京都新聞で映画を知る。
京都出身のラッパーが映画を作ったと。
ANARCHYというヒップホップアーティスト。
ラップとかHIPHOP方面にはあまり面識のない儂。
アナーキーといえば、仲野茂の亜無亜危異だろ、みたいな。
ごめんなさい。勉強します。
さて、映画。
とりあえずそれ、窃盗だから!
ってのは置いといて。。。
あれ?これって、NHKバリバラのバラフェスに出ていたラッパーの達磨がモデル?
と思ったけれど、クレジットにも出てこないし触れてないので違うのかな。最後のラップの感じも似ている気がしたけれど、たまたまか?
お話の方はといえば、
いや、なかなか辛い。一応ハッピーエンドで収めた感じではあるけれど、色んなこと置き去りのままだ。
一番大事なメッセージは、自己責任と言われた貴方のシンドさは決して自己責任では無い。夢を選び取る希望こそ自己責任であると。
そういう事でどや?
「自己責任」って言葉を使うとどーしてもネガティブなイメージになるな。
自分で選び取ったものに責任があるのは当たり前だかんね。
映画の作り自体には思うところがないわけではないですが、まぁそれも置いといて。
%なにしろ第1作目、それだけで大変なことでやんすよ
しかし、あの警官は酷過ぎる。
最初に出てきた嫌われ役のほっしゃん一瞬で霞んだ。
当然そのわかりやすさこそ肝なんだと思うけれど、ステレオタイプ的に警察権力というわかりやすい敵が出た事で、本当に見なくちゃいけない部分が見えにくいんじゃない?
本当に見なくちゃいけないのは、可視化された嫌な奴らとか悪い奴らではなく、そういう積極的な意識もなしにいつのまにか受け入れることを強いてくる空気とかね。
それに全ての警察権力があんなだってわけじゃないんだし。
虐げられた者の成功譚。
で済めば簡単なんだけれど、それでは済まされない色んなモヤモヤを残す映画。
もちろんそれを語るのは映画の役割ではなくて、それを考えるのが儂らの責務。
ラップってのは言葉がメインであるけれどやっぱり音楽なので自由度が高くって相対的に娯楽性が高くなると思うのだけれど、映画はそれに比べるとだいぶストレートだよね。
この映画のメッセージはだいぶ重い感じだな。
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