ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/03/26 歌舞伎座千穐楽の元禄忠臣蔵④「南部坂雪の別れ」

2009-04-02 23:59:30 | 観劇

元禄忠臣蔵の後半の3人の内蔵助が揃った夜の部も千穐楽で堪能してきた。さて團十郎初役の内蔵助はどんな感じだろうか?
【元禄忠臣蔵「南部坂雪の別れ(なんぶざかゆきのわかれ)」】(二幕)
あらすじと配役は公式サイトより引用加筆。
<第一幕 芝高輪泉岳寺境内>元禄15年12月13日の午後、内匠頭の逮夜ということで堀部弥兵衛(家橘)たちが墓参にやってきている。大石内蔵助(團十郎)が仇討ちのために江戸へ出立したが脱落する者も多く、弥兵衛たちは憂慮している。既に切腹してしまった萱野三平の乳兄弟の羽倉斎宮(我當)も墓参にやってきた。やがて内蔵助も墓参に姿をみせて老人たちが目立つ行動をすることを嗜め、羽倉の討入りの手引きの申し出も断ると羽倉に罵倒される。
<第二幕 三次浅野家中屋敷>
内匠頭の未亡人瑤泉院の住む屋敷では、奥家老落合与右衛門(東蔵)を始め、腰元のおうめ(芝雀)や夜雨(高麗蔵)、みゆき(芝のぶ)たちが、内蔵助の動向を噂している。ここへ内蔵助が入来し、瑤泉院(芝翫)と対面するが、内蔵助はその真意を明かさないので、瑤泉院は怒って座を立ってしまう。そして内蔵助は、和歌を認めた冊子を与右衛門に託して辞す。
内蔵助が門から出たところに羽倉が瑤泉院への和歌の指南にやってきて、いつまでも仇討ちをしない内蔵助を批難打擲して中に入って行く。入れ違いに落合がまろびでて、内蔵助の真意を知って謝る。冊子の中身から瑤泉院ともども内蔵助の真意を悟ったのだ。窓から瑤泉院が姿を現して先ほどの非礼を詫び、こんな家臣たちをもった内匠頭は幸せだという。そこに寺坂吉右衛門(松江)が吉良が14日には屋敷にいるという情報をもたらす。内蔵助は瑤泉院に15日暁までには吉報をと約して去って行く。

泉岳寺境内でも三次浅野家門外でも雪布を敷き詰めた舞台が美しく、雪の日の討入りのイメージにつながっていく。
我當が正義感に燃えてはいるが思慮の浅い人物という国学者の羽倉斎宮のいかにもという存在感。台詞もハキハキと善意と正義感の押し付けぶりが憎めない。しかしながら足の具合が悪いのか「江戸城の刃傷」の田村役でも立ち上がるのに介添えを受けていたが、雪の中を歩くこの役ではあまりそれが目立たなかった。

その羽倉にねめつけられ、落合にも瑤泉院にも真意を明かさずにじっと耐えて辛抱する内蔵助を團十郎が好演。1月の「象引」で復帰を祝ったが、隈取のない今回は顔が一回り小さくなったなぁと思った。それにしても内蔵助が決死の覚悟で討ち入るという真意を秘めているという雰囲気が身体中から立ち上るようだった。やはり現実に死と向かい合った経験も大きいのではないかと思えた。

芝翫も初役の瑤泉院ということだが、歌舞伎座さよなら公演にふさわしいキャストだろう。東蔵の落合が内蔵助の表向きの態度にがっかりして冷たくしたりそれを反省して謝ったりする姿が柔らかくて好感をもった。奥家老にこういうもの柔らかな人物がいることで瑤泉院も余生を過ごしやすかろうとまで思えてしまう。

しかしながら多くの家臣団が討入りに向かうということを知って吉報を待つまでの瑤泉院はどんな気持ちだったのだろう。さらに彼らが本懐を遂げた後、この忠義の家臣たちが切腹になった時ははどんな思いを抱いたのだろう。この時代に生きた人間は現代の私たちとは違った感覚をもっていたのだろうと思うが、それでもやはりそういうことにも思いが至る幕切れだった。

今回の「元禄忠臣蔵」のポスターやチラシの團十郎内蔵助を携帯でアップで撮影。
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵①「江戸城の刃傷」
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵②「最後の大評定」
3/20歌舞伎座の元禄忠臣蔵③「御浜御殿綱豊卿」


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