Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

「美しき水車小屋の娘」曲目解説(No.2079)

2012-07-06 21:29:44 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
本日号は「狂気の沙汰」ほど長い(爆
前号で書いた 7月11日演奏会のプログラムノート全文だ。毎回のことだが、誤字脱字が多く(← 猫頭なのでやむなし!)、校正のやりとりが本日夕方いっぱいまで掛かってしまった。結構気に入っているので、興味ある方は読んで下さい。演奏会で「美しき水車小屋の娘」の前に歌う2曲も含めて、全文です。この解説文のような文章と文体が私高本の本質だと、自分自身では思っています(爆


「シューベルティアーデ」から産まれた最高傑作 = 「美しき水車小屋の娘」


(シューベルティアーデ絵画:添付ファイル)
 この有名な絵は、「シューベルトを中心にした友人たちの集い = シューベルティアーデ」を描いている。シューベルト自身が譜面台に楽譜を立てて蝋燭の灯りを照らしながらピアノを弾き、多くの親しい友人と音楽について語り合っている。天井から吊るされたシャンデリアの豪華さからして、裕福な友人邸宅の客間のようだ。このような「仲間に囲まれた作曲家」の絵画は、ベートーヴェンにもモーツァルトにも、シューベルト以前の作曲家には全く無かった。シューベルトは「史上初の流行歌作曲家」として、爆発的な人気を博した。「シューベルティアーデ」はウィーンだけでなく、保養地の富裕な音楽愛好家の邸宅でもシューベルトをウィーンから招いて催され、楽譜は初めはウィーンの楽譜商から、晩年にはオーストリア国外の楽譜商からも出版されるようになる。

 インターネットどころか、ラジオもレコードも無かった時代には、音楽は「ナマ」でしか聴くことができなかった。「シューベルティアーデ」でシューベルト自身が演奏し、友人が楽しんだ演目は大きく分けて2種類。「ピアノ伴奏ドイツリート」と「舞曲」。シューベルトは誰よりもピアノがうまかったので、いつもピアニスト。歌うのは友人、踊るのも友人だった。「シューベルティアーデ」は舞曲自筆楽譜日付からすると、シューベルト18才の1815年から開始され、1825年4月までこの形で続けられた様子。その後は、さらに正式な大舞台にて活躍するようになった。いくら邸宅とは言え、友人宅には入りきれなくなるほど、シューベルトの音楽が愛されるようになっていったのだ。この「シューベルティアーデの頂点」に立つのが「美しき水車小屋の娘」になっている。「美しき水車小屋の娘」は、同い年のシューベルティアーデの一員=シェーンシュタイン男爵 Karl von SCHONSTEIN(1797-1876)に捧げられている。おそらく間違い無くシェーンシュタイン男爵が注文した曲集=「美しき水車小屋の娘」と推定される。尚、「冬の旅」は誰にも献呈されていない。男爵のための移調楽譜が6曲残っている。


 最初に歌われる「ミューズの子」D764は、「美しき水車小屋の娘」の直前に作曲された「単独歌曲」の名作。大詩人=ゲーテ の詩。「ミューズの神々」の子天使が音楽を世界中に楽しげに振りまく様子をいきいきとしたリズムに乗って明るい軽やかな旋律が踊るように流れる。「未完成交響曲」D759,「さすらい人」幻想曲D760直後の作曲。
 次に歌われる「春の夢」D911/11は、「美しき水車小屋の娘」の作詞家 = ヴィルヘルム・ミュラーの詩で、全24曲の「冬の旅」の第11曲。第1節は寒い冬に『私は色彩豊かな花々の夢を見た。』から開始される「夢」。第2節は『雄鶏が鳴いて私の心は覚醒した』の「現実」。第3節は夢と現実が交錯する。第4~6節も同じ「夢 → 現実 → 交錯」


「美しき水車小屋の娘」は、同世代の詩人 = ヴィルヘルム・ミュラー Wilhelm MULLER((1794-1827)の長い詩集「旅する角笛吹きの遺稿」第1部に「歌」を付けた。主人公=若き「さすらい人」が小川の導きにより、「水車小屋=粉挽き屋」の徒弟になり、「水車小屋親方の娘」に恋する。ライバルの出現などがあり、恋に敗れ、失意の中で小川に入水自殺してしまう。「若々しい感性の溢れ出る様」の評価の高さは、シューベルト歌曲中で最も高い。

