ぱたの関心空間

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ルワンダの涙@京都シネマ

2007-05-06 01:04:59 | 映画感想
1994年に起こったルワンダでの虐殺を扱った本作。

去年見た「ホテルルワンダ」も同じ事件を題材にしているけれど、今回の方がより辛辣な内容となった。

「ホテルルワンダ」では映画としての物語性が重視され、最後も(一応)ハッピーエンドとなる。「ルワンダの涙」ではストーリー性はあるものの虐殺の様子や殺されたツチ族の姿をストレートに映したり、終わり方も史実のとおり。学校に逃げ込んだ2500人のツチ族の人たちの運命から目を背けない。
「ホテルルワンダ」の最後のクレジットにあったように記憶しているけど、ホテルルワンダでの出来事は、この虐殺事件の中にあって数少ない幸運な例であると、それを改めて確認するのが、「ルワンダの涙」の役割だったのかもしれません。

二つの映画に、しかしきちんと描かれている確かなことは、世界はこのとき、ルワンダを、ルワンダのツチ族を間違いなく見殺しにしたのだという事実。もちろん日本に住む私たちも例外ではなくこの罪を背負っているわけで、この事を恥じなくてはいけないということ。

それから、社会集団の中での人間心理の恐ろしさ。
これは決して遠い国の違う人種の特別な話では終わらないんだということ。一番怖いのはここだな、アフリカのどこだか知らない野蛮な国の人たちの話でしょ、なんて言われたら最悪だ。意識していないと人々は簡単に世の中の空気に流されてしまうのだっていうことを忘れちゃいけない。
第二次世界大戦に突入していった時代の空気に流された人々の感覚となんら変わりはしない、関東大震災で流言によって朝鮮の人を虐殺してしまったのとなんら変わりはしない。
確かにそこにいたる背景の違いはあるけれども理由にはならない、集団心理としてツチ族を虐殺したフツ族の人たちと私たちはまったく一緒だと気づくことが必要だと切に思う。

舞台となる公立技術専門学校はキリスト教の神父が責任者を務めることもあり、キリスト教的な視点からも語られているんだけど、そこには(宗教的な理屈を拭い去って)人間の普遍的な姿があると思う。

まずジョーをどう思う?
マリーをはじめ学校に逃げてきた人たちのためにトラックをとばして学校の外に出るが、現実の前に恐怖を感じるジョー。絶対に守るよと約束しながら最後には彼らを見捨てることとなってしまったジョー。
誰が彼のことを非難できるのか。人間の弱さをどうのこうの言える立場に、少なくとも私はいない。
生き延びてジョーを探し出したマリーは、おそらく彼を許すのだろう、それはひとつの救いだ。

逆にクリストファー神父は人間の強さの象徴だ。
もちろんクリストファー神父はいうまでもなく立派だ、だけど彼になれる自信はまだ私にはない。恥ずかしいけれど。
クリストファー神父の人間臭さ(苛立ちや恐怖や葛藤)もきちんと描かれているところがこの映画のすばらしいところでもある。そう、できればできる事ならば、そんな人間臭いクリストファー神父にやっぱり私もなりたい。
#何十年かかることやらわかりませんが。。。。

同じように国連軍を責めることもまた出来はしない。
国連軍兵士は本当に何も出来ないのであり、何も出来ないことに一番苛立ちを感じているのは当の国連軍兵士であったたと思う。頼りにされていならがら全く役にたてなかった彼らの銃口は虚しい。

終わりの方に写される映像でアメリカの(?)スポークスマンが「虐殺」という言葉を使わない事について釈明する映像が挿入される。それはまるで子供の言い訳だ。虐殺と認めてしまえば、手を差し伸べないわけにはいかない、手を差し伸べても何の得もないアフリカの小国に無駄に労力を使いたくない。でも、金になる国にだったら難癖をつけてでも派兵して、自分たちの屁理屈を押し付けるんだよね。
10年なんていう短い時間では変わらないんだな、大国のエゴは。
#そんな大国に追従するだけの、それ以上に恥ずかしい国もあるわけですが。。。

国なんていうのはいつでもそんなもんだなぁ、金持ちの道具さ、政治なんて。
そして貧しい人間はいつでも犬死だ。

そうか、今気付いたけどこの映画の原題は「shooting dogs」。
映画の中では、自衛の他は一切武器を使えない筈の国連軍の大尉が、学校の傍に転がる殺されたツチ族に群がる犬を銃で撃つ、と言うのに対してクリストファー神父が「犬を撃つ?じゃぁ、犬が君たちを撃って来たんだね、だって自衛の為にしか銃を使えないんだろ?」と皮肉を言うシーンで使われた言葉。国連軍をはじめ80万以上と言われる虐殺に対して何も出来なかった(しなかった)世界を嘲笑っているんだ、と思ったけど違うのか?それだけじゃなかったのか!? つまり犬を撃つような感じで、実際には国際社会が、ツチ族を犬のように殺していた、と言いたかったのか?このタイトルは。
映画が始まって、原題の「Shooting Dogs」というタイトルが映し出された時(原題をはじめて知った瞬間)なんだかイヤな気がしていたが、ここまで考えるのはもしかして悪趣味なのだろうか。

映画のエンディングロールでは、12年前の虐殺を実際に経験しながらもこの映画製作に携わったスタッフが映し出される。そのスナップはほとんどが笑顔だけれど、撮影の上で自分の辛い経験を思い起こさずにはいられないはず。それを乗り越えて映画を製作した彼らの気持ちを考えるだけでも辛い。と同時にその前向きさに感じ入る。
さらに、この映画にはルワンダの国自体が協力し、現地でのロケが行われている。ルワンダの大統領自身がこの映画にコメントを寄せているほどだ。国を挙げて、この辛い事件に向き合おうとしている。なんていう勇気だろう。
それはルワンダという国の覚悟なのか。

神父が学校に残るときにこんな台詞を言ったと思います。
「愛はここにある、今見つけなければもう見つけられない」

さぁ、私たちはどんな勇気が持てる?


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