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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

ウシと言えば

2009-01-10 21:31:35 | トラックバック練習・ご意見板
1 牛乳
2 乳牛
2 赤べこ

を思いだしました。

1 ウシといえば、なんといっても牛乳。こどものころはずっとお世話になりました。
昔は牛乳以外に栄養のあるものはないくらいに思っていました。「完全栄養食品」とも言われていました。今でもそうかもしれません。うちの長女は牛乳が好きで、外食をしてもファーストフードでもミルクを頼む子でした。しかし、次女はそれほど牛乳が好きではなく、今我が家ではほとんど牛乳を飲みません。1リットルパックを買ってもだめにしてしまうので、だんだん買わなくなってしまいました。

2 ウシといえば本当の牛です。
私が子どもの頃、近所の友達の家では乳牛を6頭くらい飼っていました。規模的には、こじんまりしたものだと思うけど、友人の家に行くと、母屋に続いた牛舎を見えてもらうのが普通でした。牛はホルスタインで、角が伸びるからと角の先を切ってあったように思います。角の先が頭に向っているので、そのまま伸びたら頭に突き刺さるじゃないかといつも不思議に思いました。牛たちは放牧されることはなく、いつものんびりと牛舎につながれていました。その端に犬がいました。友人の家の庭には井戸のような枡があって、そこに水がためてあり、そこに絞った牛乳を容器に入れて冷やしておくようでした。たまに子牛が生まれたと聞いて、見せてもらうこともありました。
当時は、近所に養豚や養鶏所もありましたが、今ではすべてなくなり全くの住宅地になってしまいました。

3 赤べこ  あかべこって牛ですよね。
中学1年のときだったか、小学校のとき同じクラスだった男の子から電話があり、言われたとおりに駅前に出かけていくと、私の誕生日だろうということで、プレゼントをくれました。とても驚きました。なぜ私の誕生日を知っているのかもよくわかりません。家に戻って開けてみると、箱の中から赤べこの置物が出てきました。頭にさわると首がゆらゆらと動くようにできていました。かわいくて、嬉しかったです。
その赤べこを机の上に飾っておきました。
その子のことは、嫌いではなく、小学校のときは友達として仲良くしていました。でも、中学2年ころになって、いろいろな男子から、私がその子の女だなどということを耳にするようになりました。
私はその子と付き合っているわけでもなかったので、勝手に彼女にされてしまうのはいやだと思い、ある日、友人を介して、その赤べこをその男子に返してしまいました。
包み紙や箱も大切にとってあったのですが、それをもとどおりにもらったときと同じように包んで返してしまいました。
あの返された赤べこどうなったでしょうね。ひどいことをしました。
そのあと、私はまた友人を介して「ごめん」と言っておいてと頼みましたがどうなったかわかりません。
その後、お互いに大人になり、何ら変わりなく普通の同級生としてやりとりしていますが、今になって、あの赤べこ、返したりしないで、ずっと大切にしておけばよかったなあと思います。
私の故郷には、街中に1軒だけ民芸品の店があります。その店にはいろいろな民芸品があり、見るのが楽しかったです。故郷で赤べこを買うとすればおそらくその店にしか売っていません。その子はその店であの赤べこを選んで買ったのかもしれないなと思います。
プレゼントをもらっておいて、相手の誕生日を聞くでもなく、お返しにこちらから何かをプレゼントしようとも思わず、もらったものまでつき返すなんて、ひどい人間だったなと思い起こします。つき返されたとき相手はどんな気持ちだったんだろう。
だから、「赤べこ」は私にとっては特別の民芸品です。

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陰の薄い人間

2009-01-10 15:46:23 | 日記
全く関係のない話だが、昨日森進一のことをテレビでやっていて、これまでのおいたちや人生の出来事などを知った。森進一さんは、不幸な境遇で育ったが、類まれな歌の天才であり、その華々しさは天才ならではのものだと思うが、一方でどこか恵まれない星が付きまとうという気がしてならない。だから、人生が上向きになっている中で、何か予期せぬ落とし穴のような出来事がやってくる。それでも、それに打ち勝ち、時にはそれがあったからこそ成長があり、全体的には「成功」の人生といえるであろう、と思った。

「なぜか、うかばれない」とか、「なぜかうまくいかない」というものが人それぞれにある。逆に、「何でもうまく行く」ということや、「必ず助けがある」ということもあり、「もってうまれた星の下の人生」などといわれている。

そこで、私自身のことになるのだが、私の場合どうも「陰の薄い人間」らしい。
物が全員に配られるとき、なぜか私の分だけがない、ということに度々遭遇する。
封筒に入った配布資料セットの中の1枚が私だけ足りなかったとか、たまたま私が座った席にお茶菓子が置かれていないとか、全員宛のメールのあて先に私のアドレスだけがなぜか外れていたなどということがある。ランチセットに私だけデザートをつけるのが忘れられていたなどということもある。そのようなことがあった場合、すぐに「ありません」と主張できず、私のようなものが要求していいものだろうかと悩んだ末に申し出るようなところがある。