第1曲 : さすらい


  主人公は若き仕事に恋に夢あふれる若者である。年の頃は10代後半くらいだろうか?ドイツで発達した「徒弟制度」で経験を積んで「親方 = マイスター Meister」になりたい! そのためには「親方の娘」と結婚したい! そんな恋の予感がする! の心持ちで「さすらい」を歌う。『さすらいは粉挽き屋の楽しみだ、さすらいは!』で第1節は開始され、第2節以降は『川の水』『水車』『石臼』と歌い継がれ、最終第5節では『さすらいは粉挽き屋の楽しみだ、さすらいは!』と第1節と全く同じ行で開始される。浮き浮きした気分を撒き散らしながら全20曲の大曲集は始まる。

第2曲 : どこへ?


『私は小川のせせらぎが聞こえる』から第1節は始まり、『私はどうしたら良いか判らない』で第2節は始まる。最終第6節は『きれいな小川にはどこでも粉挽き屋の水車が廻っているぞ』で締めくくられる。小川の流れが永遠に続くかのように夢想させる曲。

第3曲 : 止まれ!


『1基の水車が廻っているのが私は見えた』から第1節は始まり、第2節途中で『この家はなんと親しげだ』と語り、第3節は『おお、小川よ、愛する小川よ、この家を言っていたのだね?』で締め括られる。曲名の「止まれ!」は詩の中に一度も出て来ない。主人公の心の中だけで言葉にならない。

第4曲 : 小川に寄せる感謝の言葉


この曲で初めて曲集の題名「美しき水車小屋の娘」が登場する。この曲ではまだ「水車小屋の娘」だけで「美しい」とは断定していない。まだ会っていないからだ! 『このことを言っていたのか』から開始される第1節。最重要なのは第2節で『水車小屋の娘へ、感覚はそうだった、よし! 私はそれを理解した、水車小屋の娘へ』が全文。小川に導かれ力強く娘の住んでいる水車小屋の徒弟となることにした。最終第5節は『仕事も、心も、満たされるのだから』で締め括られる。

第5曲 : 仕事を終えた宵の集いで


前曲から数日が経過した日の情景。主人公は「水車小屋 = 粉挽き屋」の徒弟となり修行を積んでいる。そこには、親方、親方の娘(=水車小屋の娘)、兄弟子たち、主人公がいる「仕事あがりの宵」。曲集中、初めての短調の曲。冒頭ピアノ前奏が、主人公の焦りの心臓の鼓動と不安な心の揺れを表し『私が千本の腕で働ければ良いのだが』から始まり、仕事の習得が思うように進んでいない苛立ちを隠せない。第1節は『あの美しき水車小屋の娘が私の忠実な心を認めてくれますように』で締め括られる。題名の「美しき水車小屋の娘」がここに登場! もちろん高らかに歌い上げる。第2節も苛立ちは続く。最終第3節の締め括りは『あの愛らしい娘は(私だけにではなく)全員におやすみなさい、を告げる』。シューベルトは「全員に Allen」を高い音で2度も歌い上げ、悔しさを強調する。
 ここで曲は終わらない!! シューベルトは第1節を変奏し拡大する。今回は『認めて下さい merkte』を祈るように高音を伸ばして3回も呪文を唱えるかのように叫ばせる。ピアノ後奏でピアニッシモで転げ落ちるように下降してイ短調の和音で強く終わり不安を強調する。

第6曲 : 知りたがる男


『私は花に尋ねはしない』から開始され、第2節で『小川に尋ねてみよう』と呟くと、それまで2拍子だった音楽が3拍子で小川のせせらぎを伴う。最終第5節は『小川よ、娘は私を愛しているの?』と締め括られる。

第7曲 : いらだち


曲集中、最も主人公の心が高鳴る曲。4節全てが『私の心は永遠に君のもの!』の全く同じフレーズで締め括られ、全曲中最高音2点A(高い「ラ」)が高らかに響き亘る。第1節冒頭は『私はこの言葉を全ての木の皮に刻み付けたい』で始まり、第2節では「鳥」に、第3節では「朝風」に、第4節では「私の眼」によって娘へ思いを伝えたいことに胸が張り裂けそうな思いの高ぶりを表現する。

