ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/02/26 さいたまネクスト・シアター第3回公演「2012 ハムレット」に予想外の号泣!

2012-03-04 22:49:43 | 観劇

彩の国さいたま芸術劇場の高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」と若手演劇集団「さいたまネクスト・シアター」のいずれも刺激的な公演が続き、劇場から自転車で10分というところに住んでいる私は毎回観るようになっている。
蜷川幸雄のドキュメンタリー番組=NHK「若者よ 心をぶつけろ~演出家・蜷川幸雄 -格闘の記録~」の感想はこちら

そのネクスト・シアター第3回公演は『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』。蜷川幸雄が相当思い入れている「こまどり姉妹」の特別出演をからませての舞台ということだが、私にはこまどり姉妹が実際に歌っているところをTV等で見た記憶がない(双子のデュオではザ・ピーナッツは知っているのだが、微妙に私のTV歴とずれているらしい)。

玲小姐さんが朝日新聞の「蜷川幸雄 人生教室」の連載の切り抜きをくれたのを事前に読むくらいで観劇。それでもチラシ(冒頭の写真)にもあるような和服で演歌を歌う双子の姉妹は、どんな風に舞台とからむのかという感じで観た。

大劇場の舞台上に特設されるインサイドシアターは、三方にパイプ椅子を並べる客席を階段状に設け、中央のすり鉢の底が舞台となる。さらに今回はその舞台は分厚いアクリル板で仕切られて階下が見える二重構造になっていた。
自由席制の公演で、開演ぎりぎりに入ったらやはり正面の席は満杯で、左脇の最上の席に陣取る。階下には、開演を待つネクスト・シアターの若い役者たちが打合せに使いそうな机と椅子が並ぶ中、私服から着替えたり談笑している。その中を黒いシャツとズボンのいつもの姿の蜷川幸雄が若者たちに声かけをしながら通るのも見える。

階下の全てがはけて開幕。階下との出入り口は4箇所。必要な時に開閉・ロックが繰り返される演出。必要な場所に階段が滑ってきて設置される。そこから衛兵の二人が躍り出てきて、城壁の上になり、先の王の幽霊が出てくる。そうくるか!

特設の小劇場であり、階下の声もしっかり聞こえるので支障なし。別れを惜しむ人物どうしが階上と階下でアクリル板をはさんで指と指を合わせる場面もある。劇場スタッフに「今回は俯瞰してみる方がよいと思いますので、上の方の席もいいですよ」と声をかけられたのも納得。
扇田昭彦の『蜷川幸雄の劇世界』を読みこんだ後の観劇なので、蜷川演出における多層構造の装置のもつ役割なども噛みしめながら観る。

若い役者たちの演技は熱い。ハムレット(川口覚)とオフィーリア(深谷美歩)は若く瑞々しく、クローディアス(松田慎也)とガートルード(土井睦月子)のような役まで嘘くさくない大人の男と女としての存在を感じられるほどで観ていて感心至極。
デンマーク王宮にいる貴族や家来たち大勢の場面は、赤い衣装の上に赤い薄布を被って個性を消して並ぶ。デンマークの国旗の「ダンネブロ」の赤のイメージだろうか(「Dannebrog」=デンマークの力・赤い布の意味)。階下に居並んでも赤が映える。一方、フォーティンブラス率いるノルウェー軍は青。これも国旗由来の色だろうと推測(ノルウェーの国旗の説明を読むとデンマークとの関係も見えてくる)。