たまたま私のところにあるべきものがないのは、子どもの頃、「この子の分はなくてもいい」とか「この子は、電車代を払ってないんだから、座ることはない」などと言われて育ってきたこととは関係がないはずであるが、なんとなくつながりがあるようにも思える。それは「人から存在を忘れ去られる」という負のオーラを私が発しているのかもしれないし、そういう運命のいたずらであり、そういう星の下に生まれているのだろうとも思える。

最近のことで言えば、年賀状の返事が来ない、グループ分けの中に名前がない、などというのもその例であるが、印象に残るものとして、先日のお葬式があった。葬儀場から火葬場に行く人が一人ずつ名前を呼ばれ菊の花を一輪ずつ渡されるということがあった。呼ばれた順にマイクロバスに乗るようにとの案内であるが、その中に私の名はなかった。

私と母は一緒に来場してそれぞれに香典を渡しているのだが、出棺のときに、母が早々と名前を呼ばれて席を立って行ったのにも関わらず、私は結局すべての親戚やいとこや参列者が呼ばれたあとも名前を呼ばれることなく、席を立つことができなかった。周りはすべて空席となってしまった。

「名前を呼ばれた方は、花を受取り順番にバスに乗って火葬場のほうに移動してください。乗りきれない方は自分で火葬場に行ってください」というアナウンスには、「私は血のつながった従妹なのになぜ呼ばれないの?いったいどうやって行けばいいの!」と心の中で絶句した。

ただ、「名前が漏れている方がいるかもしれません。呼ばれなかったかたで火葬場に行かれる方は花を取りに来てください」というアナウンスを聞き、もはや親戚ではない知らない人が数人受け取りに行っているのを見て急いでその中に加わった。最後尾でバスのほうに向っていくと、母がバスの前でしびれを切らして待っていたので、バスには乗ることができた。

これは、受付で記帳がなく、参列者なのか預かった香典だけなのかの区別がつかないため、夫の名前の香典を出した私は、参列者ではないと判断されてしまったようだ。前夜にお通夜に出なかったことも原因らしい。

だが、このようなことは、今に始まったことではなく、実の姉の結婚式のときに、教会の結婚式場に妹の私の席がないとか、写真撮影の時に立つ場所がないなどということがあった。
父が病院で亡くなったときには、銀行にお金を下ろしにいっているうちに父の遺体を載せた寝台車がすでに病院を発車していて、あやうく置き去りにされるところであり、路上でなんとか乗せてもらったこともあった。もしそこで乗せてもらえなければ、何時間もかかって自力で実家に行くしかなかったとおもうと、今でもぞっとする。
結局、そのような時、なんとか自分の居場所はあったものの、どうしてこうも不安な目にあうのかと思う。

私は、自分が回りに対してなんらインパクトをもたない人間であるのを知っているので、子どもの頃からしっかり出席することで自分の存在を証明するしかなかった。だから、学校・部活・ボランティア・会社など、欠席をしないでいつもその場に存在するようにしているのだ。だが、これはあまり効果がなく、時々欠席する人のほうが存在感があるようである。

私とは逆に、姉の存在というのは、どうしてこうも人の印象に残っているものだろうかと思う。親戚の人に挨拶をしても、「あら、ピアノをやってる娘さん?あっ、そうじゃないの?」「ああ、お姉さんじゃないほうの人ね」などという反応ばかりが返ってくるのだった。
また、実家の近所の人に会っても、やはり「娘さんはピアノをやってる人でしたよね。ああ、その人とは別の娘さんがいたんですか?」などという反応である。
私を目の前にして私と話しながら、どうして姉のことばかり話すのかと思うわけだ。
今回も親戚一同は、地味な私がいたことではなく、華々しい姉が来られなかったということが印象に残っているのだろう。
そんなにも姉の印象は人々の中にあるが、私の存在は最初から意識の中にないらしい。
それも、姉が26歳まで実家にいたのに、私は18歳までしか実家にいなかったからだといえば、当然のことであるが、よくよく私は存在感のない人間らしい。

だからといって、存在感を持ちたいと思うわけでもないが、いちいちブログの題名に名前を入れているのは、そういう自分の存在を主張したいというかすかな抵抗かもしれない。
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田舎の葬儀

