さいたまネクスト・シアターの公演は第1回「真田風雲録」、第2回「美しきものの伝説」、第3回「ハムレット」を観て、今回の第4回公演は「オイディプス王」。
「ハムレット」に続き、「蒼白の少年少女たちによる」とつけているのはなぜだろう。少年少女というのはちょっと言い過ぎのような気がするが、過去に何回も演出している作品をネクスト・シアターの若手役者たちで上演するということの強調だろうか?
【2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」】
公式サイトの公演情報はこちら
蜷川の「オイディプス王」は高校時代に1976年の当時の染五郎主演の舞台、2000年代の野村萬斎主演の初演の舞台を観ている(2005年にTVでアテネ公演のオンエアを観た時の記事はこちら)。
劇場のサイズは日生劇場→シアターコクーン→さいたま芸術劇場大劇場インサイドシアターとどんどん小さくなり、コロスの人数も20数人まで絞り込まれている。ところがその小さい空間で若者たちがぎりぎりまで追い詰められて爆発させたようなエネルギーに満ちた舞台は、ものすごい迫力で迫ってきた。
昨年さちぎくさんから長唄の三味線さんが蜷川さんの役者さんたちに教えにいっているという話を聞いていたので、おそらく「オイディプス王」のコロスで使うのだろうと予想した。洋の東西を超えて、古典劇ということで日本の古典芸能の楽器を弾かせることで、若手の役者たちへ重量パンチ級の負荷をかけたのだろうと推測したが、まさに的中。
20数人の若者たちが津軽三味線のような情念をたたきつけるように細棹の三味線を弾じている。コロスなら太棹の低音の方がよさそうだが、さすがに太棹三味線では大きすぎて邪魔になるし、弾きこなせるようになるのは難しすぎだろうなぁと納得した。この人数で揃わなかったらただ煩いだけになってしまうのに、よくぞここまで揃えたなぁと感心至極。死病が広がり、若い王がなんとかしてくれることを必死に嘆願するテーバイの民の渦巻くようなエネルギーが立ち上っていた。
それを受けとめる王オイディプスはクレオンと入れ替わるダブルキャストで、千穐楽は小久保寿人だった。上半身がさらけ出されるような衣装。小久保は美男タイプではないが、全く無駄な脂肪がなく筋肉が浮き出て、台詞をしゃべるたびに腹筋が大きく動く身体は汗で光っている。まるで磔刑の十字架の上のキリスト像のような身体に見える。不吉な神託から逃れるために故郷を離れ、テーバイに禍をもたらしたスフィンクスの謎を解いて先王の死後に新しい王に迎えられたというこれまでの波乱に満ちた日々を、勇気と誇りをもち、若さからの短慮で血気にはやることもあってここまできたらしいというイメージがすんなりと重なる。さらに、赤ん坊の時に捨てられた時、両足は穿たれて革のひもで縛られていたというイメージも十字架のキリストにつながるかも・・・・・・などとイメージが広がっていく。
対する王妃イオカステの弟クレオンの川口覚は、前回のハムレットであり、憂いに沈む二枚目が似合う美男だが、突然の義兄の猜疑心に振り回される苦悩がよく出ていた。そして最後に破滅したオイディプスに変わってテーバイを治めていく王になるのにふさわしい気品があった。
そして、王妃イオカステは予想通りの土井睦月子。前回はハムレットの母のガートルード。若手ながら大人の女の業をぷんぷんと漂わせる。この3人が、20数人のコロスの迫力に伍して、神の運命に翻弄される王族の悲劇を際立たせた。
三方を階段状にした客席で舞台奥に対面する階段部分は客席であっても王宮の階段に見立てられ、具体的な装置は何もない。それでも圧倒的に状況が湧きあがるイメージで迫ってくるという舞台に圧倒されてしまった。
そして神に弄ばされながら必死で生きている存在である人間を描き出すドラマのギリシャ劇の高揚は流血でしめくくられた。小久保の見事な上半身が自らつぶした両目からあふれる血で染まるという様式美!血が滲んだ包帯を巻いたミイラのような人形をコロスの何人かの男に背負わせていたのもその運命の暗示だったのだろうか?
