マンさんは、Bの見学に行く前の日にも、今度の週末は何時ころ来店するかと電話をくれたりしていたので、だまってどろんするわけに行かないし、よく駅前でばったり出くわしたりするし、それに本当に感じがよくてサービスの良い人なので、なんとか申し開きをしなければいけません。本当に申しわけない状況です。だまっていたらまだ物件を探し続けてくれているかもしれないので、とにかく本当のことを伝えなくちゃいけないなあと思いました。

また、Cの不動産屋さんは、現地を案内してもらったわけではありませんが、やはりいろいろ探してくれて、こちらの都合が決まり次第見学の日を電話で伝えることになっていました。何枚かの物件のコピーをあとでよく見たら結構悪くはない物件だったので、こっちも悪かったなと思いました。

まず、Cのほうに電話をすると担当の人が休みだったため、同じ店の人に伝言を頼んでおきました。それから、Aの不動産屋さんにも電話をして、別の店で決まった旨をわびると、かまいませんよ~と気持ちのよい返事をしてくれました。
本当にすみません、また住み替える時にお願いします、と言って電話を切りました。

結局のところ、どの人がサービスがいいとかいうことではなく、やはり物件本位で決めることになります。それは仕方がありません。

いろいろかけもちすると、このように複雑な状況が生まれてしまいますが、多くの情報の中から良い物件を探すためには仕方がありません。
とりあえず、複数の不動産屋さんとのやりとりはこれで整理できたので、縁あって決まった物件の契約手続きを進めることになります。



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順番

2009-01-20 00:42:43 | 日記
朝出勤すると木村さんと中居さん(仮名、以下すべて仮名)の文書が2件机の上に載っていた。
こういうときは、どっちが先に出されたのかわからないので、どちらが緊急を要するものかで判断する。そこで、期限日に余裕のある中居さん(中堅)のではなく、期限日が不明である木村さん(ベテラン)の書類に手をつけた。

木村さんのをやっていると、草さん(ベテランおじさん)と稲垣さん(几帳面なベテラン)が書類を持ってきた。稲垣さんのは明後日の午前でいいそうである。草さんのは提出前なので、手早くちょっと点検してくださいというものものだった。だから草さんのを早めにやろうと思っていた。

そうしたら、今度は香取さん(新人)が、今日提出するので急いでできますか、と言って書類を持ってきたので、1番に手をつけた木村さんのが終わったあとに、香取さんのをやった。

香取さんの席に書類を届けた後、ちょっとしたら、中居さんがやってきた。
「私の書類来てませんか?」という。
中居さんの書類は朝から机の上にあったものだ。
「ありますよ」と平然と言うと、「今日中にお願いできますか」というので、
あれっ急ぎだったの?と意外に思いつつ、まあ、ちょうど区切りがついたところだからと思って「じゃ、今からやりますから」と平然と答えて、中居さんの書類にとりかかった。

草さんのも早くやったほうがよさそうだったけど、ま、仕方がないな。
中居さんの書類は表紙に記載された期限にはまだ余裕があるが、書類を開くと、中の書類の提出日の欄に、すでに本日の日付が入れてあるのだった。

これゃあ、中居さんにしてみれば腑に落ちないだろうな、と思った。
なぜならば、中居さん(中堅)はおそらく先週の金曜の夜、この書類を私の机の上に置いたのだ。しかし、2番目に私がやった書類は最後に持ってきた香取さん(新人)のものである。香取さんは中居さんの隣の席で、中居さんは香取さんが今日の昼頃に私のところに書類を持って行ったのも知っているし、出来上がった書類を私が香取さんのところに持って行ったのも知っているに違いない。どうして先に出した僕のがまだなのか!と思ったはずだ。

それで、早くやってくださいよ、ということを言うためにやってきたわけだ。中居さんの気持ちはよくわかる。

この仕事をしていると、順番には気を遣うが、いつも適切な順番にできるとは限らない。
書類を引き受けるときに「今日中にお願いします」「急ぎでできますか?」などと言われると、結局そっちを優先してやることになる。一方、黙って置いてあったものは、そういう緊急性をじかに感じることができないので、後まわしにしてしまうことが多い。

書類を置いていく人は、その時点では他の書類もなく、順番でいったらすぐにとりかかってもらえるはずなので、わざわざ急いでくれというメモ書きなどはつけないことが多い。
しかし、その後、次々と書類が増えていくので、緊急性によって順番が入れ替わっていってしまうのだ。

中居さんの書類点検を終了し、やっと草さんのに取り掛かり、夕方になってようやく草さんのを終了した。

そして、残るは、あさって締め切りの稲垣さんのものだけになった。

やれやれ。
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平等院鳳凰堂

2009-01-18 23:22:07 | 放送大学
宇治の平等院鳳凰堂は十円玉に描かれていて有名であるが、とても美しいということでも有名である。
この平等院鳳凰堂を中学の京都・奈良の修学旅行の時(30年以上前)に初めて行って見ることができた。
“ものすごく美しい”と聞いていたので、見たこともないほど美しいものだろうと期待して到着したところ、視界に入ってきた鳳凰堂は、色あせて古ぼけたものであり、どこがきれいなんだ?という第一印象を受け、正直がっかりした。

中学では修学旅行に行ったときのことを俳句に詠むという課題があった。1人10句くらい作って提出することとなった。クラスの係の者がその中からよさそうなものを選び、1人一句ずつの句を編集し、句集を印刷して配布した。