2009-01-10 13:27:52 | 日記
あまり近親の人の葬儀に出たことがないので、最初から最後まで葬儀に参列したことがなかった。
その地域によっても違うと思うが、先日の葬儀の場合は、
斎場でお通夜と告別式をし、火葬場に行き、その後お骨をもってお寺に行き本堂で初七日のお経をあげてもらい、それから墓地に行って埋葬し、その後、また斎場に戻って食事をするのだそうだ。
そうなると、お葬式の日は午前中から始まって終わるのが夕方になるそうである。
私は、その土地について、斎場と火葬場とお寺とお墓の位置関係が全くわからないのだが、母の話では全てを済ませてからタクシーを呼んで駅に戻ったのでは、私が実家に戻って、その日のうちに東京の自宅に戻ることは無理だとのことであり、電車の駅から近いお寺のところで失礼させてもらうことにした。
駅と斎場と火葬場とお寺とお墓と斎場は、みなかなり離れているために、車で移動しなければならない。
途中はマイクロバスでの移動なので乗っていればいいわけだが、お墓や斎場は駅からかなり遠いのだそうだ。
しかし、だからといって自分の都合によって、駅から近い寺でおしまいにするというのも、あまりにも合理的な考えのようで、なんか冷血な人間のような気がしてしまった。
実際、私と母がお墓に向うマイクロバスに乗らずに、駅に向って歩いていると、それを知らなかった叔母のひとりがマイクロバスの窓を開けて身を乗り出し、どうして歩いているのか?と血相を変えて叫んでいたのだった。

多くの参列者は父方の血のつながった兄弟姉妹であり、そこにいくと母は嫁であるため、血のつながりがない。そのうえ父が25年も前に亡くなった後は、母は冠婚葬祭などで行き来はしているものの、住んでいる地域も違うために、いつも一人で電車やタクシーを使うしかない状況だった。
父方の親戚づきあいにおいて、父がいないということは、母にとってかなりの打撃だ。さらに父が早くに亡くなったのは、病気に気がつかなかった母にも原因があるという風に父の兄弟たちに思われていたこともあったようだ。

母には、嫁同士として気の合う人もいる。その人も夫をなくしたので今は母と同じ立場である。前回、叔父が亡くなったときには、お通夜に行って斎場に寝泊りしたそうだが、今回は真冬でもあるし、私も行くので母は泊まるのはやめた。亡くなったのが母からすると夫の姪であり、血のつながりもないということもあって、今回はお通夜には参列しなかった。家が遠いので、お通夜に参列して帰宅し、また翌日告別式にでかけるなどということも無理である。

母の親戚が同じ地域にないではないが、実の兄弟はもう亡くなっていて代が代わっているので、泊まるとなると気を遣うわけだ。近いとは言ってもやはり車でなければ移動できない距離である。その家の人に送り迎えを頼むにしても、その家にはその家の用事があるだろうから気がひける。それで、そのたびにタクシーを呼んで移動することになるから、非常に不便で移動しづらい。
近隣に住んでいて自由自在に自家用車で動き回る人たちと同じような行動はできない。

今回、早めに帰ってきてしまったのは、私が原因でもあった。私が実家に帰ってから東京に帰るのでなければもっと遅い時間までいられたのだ。私が斎場から直接東京に戻ればいいわけだ。だが、そうなると実家に泊まっている荷物をそっちの駅に持って行ってコインロッカーを探して入れておくとかしなければならない。正月早々、喪服のまま東京に帰るのもイヤだなと思った。トイレかどこかで着替えるしかない。
また、母を一人で自宅に帰すのもちょっとかわいそうな気がした。葬式のあと、深夜に誰もいない家に戻って自分で塩をかけて家に入るというのもどうなんだろうか。

葬儀の一部にしか参列できなかったことは、心残りではあった。
親戚はみんな一部始終参列しているし、おじおばの跡取り息子や娘もいるのが普通だ。
私がもう1泊して翌朝東京に戻ればよかった、とか、斎場のそばにホテルでも探し宿泊すればお通夜にも参列できたのでは、とか、いろいろ思ったりした。
親戚には冷血だと思われているに違いない。

お盆にでもお墓参りに行きたいと思うが、私には、従姉の家の行きかたもわからないし、お墓の場所もわからないのである。
また、わかったところで、タクシーを呼んで動くしかないと思うと、お墓でタクシーを待たせるのか、タクシーをあらためて呼ぶのかな、などと思いめぐらし、やっぱりだめだという結論に至る。

夏までに免許? う~ん、どうかな・・・。東名なんか無理だよな・・・。






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従姉の死

2009-01-10 11:03:40 | 日記
正月早々のお葬式の印象は今でも残っている。
血のつながった従姉が癌で急死しのだ。従姉とは子どものころ会ったきりで、最後に会ったのは高校生のころかもしれない。親戚が多いので、特にその従姉妹と言葉を交わす機会もなく、当時の記憶はお互いにあまりないと思う。

