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いのちの作法 -沢内「生命行政」を継ぐ者たち- @京都シネマ

2009-04-19 23:45:48 | 映画感想
この映画を上映している場所が少ない事が、とても残念でならない。

とっても大事な事を感じ取れる映画だと思うんだけどな。
モッタイナイ。。。

さて、沢内村のお話。

っていうか、そもそも沢内村って何処やねん!?って話だな。

有名だと思っていたのだけど、どうやら違ったらしい。
儂は中学時代に岩手にいたのでそれで良く知っていたのかもしれない。

沢内村は岩手県の奥羽山脈山間にあって、過疎と豪雪により貧困と、それが故に医療が行き渡らず、多病多死。かつて住民は諦めるしかない寒村だった。

その沢内村で、人命の尊重・命の平等を掲げて村長になった深沢晟雄さんは、その固い意思で医師を村に招き寄せ、冬に雪で孤立する村を無くし、日本ではじめて乳児と老人医療の無料化・乳児の死亡率0を成し遂げた人で、この話は教科書にも載っていた。
#というか、教科書で初めて知ったのかもしれない。

現在は町村再編で西和賀町になってしまって、確か老人医療も完全無料ではなくなったと聞いているけれども、深沢村長の残した生命尊重の遺志は現在も住民の中に根付く。そのドキュメンタリー。

ドキュメント映画なのに,,,
いやだからと言ったほうが正解かな、
そこに住んでいる人たち、いやホンマにフツーのおじさんおばさんのぬくもりとかすごく伝わってくる。

めちゃめちゃにこやかで、
そして素朴であたたかくて、
なんだか心地よい。

確かに福祉とか医療とか。堅苦しく説教くさくなりそうなテーマだけど、決してここでは頭でっかちで表面的なものじゃぁないの。
エラそうな人よりも普通の人たちがたくさん出てきて、自分たちの言葉で語る一言一言が、とても自然なのに確信をついてくるような。当たり前のように根付いている感覚、それが羨ましいのだ。

「命に格差があってはいけない」
簡単に言うけれど、一体どういう事なのだろう。
そのままなんだけど、具体的に何処が問題?とか、どうしたらいいの?とか、考えたら難しいよね。普段はあまり意識しないから。
現実には軽んじられ、人々から目を背けられている存在というのはあるのだ。

都会で虐待されたりして施設に入っている子ども達。知的障害を持った人たち。そして老人たち。

「おとしよりは、たとえ身体機能が弱くなってよぼよぼになっていても、尊敬の念を持って接すると尊厳をもって応えてくれる、その威厳は言葉に発する事がなくても感じられるんだよ」

相手に対しての尊敬の念、そして本人の尊厳。

当たり前なんだよなぁ。それって。

見た感じとか、相手の境遇とか、そんなもので蔑んでしまえばもうそれは生かされる事はない。
そんなものよりも、そこにいるその人を認め慈しむという当たり前の事が、もう私たちには難しい事になっているという事実に驚かされる。

老人ホームでは入所している人たちと家族を交えて看取りのお話。
そこでは死はタブーではなく、リアルな現実だ。
こないだ見た「おくりびと」にも通じることだけど、死をきちんと考える事が、生を意味のあるものにする。
人の命を大切にするからこそすんなりとできることでもある。

「『ありがとう』と『ごめんなさい』が素直に言えるなら、一人になる事はない」 と都会の施設からホームステイにやってきた子どもたちにメッセージした人は、その後子どもたちから送られた感謝のメッセージ満載の記念品(石?木?)を手に、みっともないくらいに泣いていた。
でも、あんなふうに泣いている姿を見て格好悪いなんて思う子どもはあの場所にはきっといない(と思う)。
そして、あんなふうに泣ける彼の純粋さが羨ましい。

ホームステイする子どもたちは客人ではない。
にわかではあるけど家族なのだ。だから特別扱いしない、家事もさせる。子どもたちはちゃんと帰ってきたら「ただいま!」と言って玄関を入ってくる。数日であっても自分の家だからね、そんな当たり前。
大人だからと威張らない、年寄りだとバカにしない、大人は大人としての、子どもは子どもとしての尊厳を大事にする当たり前。

若いお母さんが言う。
「最初ここに来た時はイヤでイヤで仕方が無かった。でも今、ここで、この時を幸せだと感じるようになった」

都会に暮らしていたら便利とか合理的とかそういうものをどんどん求めてしまう。それは今という時間に満足できずにいるからだ。
次から次へと新しいもの違うもの他のものへの欲望を掻き立てられる現代。常に「今」に対して不満を持つ人が満たされる事は無い。仮に今の欲望が満たされても、満たされた現状にも不満を持ってもっともっと!と言い続ける。欲望の囚人だよね。

西和賀町はそんな都会的な便利さとか合理性とかとかけ離れた場所なのに、出てくる人はみんなエネルギーに溢れていて幸せそうなのは何故だろうかね。

「みちのくみどり学園」という児童養護施設がでてくる。
沢内にこの施設の子どもたちも毎年来ているのだという。

懐かしいなぁ。
実は儂、小児喘息で週に1回くらいこのみどり学園に通っていた時期があるのだ。ボーイスカウトの活動で敷地内でキャンプとかもしていたし、喘息の発作が酷くて緊急入院させてもらった事もあったっけ。そのみどり学園も沢内村に縁があったなんてびっくりだ。

たしかにみどり学園は普通の病院なんかじゃないのは子供心にも感じ取れた。
医療的支援が必要な子どもが、病気療養しながら勉強もできる施設、それがみどり学園だった。
病院が嫌いな儂は、なんだかわからないけどみどり学園は妙に好きだったのを覚えている。
今は親に虐待された子どもや保護者のいない子どもがほとんどなのだそうな。

だれかがここはユートピアだと言う。
そうかもしれない。人の慈愛に満ちていてその中で死ぬまで幸福に生きていけるのなら間違いなくユートピアだろう。

製作者の言葉に驚いた。
「日本で最も未来的な西和賀町」
と言い切ってくれたのだ。

あぁ、なんか涙が出そうだね。
こんな幸福なユートピアが特別な場所ではなく、儂らの日常になるとしたら。
夢ですか? 夢とは呼びたくはないんだけどな。 信じてみたいじゃない。本当の幸い(儂も言い切っちゃうよ(笑))が皆のものになる世界が来るなんて。

そういえば宮沢賢治は岩手を「イーハトヴ」というユートピアになぞらえていたっけ。
賢治の生まれ故郷花巻は、西和賀町の隣町でもある。

さて、儂らは一体いつまでこの修羅を生きれば気が済むのだろう?

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