そのときの私の句は
《 思ったより 汚ったらしい 平等院 》 
というものだった。

これは、ちょっとふざけて、第一印象を素直に書いたものである。
しかし、「きたなったらしい」などという言葉はあまりにも平等院に対して失礼な表現である。
そんな一言で鳳凰堂を結論付けるべきものでないことは自分自身は十重承知していたのだ。にもかかわらず、10句も作らなくてはならないので、その中にふざけてこんなものまで入れて提出したところ、なんと、これが選ばれてしまったのだった。編集係は、単に面白いやという気分で選ぶに至ったのであろう。

この句はクラスのなかで受けていたようだが、みんなが真面目な句を載せているのに、私の句だけが季語も入らずなんとも、不真面目で品格のない句であり、自分としては後味がわるかった。

そのようなわけで、他に私が作った句はどんなものがあったのかはまるで記憶もなく、記録もないのであるが、この句だけは印刷物として残ってしまっており、今でも記憶に残ることとなった。

今、放送大学で日本美術史をとっている。この中に平等院鳳凰堂のことが書かれている。
平等院鳳凰堂は平安中期に藤原頼道が建てたものである。鳳凰堂は東を向いて建ち、周囲に池がある。平等院の特徴は実用性を離れて見た目を重視しているところにある。だから、内部は非常に使いにくい。中心の中堂から左右に翼廊が伸びているが、1階部分の高さに対して2階廊は高さがとても低く、そこは人間が立って歩くことさえできない高さとなっている。そのため、外観は足長のプロポーションとなって空中に浮かび上がるかのような軽快な美しさをかもしだしている。翼廊の上に楼閣があるが、これも内部が非常に狭く中に入ることもできない。中堂も外からは2階建てのように見えるが、実際には内部は1層である。屋根は大きく張り出すようにできているが、これも見た目の美しさのためである。
中堂には阿弥陀如来坐像が置かれているが、そこも非常に狭く、その中で阿弥陀を拝むことはできないようなスペースである。建物全体があたかも鳳凰が羽を広げているかのような形をしている。鳳凰堂は池の前方から眺めて観想することが目的になっており、その位置からの完璧な形の美しさを意図されたものである。
ということである。

なるほどと思う。
このようなことを、果たして就学旅行で誰かが説明をしてくれたのであろうか?もし、このような知識があればもう少し感じるものが違ったのではなかろうかと、今さらながら思った。私の第一印象は、形よりも色や材質の古さだったのである。色はあせているが、確かに形は完璧だと感じることができたはずだったのではなかろうか。
中の阿弥陀如来坐像についても、その特徴の説明などが聞ければ、もっと関心がもてたはずだと思った。

平等院、もう一度訪れてみたいものです。

 
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思うこと

2009-01-18 14:10:51 | 日記

ふと気がつくと、放送大学の単位認定試験が1週間後に迫っていた。
いつものごとくさぼり続けているために、5科目の試験勉強は到底追いつきそうもない。
何かを捨てるしかないと開き直ってはいる。
だいたい、考えてみると、好きでもない勉強をしようとしているのだった。
じゃあ、どんな勉強なら情熱をもって取り組めるのかと思っても、特別何もないので、結局は同じことの繰り返しなのかもしれない。

理系の科目は苦手なので、すでに卒業した人間の探究コースの「日本美術史」をとってみたものの、自分はこんなものが本当に好きだったのかな?と思ったりした。
静的なもの、というか、芸術とか美術とか、こういうものを見たり知ったりしたところで、なんになるのだろうか?自分では楽しいと思っていたのだが、本当に自分はこんなものを見たり知識を得たりすることが好きなのだろうか?そして、あまりにも知識も浅すぎるし、今後もそういうものに精通していく時間も暇もないし、第一それほど好きじゃないんだから、それにのめりこめるわけもないんだ、と思ったりするのだった。

仏像や絵画やその他の美術品は、その時代その時代の特徴があって、そのような背景を知ることにより、さらに味わいがでてくる。そういうことを知っていると、今まで寺や博物館などで、国宝になっているものや展示物の前を素通りしていたような自分が、そこで足を止めて、なるほどここに特徴があるのか、などと感心したりすることができる。それはとても楽しいことである。しかし、だから何なの?という、どこか空しい気持ちがする。

自分にはきっと何かもっとするべきことがあるはずだ。
それは自分が単に楽しいと思うことでもないし、将来の収入につながるとか、そういうことでもない。

理系の勉強もなんだか急にヤル気をなくしているのだった。もともとそういう分野が好きではないし、いまさら仕事のためにそういう知識を得ようとして、多少なりともえられたとしたところで、そんなことはもともと仕事場で私に要求されていることではないのだから、基本的には意味がないことである。
自分では必要だと思ってやっていることでも、そんなことはする必要がないといわれてしまえば、それは無意味なことだと位置づけられるわけだ。

派遣や非正規社員でも愛社精神はあるし、仕事に対する情熱もあるはずだ。しかし、会社がただの単純な労働力としかみないのであれば、その人間の愛社精神や向上心というのは、むしろ会社にとって不都合なものとなるのだ。変に愛社精神や向上心があるものは切り捨てにくいからである。それは会社にとってうっとうしいものにさえなるだろう。
会社としては、会社の都合に合わせて、求めるだけの労働力を提供してくれればいいのであり、それ以上のことは要らないのである。となれば、会社の仕事に関して情熱を持つべきではなく、会社とはまるで関係のないところに情熱を向けなければいけないし、会社も自分もそのほうが都合がいいということになるだろう。

そんなことを考えるとアタマがおかしくなるので、考えないほうがいいそうである。
しかし、情熱を向けていたものが無意味であると気がついたなら、即刻理系のコースなんか選択するのをやめて、別のことを始めたほうがよいという結論になる。