第8曲 : 朝の挨拶


『おはよう、美しき水車小屋の娘さん』から始まるこの曲は主人公の「理想の女性」に対する「美しさ」の賛美。第1節では「愛らしい顔」、次は「ブロンドの頭(髪の毛)」、「ねぼけた可愛い瞳」、「恋」について語る。

第9曲 : 水車職人たちの花


前曲に続く賛美の曲。冒頭で『小川のほとりで小さな花が輝いている』から始まり第2節では『花が娘に私の思いを伝えてくれるだろう』、次は『私を忘れないで、忘れないで! と告げて』最終第4節は『私は涙を花に注ごう』としっとりと告げる。

第10曲 : 涙の雨


主人公の思いが伝わったのか? 美しき水車小屋の娘は宵のデートに応じる。そのラブシーンの曲。

  1. 第1節『私たちは涼しい木陰に仲良く座っていて、流れる小川を仲良く一緒に見ていた』。


  2. 第2節『月は既に昇っていて星もそろそろ見えて来た。水面を見ていた』。


  3. 第3節『私は月も星も見ず、娘や眼だけを見つめていた』。


  4. 第4節『小川を通して、娘が肯いたり見上げたりするのを見た』。


  5. 第5節『空全体が小川に沈み込んだかに見えた』。


  6. 第6節『雲や星の上を小川が勢いよく流れた』。



前曲までに心の中で噴出していた言葉が一言も伝えられず、ただただ小川に映る「美しき水車小屋の娘」を沈黙して見ていただけだった。手さえ握っていない! だが主人公の心は浮き立っていた。そして

第7節『私の眼が涙が溢れ、水面に輪が落ちた。娘は「雨が来た、さよなら、私家に帰る」と言った』。


  ここで一転、イ短調に転じ、そのまま終曲する。美しき水車小屋の娘の心が離れてしまったことに主人公は全く気付いていない。この曲までの、色のキーワードは「青 blau」。小川の水の色であり空の色。希望に満ち溢れた象徴。

第11曲 : 僕のものだ!


たった1回のデートに応じてくれた「美しき水車小屋の娘」が「僕のものだ!」と主人公は錯覚し、絶頂感を別れた直後に歌い上げる。『小川よ、音を立てるな』から始まる第1節は『いとしい水車小屋の娘は僕のものだ!』と高らかに宣言する。第2節では『春よ、花はこれだけ? 太陽よ、明るい輝きは無いのか?』とまで言い放つ。言い足りない主人公は第1節をもう1回高らかに歌い上げる。だが絶頂はここまでだった。

第12曲 : 休息


曲集で初めて楽器が登場する。恋の楽器 = リュート Laute(ギターの親戚筋)である。娘の窓の下でリュート鳴らしながら恋の歌を歌うのが定番の口説き術。(モーツァルトの大ヒットオペラ「ドン・ジョヴァンニ」に有名なシーンがある。)しかし主人公はなぜか「休息」にしてしまう。第1節は次の通り。『私のリュートを壁に掛けて、緑色のリボンで飾った。私は胸いっぱいで詩も歌も歌えないから』ここで初めて「緑色 grunen」の色が出てくる。この緑が「不吉の色」で主人公に付き纏うキーワード。

第13曲 : 緑色のリュートのリボンで


『美しい緑色のリボンが壁際で色褪せて行くのは残念ね、私は緑色が大好きなのに! といとしい君は私に言った。』で開始される。全3節が緑色を絶賛する。だが「緑色」は不吉な色なのだ!

