ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/03/28 歌舞伎座御名残三月(7)菅原伝授手習鑑「道明寺」千穐楽

2010-04-23 23:59:28 | 観劇

「菅原伝授手習鑑」の通し上演が少ないことについて考えたことを先に書いてみた。第三部は千穐楽の観劇。順不同になったが「道明寺」で締め括ろう。
【菅原伝授手習鑑 道明寺】
2006年3月の「道明寺」の感想はこちら
今回の主な配役は以下の通り。
菅丞相=仁左衛門 覚寿=玉三郎
苅屋姫=孝太郎 立田の前=秀太郎            
宿禰太郎=彌十郎 土師兵衛=歌六             
奴宅内=錦之助 贋迎い弥藤次=市蔵
判官代輝国=我當

今回の「道明寺」は13代目仁左衛門と14代目勘弥の追善狂言と銘打たれ、玉三郎が覚寿を初役で出ることが話題となった。私がリクエスト投票で書いた時は玉三郎の苅屋姫を想定していたし、予想外。玉三郎は歌舞伎座さよなら公演で六世歌右衛門がつとめたお役をつとめるということを何かで書かれていた。三婆のひとつ覚寿をつとめるという覚悟に立女形の集大成の時期に入ってきたのだなぁと深い感慨を抱いてしまった。

「加茂堤」でも書いたが、孝太郎の苅屋姫が押し出し良くなってきて赤姫が似合うようになってきた。秀太郎の立田の前との姉妹のやりとりも情感があってよい。そこに玉三郎の覚寿が登場しても、先月の「ぢいさんばあさん」で見慣れているからか老女姿の玉三郎に違和感なし。「杖折檻」で前回は芝翫の台詞がききとりやすいものではなかったのだが、玉三郎はしっかりと語ってくれて実の母と娘のドラマが立ち上がってきてここぞ見せ場なのだとよくわかった。

歌六の土師兵衛と彌十郎の宿禰太郎の父子による謀議を物陰から聞いてしまい、思いとどまらせようとする秀太郎の立田がいじらしい。彌十郎の太郎がなかなか愛嬌があるので立田の前が夫への愛情をにじませるのも無理がないと思わせる。しかしながら父の指示を優先させる太郎に殺される立田は実に哀れだし、最後に覚寿に成敗される太郎もちょっと可哀想な感じがしてしまう。
大宰府に向かう前に伯母の覚寿に暇乞いにきた菅丞相。自らの姿を写した木彫りの坐像は、今回見ると北陸で飾られる像にそっくりだとあらためて思った。その像に魂がこもったことから何度も起きる奇跡。贋の迎えに応じて輿に乗る菅丞相を演じる仁左衛門の人形の動きにも目が釘付け。人間の時と人形の時の演じわけも。仁左衛門贔屓はしっかりチェックしてしまうだろう(笑)

立田の前の姿が見えなくなって家来たちが探し回り、奴宅内が池の渕の血糊を見つけて池に潜る。この宅内を錦之助がというのが意外で嬉しい。濡れ衣を着せられての情けない顔もキュート!(^^ゞ
一転、覚寿が真相を見抜き、太郎を成敗。覚寿の気丈さを立女形の芝居で玉三郎がしっかり見せてくれた。本当の護送役の判官代輝国の我當が堂々としていい。三兄弟と孝太郎の松嶋屋が揃って立派な追善狂言となった。

出立の前の仁左衛門の芝居。前回は上手の部屋の障子があいて池を見込んでの思い入れで落涙という感じだったが、今回はその前の台詞から涙があふれる。自分が暇乞いにこなければ伯母は娘も婿も失わずにすんだろうと嘆いて涙するのだ。