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不動産動向

2009-01-18 01:58:09 | 日記
といっても、賃貸住宅の状況のことだが、
不動産屋さんの話によると、今年は物件数が少ないそうである。
1月から3月くらいは、普通は住み替える人が多く、賃貸住宅は1ヶ月前に解約予告があるはずなので、2月に引越す家の物件はすでに情報が出てくる時期である。だから例年は貸家の物件情報がいっぱいでてくる。しかし、今年は例年と違って物件数が少ない、とのこと。

なぜならば、今年は、賃貸住宅に住んでいる人が引越しをせずに、契約更新をするケースが多いのだという。
普通、引越す人というのは、就職や転勤など必要に迫られて引越す場合以外では、今住んでいるところより更に良いものを求めて住み替える場合が多い。しかし、今年は不況のため、そういうケースが少ないらしい。
引っ越す場合は、契約時に敷金・礼金・仲介料などまとまった費用がかかり、引越し費用もかかるので、かなりの予算が必要だ。今年は、人々がそのようなよけいな出費をせず、抑える傾向となっているようだ。

とは言っても、大学などが近くにある地域では卒業する学生がいるので、景気に左右されず空き家はでるようである。一方、会社員など社会人の一人暮らしなどが多い地域では空き家が出にくいとのことだ。

このような状況なので、いい物件は取り合いになって早く決まるが、そうではない物件は大家さんが家賃を下げたりして、賃借人の事情を考慮してくれるところも出てきているようである。少し建物が古くなったりすると余計に値を下げるようだ。
家主さんも、家賃を高く設定して賃借人がおらず、空き家になっているよりは、家賃を下げたり管理費をなくしたりしてでも、入居者を確保したほうが得策と考えるようである。

しかし、あまりに値を下げると、かえって何か重要な欠陥があるのではないかと誤解される場合もあるので、この辺は難しい。良心的な計らいがかえって裏目にでてしまう。
逆に高くして、よい物件であるからと主張することもできるが、本当にそうなのかもよくわからない。単に大家さんがけちなのか強気なのかもしれない。大家さんがお金に困っていないような余裕のある人の場合は、値段もあまり高くしないようである。
しかし、値下げ物件については、大家さんが良心的だからなのか、物件に欠陥があるからなのかを判断するのは結構むずかしいことである。

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歯医者

2009-01-17 22:57:24 | 日記
昨日は歯医者に定期健診に行った。まずレントゲンを撮った。
以前行ったのは3ヶ月前だから、検診のたびにレントゲンをとっていたら撮りすぎだと思うのだが、3ヶ月前に撮ったか撮らなかったかは覚えていない。
そのとき、奥歯の具合があまりよくなかったのだが、診てもらったところ、特に異常はなく、レントゲンでは、かぶせ物をした歯の内部はわからないとのことだった。
それで、歯のクリーニングをしただけで、終了したのだが、その後もなんとなく具合が悪く、時々鈍い痛みを感じることもあるようになっていた。

今回、その状況を話し、診てもらうと、すぐに虫歯であることが判明した。自分で思っていた歯ではなく、その隣の歯だった。
さっそく、麻酔の注射をし、かぶせてある金属をはずし、治療に入ったが、神経を取らなければならないとのことで、そのまま削ったりいろいろな工程の処置するに到った。されるほうは、もう何をされているのかもわけがわからないが、歯の治療というのは一種の外科手術のようなものかな~と思いつつ口を開けてなるがままになっていた。

神経を取るのは生まれて初めてだと思う。もっと早く気付けば神経までいかなかったと思うのだが、それでも、痛みがひどくなる前に治療ができてよかった。定期健診をちゃんと受けてよかったと思った。

この歯医者さんには、先生が数人いるが、個人の歯医者さんではないので、メンバーが変わることがある。以前担当してくれていた先生は今はおらず、その後はベテランの院長先生とかなり若い感じの先生たちになっていた。前回はそのかなり若そうな先生が診てくれたのだが、大学を出たてのようで、なんとなく頼りないような感じがした。

今度の先生も若い方ではあるが、それなりに経験を積んでいる感じの人であり、一目見て虫歯だと判断したあたり、この先生が3ヶ月前に見たらわかったのかもしれないなと思ったりした。それに、治療の仕方もかなり板についている感じでどんどんと進んでいった。
年季を積んでいるとか、腕がいいとかいうのは、直感でわかるもんだ。

神経を取ったので、痛みがあるかもしれないということで、痛み止めを出してくれたが、麻酔が切れても痛むことなく、無事に過ごしている。
これから、何回か治療に通うことになる。

歯は大切なので、しっかり処置をしておくのがいいと思います。


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寒い寒い!

2009-01-16 01:32:26 | 日記
昼間天気がよくても風が冷たいが、日が暮れるとさらに寒くなる。
今日は、また、特別に寒かった。

帰宅すると、誰もいなかった家でも、まるで暖房が入っているかのように暖かく感じた。
日当たりがよいので、いくらか暖まっているのだろう。
それに、あまりにも外が寒いので、外気に比べると暖かいように感じるらしい。
ガスファンヒーターをつけると、現在室温が表示される。最初は11℃だった。
ヒーターをつけても、12℃・13℃とわずかにあがり、それ以上はあがらない。
入ったときは暖かく感じた部屋も、やっぱり寒い。

我が家のストーブ(以下、ファンヒーターのことをストーブと言う)は、だいたい家のど真ん中においてあり、その後方は暖まらない。そして、人間のいるほうに向けて置いている。人間が動くとストーブの方向を変える。複数の人間が別々の方向にいると、ストーブの方向向けの争いとなる。
ストーブの前ならば20℃はあると思う。直接温風があたると暑すぎることも多々ある。しかし、ストーブに表示されている現在室温(後方から吸い込む空気の温度)は、今日の場合、ずっとずっとつけていてやっと15℃まであがった。それ以上はあがらない。

