ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/04/24 御名残四月大歌舞伎(3)菅原伝授手習鑑「寺子屋」

2010-04-27 23:59:30 | 観劇

今月の第一部の「熊谷陣屋」ともどもに子どもをお身替りにして首を差し出す悲劇つながりということで、「寺子屋」の感想を続けてアップする。
「寺子屋」は5回目。2006年の秀山祭「NHK古典芸能鑑賞会」2007年の12月歌舞伎座、2008年11月歌舞伎座(未アップ)と観てきた。
今回の「寺子屋」は、先月の「菅原伝授手習鑑」の半通し上演を踏まえて観ることになる。

【菅原伝授手習鑑 寺子屋】
今回の主な配役は以下の通り。
松王丸=幸四郎 千代=玉三郎
武部源蔵=仁左衛門 戸浪=勘三郎
園生の前=時蔵 菅秀才=金太郎
涎くり与太郎=高麗蔵 百姓吾作=錦吾
春藤玄蕃=彦三郎

冒頭の寺子たちの手習いの自習中に、涎くり与太郎が菅秀才にたしなめられ、他の子どもたちにも馬鹿にされて苛められるというチャリ場は実は重要。そこに戻ってきた武部源蔵の不機嫌至極な様子の対照が、これからの悲劇の幕開けを印象づける。
仁左衛門の芝居が実にわかりやすいので、冒頭から「寺子屋」の世界にしっかり入っていける。勘三郎は第一部で喉を使っていないためか女方の戸浪の声がいつもよりはかすれ具合がましなのがよい。源蔵の恐ろしい計画を聞いてたじろいだものの、菅丞相への恩義のためと割り切って夫への協力を約束する。普通は共感しにくい設定なのだが、先月の「筆法伝授」で源蔵夫婦と菅丞相の関わり、菅秀才を背負って落ち延びさせた件を観たばかりなので、寺子はわが子同然なのにその命を奪って忠義をつくさなければならないと嘆きつつ決意を固める源蔵夫婦の姿に気持ちが寄り添っていきやすい。義太夫の「せまじきものは宮仕え~」が重なっていく場面はすごいと思った。

毎回「筆法伝授」つきで観るのは退屈しそうだが、「寺子屋」だけで観る場合、役者の台詞だけで想像しなければならない。前段の物語を観客が承知していることでドラマを深く味わえるわけで、見取り上演中心の時代ではあっても通し上演企画もうまく盛り込んでもらいたいと思った。

幸四郎の松王丸は百日鬘に病鉢巻をしめて黒地に雪持ちの松の衣裳で登場。貫目があっていい。赤っ面の彦三郎の春藤玄蕃と並んで寺子の顔あらためも退屈しない。
源蔵内に入っての対峙の緊張感も素晴らしい。松王丸にプレッシャーをかけられて、源蔵が一気に小太郎の首を打つ覚悟を固めるところの仁左衛門の気持ちのため具合、その反動の効いた瞬発力の大きさがメリハリのはっきりした芝居が堪らない。
奥で源蔵が首打つ気合声が聞こえた時の松王の切ない表情も要チェック。首実検の場面は幸四郎の見せ場でもあるが、全身を張り詰めて見守る仁左衛門の源蔵とのバランスが絶妙。

首実検を乗り越えてホッとして喜ぶ源蔵夫婦に次の試練がやってくる。小太郎の母の千代が迎えにきたのだ。玉三郎の千代は登場から凛としていて美しい。仁左衛門の源蔵が隙をみて斬ろうとし、「ハハ」「ホホ」とお互いを諮る場面もゾクゾクもの。源蔵が振り上げる刀を文庫でしのぎ、手習い帳やら紙などを投げつける場面は、桜姫が清玄の出刃包丁に経文を投げつける場面を彷彿とし、歌舞伎ならではの絵になる演出だなぁと感心。また千代に戻って「若君菅秀才のお身替り、わが子はお役にたちましたか」「まだか、それが聞きたい」と極まる立女形の見せ場。文庫に入った経帷子に南無阿弥陀仏の六字の旗を示して握り締めながら覚悟の仕儀だとのくどき。

源蔵の門口から短冊の結ばれた松の枝が投げ込まれ「倅はお役にたったぞ」と松王が登場。敵と思っていた松王の本心が吐露される。仁左衛門と対峙する幸四郎の口跡はあきらかによく、松王丸の悲劇がくっきりと浮かび上がる。
三つ子の兄弟に生まれながら自分だけ時平に仕えたための菅丞相の敵方として憎まれた苦しい心情を「なにとて松のつれなかるらん」と思いやってくれた丞相の恩に報いるために小太郎を身替りに差し出したという。丞相流罪の責めを負って切腹した弟の桜丸の悔しさを思いやって泣き、「その叔父御には小太郎が会いまする」という千代の慰めの言葉!この松王夫婦の背負う悲しみの大きさに胸がつまる。こういう悲劇の松王には幸四郎は実にニンだと思う。

源蔵夫婦がわが子同然の寺子をお身替りにするつらさを嘆いたが、実の子どもをお身替りにした松王夫婦のつらさ悲しさの比ではない。ここに忠義を貫く二組の夫婦の悲劇を同心円で増幅させるという作劇の工夫の凄さにも感心至極。

自分のために犠牲になった子どもがいたことを菅秀才は嘆いてくれ、そこに松王が探し出してきた園生の前を菅秀才と引き合わせる。二組の夫婦に目がいっているとついつい忘れがちになるのだが、永久に別れ別れとなった松王親子との対照がきかせてあったと今回ようやく気がついた。時蔵の園生の前に存在感があって、玉三郎の千代との対照が浮かび上がる。
「熊谷陣屋」の相模と異なり、夫とともに覚悟を決めた千代。二つの狂言の母親の対照も浮かび上がる。これだから歌舞伎の世界は奥が深い。

夫婦2組の主の母子による小太郎の野辺送り。「いろは送り」の義太夫にのせて「菅原伝授手習鑑」の世界がしめやかに締め括られる。
歌舞伎座さよなら公演の中での「加茂堤」「車引」「賀の祝」「筆法伝授」「道明寺」を思い出す。やはり名作狂言だなぁという思いつつ、今回の「寺子屋」が歌舞伎座での上演締め括りにふさわしかったと大きな満足を得られたのが有難いと思う。

写真は、公式サイトより御名残四月大歌舞伎のチラシ画像。
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