そして、私は短大のときから東京に出てきて、そのまま就職、結婚となり、もう30年も故郷の親戚の前に姿を現すことがなかった。従姉は女姉妹のため、お婿さんをもらって実家を継いでいたが、そのようなわけでこの30年間会う機会もなかった。
お互いに20何年も主婦をして、子育てなどしていたわけで、もし生前に会えたなら、いろいろな話ができたかもしれない。

だが、突然の死という知らせで、そのような機会もないままに終わってしまった。
思えば、女のいとこの中では、一番年齢が近かった人である。

生きているその人には会えなかったが、葬儀のときに、やはり30年も会っていない他の従姉弟妹たちに会うこととなった。昔懐かしい従弟妹もいたが、年齢が十歳以上も年下の従弟妹たちがいて、子どものころから名前さえ知らないし、顔も見覚えがない人がいた。そんな人が誰であるのかを確認し、子どものころのわずかな記憶をたどったりして話す機会を得た。
ひにくにも、いとこが亡くなったことで、そんなきっかけが得られたのだ。奇しくも従姉との別れが、親戚同士の出会いになったということだった。

こんなことで新年早々に顔を合わせるというのも悲しいことだが、叔父や叔母、従弟妹たちとの再会というのは、なんとも言えぬあたたかみを感じた。父方の親戚になるのだが、やはり血のつながりというものだろうか。母方の親戚も近所にあるので、母方の人も来ていた。

親戚、しかも長年ほとんど交流のなかった親戚で、習慣も趣味も職業も、住んでいる地域も何一つ共通するものはない。だから、親戚でないならば、関係のない人たちである。
でも、先祖(私から見た祖父母)が同じであるということ、その子どもと婚姻関係で結ばれた配偶者、そしてその子供、ということで、どこかにつながるものがある。

亡くなった従姉妹がそういうつながりを再確認させてくれたのだから、そういう親戚とのつながりを大切にしていきたいと思った。

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やっと週末

2009-01-10 02:05:23 | 日記
今年は、新年初出勤が月曜だったので、いきなり5日間めいっぱい働くことになってしまった。
早く週末にならないかな~と待ち遠しかった。漸く週末だ。

今日は雨でとても寒い。
その上、昨日米を切らしてしまったので、今日は、カッパを着て自転車で帰宅する途中で、米を買って運んできた。米と他の食材と傘とカバンをもってえっちらおっちら団地の階段をのぼると、もうへとへとになってしまった。

米、といえば、昨日は米の炊き方のことで、娘が不機嫌になりそのまま夕飯を食べなかった。
娘はやわらかいご飯が好きではない。
それが、昨日、夕飯を作る時に炊飯器の中を見ると、ご飯が足りないようだったので、保温中のご飯を出して、新しく米を炊いた。
米びつの3合のレバーを動かして米を出し、米を研いで3合分の水を入れご飯を炊いた。
ところが、炊き上がったごはんがぐじゃぐじゃしている。どうやら、米びつの中に米が少なくて、ちゃんと3合でなかったようだった。

ちょっとやわらかすぎるな~とは思ったが、まあ、食べられないことはない程度である。
少し遅れて食卓についた娘は、ご飯がやわらかすぎるという。
3合出したはずが、米が足りなかったらしい、と私が事情を説明すると、「そんなことを聞いてもなんの意味もない」と次女が不機嫌になった。
しかし、こちらとしては、なぜそのような結果になったかを説明して納得してもらいたいわけだ。だが、娘は言い訳は聞きたくないというわけだ。
そこで、やわらかいご飯がいやなら、朝のご飯があるぞと思い、炊飯器から出してあったご飯を再び電子レンジで温めて出してやった。もしご飯が足りていたら、新しいご飯を炊かずに、それを食べていたはずなのだから、それでいいわけだ。
ところが、機嫌を悪くした娘はそれも食べずに、箸を放り投げるとプイっと席を立ってしまった。
あんまりお腹もすいていなかったのか、何か別のことでもとから機嫌が悪かったのかもしれない。それに、こんなわがままなヤツは勝手にすればいいのだ。

それにしても、二十何年も主婦をやっていながら、米を研ぐ時に3合に足りていないことぐらい、勘でわかりそうなものだと我ながら思う。そういえば、水の中で米が重量感なく泳いでいたような気がしたような・・・。
だが、そういうことに神経を集中できないわけだ。夕飯を作るのに真剣さが足りないってことなのだが・・・。ご飯つくるの面倒だな~などと思っていて、おいしいご飯を作ろうという気合がないってことだ。

娘は、そういう母親が気に入らないのだろう。

気合だ!気合だ!気合だ!気合だ!・・・・・・・・・・

ああ、疲れるなあ~

今日は、ちょっとだけ気合を入れて手作りハンバーグを作りましたが、娘は友人と外食をしてきました。

気合は入らないよな~

明日は休みだ! ゆっくりしよ~

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