本当に寒い。

田舎の実家も非常に寒い。実家の母は10℃以上あると暖かいと言って、ストーブを点けさせてくれない。だからコタツにもぐっている。確かにコタツに入っていれば室温が低めでも大丈夫だが、それでも布団のない腰のあたりに寒さがしみこんでくる。
薄着をしているからだと母が言う。普段厚着をしないので、田舎に行ったときはなかなか状況に適応できない。
暖房をしているのは、居間だけなので、特に寝室が寒い。
すぐに布団に入ってしまえば大丈夫だというが、寝るときも起きたときも大変である。

今が寒さのどん底だそうだ。早く春にならないかな~
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不動産屋とは・・・

2009-01-15 22:47:44 | 日記
仕事帰りに駅のそばに不動産屋がいっぱいあることに気付き、ついでに寄って物件探しをしている。
そうやっていろいろな店を訪問するうちに、ますます訳がわからなくなってきた。
同じ条件で希望を出すので、同じ物件を紹介されることもあるが、敷金・礼金の数が違っていたりするのだ。
ならば、少ないほうがいいに決まっている。
また、仲介料も1か月だったり半分だったりする。
家賃も決まっているようで決まっておらず、交渉によっては何千円か下がったりする。

たくさんの資料のファイルをそのまま出して自由に探す形の店もあれば、店員が条件に合ったものを探して取り出してくるところもある。
後者の場合は、店員の意思にかかっているような気がする。本当にいい物件を出してくれているのか、出し惜しみをしているのではなかろうかと思うこともある。

ある店では、適当なものをすんなりといくつか出してくれて、その中からめぼしいものを選択し、週末に見学にいく手はずを整えることができた。資料には建築年月日や面積などが明記されていてきちんとしている。

別の店では、とにかく動きが遅くて、なかなか物件を出してこない。時間を経るうちにいくつか出してくれたところを見ると、最初から出そうと思えば出せたわけだと思うのだが、なぜそんなに行動が遅いのか不可思議である。たくさん出すと案内するのが大変なので、最初から選択肢を減らそうという魂胆なのだろうか。
また、南向きでない部屋には方位を入れないなど広告の作り方に怪しげな部分もあり、ちょっとどうかと思った。

ある店では、資料は適当だが、いろいろなところに問い合わせて物件を活力的に探してくれ、こまめに車で見学につれていってくれた。残念ながらこれぞと決断できる物件がなく、営業マンの方には申し訳ないようだ。

老舗のような不動産屋は、信頼性がありそうだが、中にお客が誰もいなくて、入るのがためらわれるような雰囲気である。どこの馬の骨かわからないものに家を貸してやるんだから、保証人や収入は大丈夫だろうねというような扱いを受けるのではなかろうかと、入る勇気が出なかった。

今風の店で、若い営業マンが複数いるような店の場合は入りやすく、安いアパートを求める若い客が多いようだ。

物件は一長一短で、迷い始めるときりがない。
もう本当にわけがわからなくなってきてしまった。


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目立つのはキライだった

2009-01-15 00:58:18 | 日記
きれいな花をもって教室に入り、花瓶に挿すような柄じゃなかった。

高校1年のとき、私は登校が早かった。
私が到着する頃は、ある男子の2人連れが来ていることが多く、この3人がいつも1番乗りだ。
そのあとに、ぼちぼち他の人がやってくる。

クラスにはいかにも女らしくきれいで、男子のあこがれやアイドル的存在の女子がいた。
そんな子が花なんかもってきて飾ることもあった。
私は、そういう女にはなりたくなかった。

あるとき、家にきれいな花がたくさんあったため、教室に持っていくことにしたが、
私は人前で花を飾るのはいやだった。
だから、1番乗りで教室に着くと、誰もいないうちにさっさと花を活け、その後かばんを持って部室に直行した。
しばらく時間をつぶし、始業時刻が近づいてから、さも今来たかのように教室に入っていった。

この花、誰が持ってきたの?という男子の質問があったかな?
それはあったような気もするし、なかったような気もする。
そのような男子は、その朝、最初に教室にいた女子が持ってきたのだと思うに違いなかった。
そう思うならそう思えよ。
むしろそれが快感だったのだ。

誰にもわからないことも面白いけど、別の女がいけたと思うのもおもしろいじゃないか。
私は知らないよ。

いつも一番のりだった私であるが、
あるとき、検尿回収の日があった。
教室に着くと、検尿を入れる袋が黒板のそばの壁にぶら下がっていたが、
当然のことながら、まだ誰も入れてない。
1番最初に入れるのもいやだな、と思って、
何人かが入れてからいれようと思っていたら、
そのまま忘れてしまった。

朝の学活が始まり、担任が検尿の回収具合を確認した。
検尿を入れると○をつけるように名簿も貼ってある。
担任が見ると、私のところだけに○がなかった。

なんだ、山本!ケンニョウが入ってないぞ!