第14曲 : 狩人


第5曲以来の久しぶりの短調。主人公は、美しき水車小屋の娘が狩人と楽しく過ごしている姿を見てしまう。脳内で追い払おうとするが、思いが頭の中をグルグル廻るだけ。冒頭『狩人は水車小屋のある小川で何を探すのか?』で開始され、娘を子鹿に喩え、『引っ込め!』を言葉を替え手を替え品を替え言いたいことが募るが、頭の中だけで追っかけっこをしてしまう。この曲から「短調優位」に切り替わるターニングポイントの曲である。

第15曲 : 嫉妬と誇り


この曲から娘の呼び方が出会う前の「水車小屋の娘」に戻り、「美しき」や「いとしい」が消える。娘が狩人を待ち焦がれている情景をはっきり見てしまった主人公。心はまず「嫉妬」が、次に「誇り」を持ちたい、と考える。第1節は『引き返せ! Kehr um!』と繰り返し叫ぶが小川に向かって言っているのか? 娘に向かって言っているのか? 狩人に向かって言っているのか? 主人公自身も嫉妬心から判らなくなる。第2節は、逢引の情景描写と皮肉。『昨晩、娘が門に立って首を長くして大通りを眺めているのを見た? 躾の良い娘は窓から頭を出したりしない』。第3節では小川に向けて娘に『告げてくれ sag ihr』と執拗にお願いする。自分の虚像『子供に美しいダンスや歌を演奏していた』などを。これも何を告げてほしいのか混乱してしまう。

第16曲 : 好きな色


主人公は恋に敗れたことを悟る。この曲からは前2曲のような激しい「慟哭」では無く、別の悲しみに襲われる。この曲では「美しき水車小屋の娘」は一貫して『私の宝 mein Schatz』と呼ぶ。まだ愛しているのだ。第1節では『私は緑色の服を身に着け楽しもう、緑色の涙も、私の宝は緑色が大好きなのだから』と語り第2節では『さあ、楽しい狩りに行こう』と狩人との恋仲をあてつけ、第3節では『私の墓穴を芝生に掘って、緑色の芝で覆い尽くしてくれ』と死をはっきりと決意する。

第17曲 : 邪悪な色


第1節『こんなに緑色で、こんなに緑色でさえ無ければ』(繰り返し強調)、第2節『私は緑色の葉を全部剥がしたい』、第3節『ああ、緑色、邪悪な色』、第6節『おお、ひたいから緑色のリボンを外して「さよなら、さよなら」』これほどまで暗い詩が長調で歌われる。しかし後奏はロ短調で終結し主人公の沈痛の心を比喩する。諦めの境地。

第18曲 : 枯れた花


冒頭『娘が私にくれた花を全部、私と一緒に墓に入れて欲しい』から始まる。ホ短調。それが次の歌詞で一転してホ長調に転じる。『そして、彼女が丘の辺りを散策し、「この人は誠実だった」と心で呟く時、全部の花が咲く、咲く』(第3節)。この曲は「シューベルティアーデ」で演奏され、フルート奏者 = ボーグナー が極めて高く評価し、歌曲が出版される前の1824年1月に「フルートとピアノのための序奏と枯れた花による7つの変奏曲ホ短調D802」としてボーグナーのために作曲された。「美しき水車小屋の娘」は楽譜出版の前に「シューベルティアーデ」で演奏され愛されていたことの、何よりの証拠である!

第19曲 : 水車職人と小川


第1節『誠の心が恋に破れたら、百合(葬式に使う花)はベッドでしぼむ』と主人公が歌うと、ここで「小川」が初めて語り出す。第2節『愛が痛みから逃がれると、空には新たな星が生まれる』から始まる魂のなぐさめ。第3節では最後の力を振り絞って、主人公が『ああ、小川よ、愛する小川よ』から始まる小川への感謝を連呼し返す。そして最後に『ああ、小川よ、愛する小川よ、さあ、歌って!』で主人公は静かに言葉を終える。

第20曲 : 小川の子守歌


最後の子守歌は「小川」だけが歌う。(主人公はもう死んでしまっている。)第1曲「さすらい」と同じ5節の有節歌曲で、鏡で映したように対称を描く。『おやすみ、おやすみ』で始まり、主人公に安らかな眠りを約束するが、第4節で水車小屋の娘のことを『邪悪な小娘 boses Magdelein』とまで口汚く罵る。最終第5節の最後で『満月が昇り、霧は晴れ、天空はこれほどまで広いのか!』と「史上初の超大連作歌曲 = 美しき水車小屋の娘」は幕を閉じる。

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