そして今回幕切れで初めて気がついたこと。覚寿が苅屋姫を隠した籠に小袖をかけて丞相に餞別と渡したのは、最後に二人に別れをきちんとさせようとしたのだと思っていた。しかしながら姫は斎世親王のもとには行けないのだし、丞相に姫を伴わせようとしたのだ!
その気持ちも受けとめながら、丞相は老いて姉娘を亡くした伯母御の側にこそ妹娘を残すことにした。親と子の別れだけではなく、伯母と甥の別れの情が通い合いが重なる幕切れなのだとわかった。当代仁左衛門と玉三郎のコンビの芝居でこそ見えてきたことだ。

学者にふさわしく理性で自らを制し、娘ではあれ罪を犯した者を見ないで行くのだというふうに頑なに姫と顔を合わすまいとする丞相。しかし、顔を隠した檜扇を娘に形見として与え、その見せない顔は涙に濡れている。最後の最後、顔の表情の見えるぎりぎりのところでついに振り返ってしまい、道真の感情が理性をふりきるところを見せる。その別れがたい思いを振り切るように、袖を巻き上げて去っていく。
双眼鏡で仁左衛門の涙につられて私も滂沱の涙があふれてしまう。神のようで人間味が垣間見える仁左衛門の菅丞相。歌舞伎座での最後という思いもこめて忘れることはできないだろう。
写真は、歌舞伎座のロビーにあった13代目仁左衛門17回忌と14代目守田勘弥37回忌の追善の供養台を携帯で撮影。2階ロビーの展示コーナーにあった勘弥が着た覚寿の被布はこちら。女方の舞台写真で玉三郎が驚くほど似ていると思えたものもあった。
3/22御名残三月大歌舞伎(1)菅原伝授手習鑑「加茂堤」
3/22御名残三月大歌舞伎(2)菊吉の「楼門五三桐」
3/22御名残三月大歌舞伎(3)玉三郎の「女暫」
3/22御名残三月大歌舞伎(4)菅原伝授手習鑑「筆法伝授」
3/22御名残三月大歌舞伎(5)菊吉の「弁天娘女男白浪」
3/28御名残三月大歌舞伎(6)天王寺屋父子の「石橋」千穐楽


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2 コメント

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感想アップお疲れさまでした (六条亭)
2010-04-24 23:39:26
ぴかちゅう さま

先日の「道明寺」観劇では席がお近くになったという偶然がありましたが、感想アップはこの花粉症の季節、さらには今年のように寒暖の差が激しいと体調管理がきついですね。三月の感想完結お疲れさまでした。

「菅原伝授手習鑑」が通し上演されにくいのは「お公家さんの世界が歌舞伎に馴染まないのでは」というご意見は説得性がありますね。ただ、私はこの道明寺を十三代目仁左衛門さんで観ていていますから、あまりの神々しさに菅原道真はこういう人だったのではないかと納得しています。少しでも多くの方々にこの場の良さを知って欲しいと思いますから、今回の仁左衛門さんと玉三郎さんの上演は画期的なものだったと高く評価したいですね。

TBをうちました。

(追って)ほかの記事も含めて「加茂堤」が「賀茂堤」と表記されている箇所があります。
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★六条亭さま (ぴかちゅう)
2010-04-25 00:21:39
「菅原伝授手習鑑」が通し上演されにくいことを考えた記事にもお目通しいただき、有難うございますm(_ _)m
>「お公家さんの世界が歌舞伎に馴染まないのでは」......私は歌舞伎には馴染んでいると思うのですが、現代の多くの日本人の感覚に馴染まないのではないかと考えたのです。
当代仁左衛門丈と玉三郎丈によるリアルさも加味した演じ方によって、縁遠いお公家さんの世界の物語というだけではなく、現代の私たちにもわかりやすい人間ドラマとしての「道明寺」になっていたような印象をもちました。お二人による「道明寺」の進化を私ものぞんでいます。
>「加茂堤」が「賀茂堤」と表記されている......ご指摘有難うございます!早速に「賀茂堤」で検索してひっかかった記事を全部修正しました。これからもお気づきの点はご指摘くださいますよう、お願い申し上げますm(_ _)m
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