私はあせって自分のケンニョウをカバンから取り出し、
クラスの全員の前で、歩み出て、ケンニョウを袋に投入したのだった。

べつに、検尿なんて恥ずかしいもんでもないけどさ、
人前で花を飾るのは免れたものの、
人前でケンニョウをと投入することになってしまった。

やっぱり、そういう柄だった・・・。
ケンベンよりマシかな。
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険悪

2009-01-14 22:21:44 | 日記
私は、人に対して好き嫌いがあまりないほうなので、滅多に人とぶつかったりすることはないし、ましてや初対面の人と険悪なムードになることはない。
ところが、めずらしくそんなことが起こってしまった。

今、次女のアパートを探している。
それで、ほぼこれで決めようかという物件にしぼった。契約はその物件を案内紹介してくれた不動産屋さんではなく、別の不動産屋だった。
そこで、1か月分の手付金を持って仮契約に行ったのだが、詳細がわからなかったので、その点をはっきり聞いてからと思い、いろいろ質問をした。

まず、私が知りたいのは築年数だった。
すると、「10年は経っている」という返答。
普通はちゃんとした具体的な年が記載されている。しかし、それが記載されておらず、不動産屋も知らないのか、あるいは、言いたくないらしい。
そこで、私はちょっと腑に落ちない表情をした。
すると、不動産屋は「新しい物件なんてそうあるもんじゃないですよ」と来た。
私は別に新しい物件じゃなきゃイヤだなどとは言っていない。
「古い物件というのは、私としては昭和50年とかのことで、平成になってからの建物なら特に古いとは思っていませんよ」と答えた。
今、思えば、このあたりから相手の私に対する心象が悪くなったようだ。

その建物は外観は結構新しく見えた。
しかし、部屋が10個ある間取り図のうち、7部屋に「済」がつき、残りの3部屋に金額がついて、そのうちの2部屋は金額の上にバッテンがつき、あとの1つがそのままになっているのだった。
こういう書き方は、たとえば新築で全部屋を貸し出し、契約が最初に入った7部屋を「済」にし、残った3部屋の広告を改めて出し、そのうち売れた順にバッテンを入れるというのが、よくあるパターンである。
ということは、新築でないなら、一旦全館空き部屋にしてリフォームなどし、いっせいに貸し出したということもありうる。そうなると、外見はきれいだが実際にはかなり古い建物もあるだろう。
そうでなければ、「済」というのは、ずっと居住者がいる部屋であり、金額の入った3部屋は、どっちにしても3部屋同時に空き部屋になっていたと考えるのが普通だ。

そこで、
私「3部屋が空いていたのですか?」と聞いてみた。
すると、
不動産屋「空いていない。見ればわかるだろう。バツがついてるじゃないか」とのこと。
私「バツはついてるけど、他は「済」なのだから、金額が入っているのは最近まで空いていたんじゃないですか」
不動産屋「空いてなんかいない、わからない人ですね。バツがついてるんだからうまってるんです。一部屋しかありませんよ。」
私「そりゃあ、今一部屋しかないのはわかりますよ。でも、それでは、「済」というのと、金額があって「×」がついている部屋の違いは何なんですか?」
不動産屋「だから、×がついてるのは無いってことです。「×」も「済」も同じでしょうが。」
私「あ、そうですか、じゃあ、ずっと住んでいるけれど、金額が書いてあるってことは、単に家賃の参考にするために入れたんですかね?」
不動産屋「そんなことどうでもいいだろう。最初から一部屋しか空いてないんですよ。」

私「これを見ると、端の角部屋は家賃が高いのはわかりますが、どうして1階と2階が同じ値段なんですか?しかも2階の値段が3000円安くなるということですが、そうなると1階よりも安いっていうことですよね。2階のほうが高いのが普通だと思うのですが・・・」

不動産屋「それは、家主さんが、好意でそうしてくれたんでしょう。いちいち変な詮索をしても意味ないです。こんなに条件のいい物件はそうそう無いですよ。今は借りたい人がいっぱいいて、すぐになくなっちゃいますよ。」

私「変な詮索じゃないですよ。普通何部屋も空いていたら何か理由があるのかと思うじゃないですか。家賃が安くなるのも理由があるからでしょう。それが納得できる理由なら別に問題ないですよ。そういうことをはっきりさせるのは当然だと思いますよ」

ま、書いているときりがないので、このくらいにするが、その後も、お互いに機嫌を悪くしたまま、結局かみ合わない空気の末に、仮契約はせず、もう少し考えてから決めることにして戻ってきた。

確かにチラシの表記には部屋番号がひとつしか書いてないから、最初から一部屋しか空いていなかったらしく、間取り図と金額が入っているのは、アパート全体を売り物と考えて概要をわかりやすくするためなのかもしれなかった。
だが、こういうのは、空室がいっぱい残っているアパートと間違えられるおそれがあり、かえって逆効果のようだ。

そのような不明点を解決するためにいろいろと質問しているのだが、不動産屋は、いちいちそんなことを聞かなくてもいいだろう、うるさいヤツだな、といらだっているようだった。

とにかく、物件が気に入らないのではなく、不動産屋さんと波長が合わない。
ただそれだけのことだが、なんかやだ。

娘はがっかりしていたようだが、この物件はやめる。





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成人式終了

2009-01-13 01:41:36 | 日記
無事、次女の成人式が終了しました。
天気予報を見ると、日本全国、雪のところが多かったようですが、東京は一応晴れでした。
午後に少し曇ってかなり寒かったですが、持ち直したようです。

レンタル着物も返却しなくてはなりません。明日、宅急便で送るので、記念に生地を撮影してみました。
着物ってほんとうにきれいなものですね。
お値段も高いですが、やはりそれだけの豪華さだな~とみとれてしまいます。

きもののコマーシャルで「一生に1度の出会い」とか言っていたのがあったと思いますが、確かに一生に1度の成人式にこの1枚を選んだということは、そういうことだな~と思いました。

いろいろな人のいろいろな着物姿をみていると、それぞれに良さがあります。もしかしたら、もっと似合うのがあったかもしれない、などと思ったりもしますが、いろいろな着物を試着してみて結局これを選んだということは、やっぱりこの着物がこの子に似合っていたんだと思うのでした。