みごと、ネクスト・シアターの今回の企てにもしてやられた!演出補の井上尊晶が引き継いだそのバトンタッチも見事だったと思う。素晴らしい師弟だね。
前回公演の「ハムレット」で、第20回読売演劇大賞優秀作品賞、最優秀演出家賞、優秀スタッフ賞を受賞したと話題になったのに、蜷川幸雄ご本人は入院して手術を受けられ、千穐楽のカテコにも姿がなかった(吉田鋼太郎さんがいち早くスタオベしていたけど)。
おーい、蜷川さん、絶対元気になって戻ってきてくださいよ。同じ埼玉県人として誇りに思うし、次の舞台も楽しみだし、私の力の大きな源だし、本当に元気になってくれなくては困ってしまいますからね。その願いをこめて、書きだしたら、一気に書いてしまった次第。
彩の国さいたま芸術劇場1階ガレリアで開催されていた「蜷川幸雄×ギリシャ悲劇 舞台写真展」も堪能した。
そして、最後にひとつ。昨年12月の「日の浦姫物語」では近親相姦で生まれた娘は最後に幸せになっていた。かたやオイディプスの2人の娘はいったいどうなるのだろうとちょっと気になった。その一人アンティゴネについてはギリシャ悲劇の物語があるという。
ネット検索したらWikipediaの「アンティゴネー」の項がみつかった。やっぱり悲劇だった(T-T)
(2/28追記)
第20回読売演劇大賞授賞式に蜷川さん復活!今回の入院手術を自ら語ったが、記者から今後の仕事のセーブについて聞かれると「ない、ない、絶対にない」と答え、これからも若いもんと競っていくと意気軒昂の様子だったとか。泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようだねぇ。ハイ、役者もスタッフも引き連れて長く泳ぎ続けてくださいね。
「ハムレット」に続き、「蒼白の少年少女たちによる」とつけているのはなぜだろう。少年少女というのはちょっと言い過ぎのような気がするが、過去に何回も演出している作品をネクスト・シアターの若手役者たちで上演するということの強調だろうか?
【2013年・蒼白の少年少女たちによる「オイディプス王」】
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蜷川の「オイディプス王」は高校時代に1976年の当時の染五郎主演の舞台、2000年代の野村萬斎主演の初演の舞台を観ている(2005年にTVでアテネ公演のオンエアを観た時の記事はこちら)。
劇場のサイズは日生劇場→シアターコクーン→さいたま芸術劇場大劇場インサイドシアターとどんどん小さくなり、コロスの人数も20数人まで絞り込まれている。ところがその小さい空間で若者たちがぎりぎりまで追い詰められて爆発させたようなエネルギーに満ちた舞台は、ものすごい迫力で迫ってきた。
昨年さちぎくさんから長唄の三味線さんが蜷川さんの役者さんたちに教えにいっているという話を聞いていたので、おそらく「オイディプス王」のコロスで使うのだろうと予想した。洋の東西を超えて、古典劇ということで日本の古典芸能の楽器を弾かせることで、若手の役者たちへ重量パンチ級の負荷をかけたのだろうと推測したが、まさに的中。
20数人の若者たちが津軽三味線のような情念をたたきつけるように細棹の三味線を弾じている。コロスなら太棹の低音の方がよさそうだが、さすがに太棹三味線では大きすぎて邪魔になるし、弾きこなせるようになるのは難しすぎだろうなぁと納得した。この人数で揃わなかったらただ煩いだけになってしまうのに、よくぞここまで揃えたなぁと感心至極。死病が広がり、若い王がなんとかしてくれることを必死に嘆願するテーバイの民の渦巻くようなエネルギーが立ち上っていた。