ハムレットの独白(これで今回の翻訳は河合祥一郎と確認)に続き、祈祷中のオフィーリアと出会い、気持を確かめるオフィーリアを振り切る場面。ハムレットは単なる狂気のふりをしているのではなく、愛する母の堕落に直面して女への愛を抱き続けることへの望みを失い、父のための復讐をやり遂げられるのかという不安に苛まれている。オフィーリアは王子の愛を信じて膨らませていた娘らしい希望が粉々になってしまった絶望に打ちひしがれている。
そこに突然、舞台奥の黒いカーテンが開いてスポットが当たり、振袖姿のこまどり姉妹が登場し、「幸せになりたい」を熱唱し、二人のいる舞台中央にやってくる。想定外の場面の登場に驚き、双眼鏡でしっかりお顔を確認し、相応のお年なのに遠目で見ると綺麗なのは老女形と同じだなぁと脱線しながら見つつ、歌詞をよくよく聞いていて・・・・・・閃いた。
「そうか、この二人は幸せになりたかったのになれなかった二人なんだ!」
こまどり姉妹の圧倒的な存在感に負けずに主役二人は舞台にいなければならないプレッシャーに負けてはいなかったし、精一杯生きながらも幸せになることを運命が赦さなかった悲劇が浮かび上がった。

こまどり姉妹が登場したのはここだけではない。階下に登場して階上の人物を心配そうに見つめたし、最後に登場したことに圧倒された。

蜷川版「ハムレット」は、古くは渡辺謙主演版をTVで、市村正親主演版をさいたま芸術劇場で、藤原竜也主演版を日生劇場で観ている。
市村正親主演版で登場した成宮寛貴フォーティンブラスは鎖ジャラジャラのパンク姿。バイクに乗って登場し、なんと最後は自動小銃を撃ち放ち、デンマーク王宮にいた全員を殺してしまった。その時の私は怒り心頭モードで、「戦争の砲弾を音を流して戦争の惨さを強調していたとはいえ、ハムレットが自分がしたことの真実を後世に伝えるように遺言したホレイショーまで殺す演出はひど過ぎる」とアンケート用紙に書いたものだ。

今回の中西晶フォーティンブラスも鎖ジャラジャラ姿だったので、嫌な予感がしていた。そして、最後の場面・・・・・・。部下に命じてデンマーク王宮の人々を階下で射殺し、階上に上がってきて、ホレイショーを自ら撃ち殺した。やはりBGMには砲弾の落ちてくる音、炸裂する音が流れてきた。さらにここでこまどり姉妹が登場したことに電撃的なショックが走った。

日本を占領したアメリカ軍のしたことを想起した。そうか、権力を奪ったものは事実を隠蔽することがあるんだ!何も正確な歴史を残す必要はないということだ。
フォーティンブラスは、デンマーク王室にスキャンダルが起こり、そこからの内紛で王族が全て死に絶えた後を王位継承権を主張できる自分が通りかかり、タナボタ的にデンマークの領土を我が物にしたということを周知する必要がないと即座に判断し、生き証人は全て口封じしたという演出だろう。

Wikipediaの「こまどり姉妹」の項はこちら
日本の敗戦後、食うや食わずになった日本の庶民たち、生きるために必死で歌い、逞しく生きてきた双子の老姉妹の存在感のイメージがここで重なった。そして、前回の舞台ではそこまで読み取れず、単に怒りを爆発させてしまった自分が恥ずかしくなった。
蜷川幸雄の演出の奥深さを自分のイメージも深く広くしながら味わって観ることができるようになったこと、そういう舞台を観ることができたことが幸せなんだろうなぁと感極まってきた。
滂沱の涙とともに、嗚咽があふれて恥ずかしかったが抑えることができなかった・・・・・・。

アンケートを書いても蜷川さんは読まないというのを何かで読み、アンケートを書かなくなっていた私だが、今回はさすがに最後の演出がわかるようになったことを一言書いてきた。
蜷川版の「ハムレット」では最高の舞台になったのではないかと思う。
ゴールド・シアターとネクスト・シアターの公演は、大きな劇場での商業公演と違った大胆な実験的で刺激的な舞台が続いている。地元でもあり、しっかり観ていく決意を固めている。
日数がたってしまったが、頑張ってブログにもアップした次第。

2009年10月公開の映画「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の公式サイトはこちら
上記の映画は「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のパロディ的なタイトルのようだが、機会があれば是非観たいと思っている。


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