ところで、今日もひと悶着ありました。
娘が、ついてこなくていいというので、私は美容院には付き添わず、着付けのあと荷物だけ預かって帰りました。
娘は成人式を終え、午後には1度帰ってきたのですが、休憩して着物を脱ぐと、それを棒に掛けて、同級生たちの夜の打ち上げパーティーに出かけて行き、11時過ぎに戻ってきました。

それで、私が寝る前に棒に掛けてある振袖を畳めと言ったのです。きちんとたたんで箱に入れて宅急便で送り返さないといけないからです。
娘は学校で着付けの勉強をしており、コンテストにも出ています。だから、着物をきちんとたたむことなどは朝飯前のはずなのです。ところが、それをする気がありません。
レンタル着物屋の人が、適当にたためばいいと言っていたというのです。だから着物のたたみ方をしらない私がたためばいいというわけです。
それはおかしいではないでしょうか。自分が着物を着て楽しむだけ楽しんで、あとは知らない、などということは許せることではありません。
しかも、自分が着物の着付けをしてもらって、着付けの仕方がおかしいだとか下手だとか、いろいろと文句をつけるくらい偉そうにしていて、自分のほうが上手だというようなことを言っていたのだから、当然「しまい方」はプロとして見本を示してくれていいはずです。

ところが、「これは仕事ではないからやらない、めちゃくちゃに箱に入れて送れば、プロの人がたたみなおすのだからいいのだ」という考えなのです。
夫も最初は、「そんなもん、プロにやらせればいいんだよ」などと娘と同じことを言っていました。

いくら係の人が、「たたみ方はいい加減でいいです」と言っても、それなりの大切な扱い方というものがあるでしょう。
たとえば、ハンカチを貸した人がそのまま返してくれればいいと言っても、借りた人はきれいに洗ってきちんとアイロンをかけてかえすのが礼儀ですし、傘などを借りた場合も、ちゃんと干してから、きちんとたたんで返すのがあたりまえです。

「お客だからしなくていい、商売の人にやらせればいい、それが仕事なんだから」という考えには私は納得できません。

しかも、成人式という、一生に一度の儀式に使ったものは、それなりの丁重な扱いをするべき、品格ともいうべきものがあるように思うのです。

レンタル着物屋さんが、返送された箱を開けた時に、中からぐちゃぐちゃの晴れ着がでてくるのと、きちんと正式にたたまれた晴れ着が出てくるのとでは大きな印象の違いです。

娘よ、もっと感謝の気持ちや、物を大切にする気持ちを持たなければいけないだろう。
そして、後始末をしっかりしろ!

しかし、娘は疲れたと言って、結局着物や小物を箱の中にいい加減に放り込んでふて寝してしまったので、私が素人のたたみ方ながらもなんとか丁寧にしまいなおすしかありませんでした。不器用なので、思うようにきれいにたためません。

娘には、考え方が古いとかうるさいとか言って、うっとうしがられるだけですが、
いつかはわかってくれるのでしょうか。


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ウシと言えば

2009-01-10 21:31:35 | トラックバック練習・ご意見板
1 牛乳
2 乳牛
2 赤べこ

を思いだしました。

1 ウシといえば、なんといっても牛乳。こどものころはずっとお世話になりました。
昔は牛乳以外に栄養のあるものはないくらいに思っていました。「完全栄養食品」とも言われていました。今でもそうかもしれません。うちの長女は牛乳が好きで、外食をしてもファーストフードでもミルクを頼む子でした。しかし、次女はそれほど牛乳が好きではなく、今我が家ではほとんど牛乳を飲みません。1リットルパックを買ってもだめにしてしまうので、だんだん買わなくなってしまいました。

2 ウシといえば本当の牛です。
私が子どもの頃、近所の友達の家では乳牛を6頭くらい飼っていました。規模的には、こじんまりしたものだと思うけど、友人の家に行くと、母屋に続いた牛舎を見えてもらうのが普通でした。牛はホルスタインで、角が伸びるからと角の先を切ってあったように思います。角の先が頭に向っているので、そのまま伸びたら頭に突き刺さるじゃないかといつも不思議に思いました。牛たちは放牧されることはなく、いつものんびりと牛舎につながれていました。その端に犬がいました。友人の家の庭には井戸のような枡があって、そこに水がためてあり、そこに絞った牛乳を容器に入れて冷やしておくようでした。たまに子牛が生まれたと聞いて、見せてもらうこともありました。
当時は、近所に養豚や養鶏所もありましたが、今ではすべてなくなり全くの住宅地になってしまいました。