それを受けとめる王オイディプスはクレオンと入れ替わるダブルキャストで、千穐楽は小久保寿人だった。上半身がさらけ出されるような衣装。小久保は美男タイプではないが、全く無駄な脂肪がなく筋肉が浮き出て、台詞をしゃべるたびに腹筋が大きく動く身体は汗で光っている。まるで磔刑の十字架の上のキリスト像のような身体に見える。不吉な神託から逃れるために故郷を離れ、テーバイに禍をもたらしたスフィンクスの謎を解いて先王の死後に新しい王に迎えられたというこれまでの波乱に満ちた日々を、勇気と誇りをもち、若さからの短慮で血気にはやることもあってここまできたらしいというイメージがすんなりと重なる。さらに、赤ん坊の時に捨てられた時、両足は穿たれて革のひもで縛られていたというイメージも十字架のキリストにつながるかも・・・・・・などとイメージが広がっていく。
対する王妃イオカステの弟クレオンの川口覚は、前回のハムレットであり、憂いに沈む二枚目が似合う美男だが、突然の義兄の猜疑心に振り回される苦悩がよく出ていた。そして最後に破滅したオイディプスに変わってテーバイを治めていく王になるのにふさわしい気品があった。
そして、王妃イオカステは予想通りの土井睦月子。前回はハムレットの母のガートルード。若手ながら大人の女の業をぷんぷんと漂わせる。この3人が、20数人のコロスの迫力に伍して、神の運命に翻弄される王族の悲劇を際立たせた。
三方を階段状にした客席で舞台奥に対面する階段部分は客席であっても王宮の階段に見立てられ、具体的な装置は何もない。それでも圧倒的に状況が湧きあがるイメージで迫ってくるという舞台に圧倒されてしまった。
そして神に弄ばされながら必死で生きている存在である人間を描き出すドラマのギリシャ劇の高揚は流血でしめくくられた。小久保の見事な上半身が自らつぶした両目からあふれる血で染まるという様式美!血が滲んだ包帯を巻いたミイラのような人形をコロスの何人かの男に背負わせていたのもその運命の暗示だったのだろうか?
みごと、ネクスト・シアターの今回の企てにもしてやられた!演出補の井上尊晶が引き継いだそのバトンタッチも見事だったと思う。素晴らしい師弟だね。
前回公演の「ハムレット」で、第20回読売演劇大賞優秀作品賞、最優秀演出家賞、優秀スタッフ賞を受賞したと話題になったのに、蜷川幸雄ご本人は入院して手術を受けられ、千穐楽のカテコにも姿がなかった(吉田鋼太郎さんがいち早くスタオベしていたけど)。
おーい、蜷川さん、絶対元気になって戻ってきてくださいよ。同じ埼玉県人として誇りに思うし、次の舞台も楽しみだし、私の力の大きな源だし、本当に元気になってくれなくては困ってしまいますからね。その願いをこめて、書きだしたら、一気に書いてしまった次第。
彩の国さいたま芸術劇場1階ガレリアで開催されていた「蜷川幸雄×ギリシャ悲劇 舞台写真展」も堪能した。
そして、最後にひとつ。昨年12月の「日の浦姫物語」では近親相姦で生まれた娘は最後に幸せになっていた。かたやオイディプスの2人の娘はいったいどうなるのだろうとちょっと気になった。その一人アンティゴネについてはギリシャ悲劇の物語があるという。
ネット検索したらWikipediaの「アンティゴネー」の項がみつかった。やっぱり悲劇だった(T-T)
(2/28追記)
第20回読売演劇大賞授賞式に蜷川さん復活!今回の入院手術を自ら語ったが、記者から今後の仕事のセーブについて聞かれると「ない、ない、絶対にない」と答え、これからも若いもんと競っていくと意気軒昂の様子だったとか。泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようだねぇ。ハイ、役者もスタッフも引き連れて長く泳ぎ続けてくださいね。
私は女子高に長唄部があったので、体験入部で三味線に触ったことがあるんですよ。中学時代に必修クラブのギター部に入ってちょっとだけクラシックに挑戦し、すぐにフォークのコード演奏に切り替えてしまったのですが、ですから弦楽器の左の弦の押さえの指の痛さはよく知っています。
ギターは押さえる場所がフレットという横棒があるのでわかりやすいけれど、フレットなしの弦楽器を弾きこなせる人は尊敬に値すると私の実感として思ってます(^^ゞ
それをコロスの20数人が動きながら台詞もいいながらの演奏をあそこまで揃えてきたことに感心至極でした。またお会いした時には身振りつきでお話ししますね(笑)