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ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 @ 京都シネマ

2019-01-27 16:13:29 | 映画感想


久しぶりに京都シネマにくる時間ができた。で、ラインナップの中「ナチス第三の男」か「ハイドリヒを撃て!」のどっちにしようかねー、と思って選んだのがこっち。だって、ナチス第三の男は混んでいるっていうんだもの。そりゃぁ旧作の方は空いてるに決まってるよねー。

同じラインハルト・ハイドリヒを取り上げた映画な訳だけれど、前者がハイドリヒ中心で後者はハイドリヒを暗殺するチェコ亡命政府の刺客たちが主人公。前者は観ていないからなんともいえないけれど、描き方はだいぶ違ったんだろうな。

映画の感想としては、、、

しんどかった。
f^_^;

プラハに潜入した彼らは、ハイドリヒを暗殺するためにレジスタンスの協力を得て計画を進めるわけだけれど、ナチスの監視の目は厳しく仲間内でのすれ違いもあったりで閉塞感の中で話が進んでいく。戦時の監視社会、いつナチスに見つかり皆処刑されるかもしれない神経をすり減らしひたすらチャンスを狙う日々。言うは易いけれど想像するだけで胃がキリキリと痛む。
首尾よくハイドリヒの暗殺には成功したものの(ま、失敗したんだけど結果的に致命傷を負わせたので)、今度は潜伏生活、そして密告による悲劇的な最後を迎える。

最後のテロップで、この事件の後イギリスはチェコを同盟国と認めたってのが流れる。あれは、だから彼らの愛国的な犠牲は無駄ではなかったって言うメッセージなんだろうけれど、この映画の中の救いはたったそれだけだ。
たったそれだけ、なんて言うとアイコクシャの皆様は怒り出すかもしれないが、彼らが短い間に育んだ愛は無残に断ち切られる。この局面を切り抜けたら、なんて自由への淡い期待は一顧だにされることはない。バイオリニストになる夢なんて道端の雑草のように踏みちぎられる。戦争の前に個人の幸福なんぞ他所の世界のメルヘンでしかない。
そうだ、戦争ってのは本来そう言うもんなんだ。本当はこんな事言うまでもない自明のことなんだけれどさ。映画の冒頭でも言っていた通り、それが史実に基づく真実なのであろう。
つまり、戦争になれば救いなんぞ期待すべくもないものなのだ。死んでしまえばそれでおしまいだし、その死に方だってとてつもなく悲惨なものだったりする。そこにロマンチックな感傷が付け入る隙なんぞありゃぁしない。

出口の用意された脱出ゲームなんかとはわけが違う。出口なしの生殺しの牢獄で、それでも出口を切り開こうとしてもその先にはハッピーエンドは用意されていない。それが戦争であろう。
避ける道はただ一つ、戦争(紛争)をしない。そのために知恵を絞る事しかない。

残念乍ら知恵を絞るどころか、ナチスを礼賛するかのような事を平気で言うような人が政権を担っているような、そんな国があるらしい。
そんな国でボーっと生きている誰かさんたちに、出口のない牢獄にいる事に気づくときはもう手遅れだと言ったところで響かないのが虚しい。


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