3 赤べこ  あかべこって牛ですよね。
中学1年のときだったか、小学校のとき同じクラスだった男の子から電話があり、言われたとおりに駅前に出かけていくと、私の誕生日だろうということで、プレゼントをくれました。とても驚きました。なぜ私の誕生日を知っているのかもよくわかりません。家に戻って開けてみると、箱の中から赤べこの置物が出てきました。頭にさわると首がゆらゆらと動くようにできていました。かわいくて、嬉しかったです。
その赤べこを机の上に飾っておきました。
その子のことは、嫌いではなく、小学校のときは友達として仲良くしていました。でも、中学2年ころになって、いろいろな男子から、私がその子の女だなどということを耳にするようになりました。
私はその子と付き合っているわけでもなかったので、勝手に彼女にされてしまうのはいやだと思い、ある日、友人を介して、その赤べこをその男子に返してしまいました。
包み紙や箱も大切にとってあったのですが、それをもとどおりにもらったときと同じように包んで返してしまいました。
あの返された赤べこどうなったでしょうね。ひどいことをしました。
そのあと、私はまた友人を介して「ごめん」と言っておいてと頼みましたがどうなったかわかりません。
その後、お互いに大人になり、何ら変わりなく普通の同級生としてやりとりしていますが、今になって、あの赤べこ、返したりしないで、ずっと大切にしておけばよかったなあと思います。
私の故郷には、街中に1軒だけ民芸品の店があります。その店にはいろいろな民芸品があり、見るのが楽しかったです。故郷で赤べこを買うとすればおそらくその店にしか売っていません。その子はその店であの赤べこを選んで買ったのかもしれないなと思います。
プレゼントをもらっておいて、相手の誕生日を聞くでもなく、お返しにこちらから何かをプレゼントしようとも思わず、もらったものまでつき返すなんて、ひどい人間だったなと思い起こします。つき返されたとき相手はどんな気持ちだったんだろう。
だから、「赤べこ」は私にとっては特別の民芸品です。

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陰の薄い人間

2009-01-10 15:46:23 | 日記
全く関係のない話だが、昨日森進一のことをテレビでやっていて、これまでのおいたちや人生の出来事などを知った。森進一さんは、不幸な境遇で育ったが、類まれな歌の天才であり、その華々しさは天才ならではのものだと思うが、一方でどこか恵まれない星が付きまとうという気がしてならない。だから、人生が上向きになっている中で、何か予期せぬ落とし穴のような出来事がやってくる。それでも、それに打ち勝ち、時にはそれがあったからこそ成長があり、全体的には「成功」の人生といえるであろう、と思った。

「なぜか、うかばれない」とか、「なぜかうまくいかない」というものが人それぞれにある。逆に、「何でもうまく行く」ということや、「必ず助けがある」ということもあり、「もってうまれた星の下の人生」などといわれている。

そこで、私自身のことになるのだが、私の場合どうも「陰の薄い人間」らしい。
物が全員に配られるとき、なぜか私の分だけがない、ということに度々遭遇する。
封筒に入った配布資料セットの中の1枚が私だけ足りなかったとか、たまたま私が座った席にお茶菓子が置かれていないとか、全員宛のメールのあて先に私のアドレスだけがなぜか外れていたなどということがある。ランチセットに私だけデザートをつけるのが忘れられていたなどということもある。そのようなことがあった場合、すぐに「ありません」と主張できず、私のようなものが要求していいものだろうかと悩んだ末に申し出るようなところがある。

たまたま私のところにあるべきものがないのは、子どもの頃、「この子の分はなくてもいい」とか「この子は、電車代を払ってないんだから、座ることはない」などと言われて育ってきたこととは関係がないはずであるが、なんとなくつながりがあるようにも思える。それは「人から存在を忘れ去られる」という負のオーラを私が発しているのかもしれないし、そういう運命のいたずらであり、そういう星の下に生まれているのだろうとも思える。

最近のことで言えば、年賀状の返事が来ない、グループ分けの中に名前がない、などというのもその例であるが、印象に残るものとして、先日のお葬式があった。葬儀場から火葬場に行く人が一人ずつ名前を呼ばれ菊の花を一輪ずつ渡されるということがあった。呼ばれた順にマイクロバスに乗るようにとの案内であるが、その中に私の名はなかった。

私と母は一緒に来場してそれぞれに香典を渡しているのだが、出棺のときに、母が早々と名前を呼ばれて席を立って行ったのにも関わらず、私は結局すべての親戚やいとこや参列者が呼ばれたあとも名前を呼ばれることなく、席を立つことができなかった。周りはすべて空席となってしまった。

「名前を呼ばれた方は、花を受取り順番にバスに乗って火葬場のほうに移動してください。乗りきれない方は自分で火葬場に行ってください」というアナウンスには、「私は血のつながった従妹なのになぜ呼ばれないの?いったいどうやって行けばいいの!」と心の中で絶句した。

ただ、「名前が漏れている方がいるかもしれません。呼ばれなかったかたで火葬場に行かれる方は花を取りに来てください」というアナウンスを聞き、もはや親戚ではない知らない人が数人受け取りに行っているのを見て急いでその中に加わった。最後尾でバスのほうに向っていくと、母がバスの前でしびれを切らして待っていたので、バスには乗ることができた。

これは、受付で記帳がなく、参列者なのか預かった香典だけなのかの区別がつかないため、夫の名前の香典を出した私は、参列者ではないと判断されてしまったようだ。前夜にお通夜に出なかったことも原因らしい。

だが、このようなことは、今に始まったことではなく、実の姉の結婚式のときに、教会の結婚式場に妹の私の席がないとか、写真撮影の時に立つ場所がないなどということがあった。
父が病院で亡くなったときには、銀行にお金を下ろしにいっているうちに父の遺体を載せた寝台車がすでに病院を発車していて、あやうく置き去りにされるところであり、路上でなんとか乗せてもらったこともあった。もしそこで乗せてもらえなければ、何時間もかかって自力で実家に行くしかなかったとおもうと、今でもぞっとする。
結局、そのような時、なんとか自分の居場所はあったものの、どうしてこうも不安な目にあうのかと思う。

私は、自分が回りに対してなんらインパクトをもたない人間であるのを知っているので、子どもの頃からしっかり出席することで自分の存在を証明するしかなかった。だから、学校・部活・ボランティア・会社など、欠席をしないでいつもその場に存在するようにしているのだ。だが、これはあまり効果がなく、時々欠席する人のほうが存在感があるようである。

私とは逆に、姉の存在というのは、どうしてこうも人の印象に残っているものだろうかと思う。親戚の人に挨拶をしても、「あら、ピアノをやってる娘さん?あっ、そうじゃないの?」「ああ、お姉さんじゃないほうの人ね」などという反応ばかりが返ってくるのだった。
また、実家の近所の人に会っても、やはり「娘さんはピアノをやってる人でしたよね。ああ、その人とは別の娘さんがいたんですか?」などという反応である。
私を目の前にして私と話しながら、どうして姉のことばかり話すのかと思うわけだ。
今回も親戚一同は、地味な私がいたことではなく、華々しい姉が来られなかったということが印象に残っているのだろう。
そんなにも姉の印象は人々の中にあるが、私の存在は最初から意識の中にないらしい。
それも、姉が26歳まで実家にいたのに、私は18歳までしか実家にいなかったからだといえば、当然のことであるが、よくよく私は存在感のない人間らしい。

だからといって、存在感を持ちたいと思うわけでもないが、いちいちブログの題名に名前を入れているのは、そういう自分の存在を主張したいというかすかな抵抗かもしれない。
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田舎の葬儀

2009-01-10 13:27:52 | 日記
あまり近親の人の葬儀に出たことがないので、最初から最後まで葬儀に参列したことがなかった。
その地域によっても違うと思うが、先日の葬儀の場合は、
斎場でお通夜と告別式をし、火葬場に行き、その後お骨をもってお寺に行き本堂で初七日のお経をあげてもらい、それから墓地に行って埋葬し、その後、また斎場に戻って食事をするのだそうだ。
そうなると、お葬式の日は午前中から始まって終わるのが夕方になるそうである。
私は、その土地について、斎場と火葬場とお寺とお墓の位置関係が全くわからないのだが、母の話では全てを済ませてからタクシーを呼んで駅に戻ったのでは、私が実家に戻って、その日のうちに東京の自宅に戻ることは無理だとのことであり、電車の駅から近いお寺のところで失礼させてもらうことにした。
駅と斎場と火葬場とお寺とお墓と斎場は、みなかなり離れているために、車で移動しなければならない。
途中はマイクロバスでの移動なので乗っていればいいわけだが、お墓や斎場は駅からかなり遠いのだそうだ。
しかし、だからといって自分の都合によって、駅から近い寺でおしまいにするというのも、あまりにも合理的な考えのようで、なんか冷血な人間のような気がしてしまった。
実際、私と母がお墓に向うマイクロバスに乗らずに、駅に向って歩いていると、それを知らなかった叔母のひとりがマイクロバスの窓を開けて身を乗り出し、どうして歩いているのか?と血相を変えて叫んでいたのだった。

多くの参列者は父方の血のつながった兄弟姉妹であり、そこにいくと母は嫁であるため、血のつながりがない。そのうえ父が25年も前に亡くなった後は、母は冠婚葬祭などで行き来はしているものの、住んでいる地域も違うために、いつも一人で電車やタクシーを使うしかない状況だった。
父方の親戚づきあいにおいて、父がいないということは、母にとってかなりの打撃だ。さらに父が早くに亡くなったのは、病気に気がつかなかった母にも原因があるという風に父の兄弟たちに思われていたこともあったようだ。

母には、嫁同士として気の合う人もいる。その人も夫をなくしたので今は母と同じ立場である。前回、叔父が亡くなったときには、お通夜に行って斎場に寝泊りしたそうだが、今回は真冬でもあるし、私も行くので母は泊まるのはやめた。亡くなったのが母からすると夫の姪であり、血のつながりもないということもあって、今回はお通夜には参列しなかった。家が遠いので、お通夜に参列して帰宅し、また翌日告別式にでかけるなどということも無理である。

母の親戚が同じ地域にないではないが、実の兄弟はもう亡くなっていて代が代わっているので、泊まるとなると気を遣うわけだ。近いとは言ってもやはり車でなければ移動できない距離である。その家の人に送り迎えを頼むにしても、その家にはその家の用事があるだろうから気がひける。それで、そのたびにタクシーを呼んで移動することになるから、非常に不便で移動しづらい。
近隣に住んでいて自由自在に自家用車で動き回る人たちと同じような行動はできない。

今回、早めに帰ってきてしまったのは、私が原因でもあった。私が実家に帰ってから東京に帰るのでなければもっと遅い時間までいられたのだ。私が斎場から直接東京に戻ればいいわけだ。だが、そうなると実家に泊まっている荷物をそっちの駅に持って行ってコインロッカーを探して入れておくとかしなければならない。正月早々、喪服のまま東京に帰るのもイヤだなと思った。トイレかどこかで着替えるしかない。
また、母を一人で自宅に帰すのもちょっとかわいそうな気がした。葬式のあと、深夜に誰もいない家に戻って自分で塩をかけて家に入るというのもどうなんだろうか。

葬儀の一部にしか参列できなかったことは、心残りではあった。
親戚はみんな一部始終参列しているし、おじおばの跡取り息子や娘もいるのが普通だ。
私がもう1泊して翌朝東京に戻ればよかった、とか、斎場のそばにホテルでも探し宿泊すればお通夜にも参列できたのでは、とか、いろいろ思ったりした。
親戚には冷血だと思われているに違いない。

お盆にでもお墓参りに行きたいと思うが、私には、従姉の家の行きかたもわからないし、お墓の場所もわからないのである。
また、わかったところで、タクシーを呼んで動くしかないと思うと、お墓でタクシーを待たせるのか、タクシーをあらためて呼ぶのかな、などと思いめぐらし、やっぱりだめだという結論に至る。

夏までに免許? う~ん、どうかな・・・。東名なんか無理だよな・・・。






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