ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

マザーウォーター@京都シネマ

2010-11-10 16:03:39 | 映画感想
おおおおおお、藤森神社ぢゃん!!!

予告で映っていたのが祇園の白川だったので、てっきりその辺が舞台だと思っていたら、決して限定していたわけではなかったのね。もっと北の方と思しき町並みとか、半木の道(加茂川)なんかも出てきたし。

そもそも映画の中で 「ここは京都」 と謳っているわけでもないのだ。
この映画の中で「場所」というのが重要なポイントになっているけれど、その舞台は京都っぽい空気を持っているところ、というのを匂わせたいだけで、別に特定をしているわけではないように感じる。

映画を見ていての違和感でもあるのだけど、登場人物は一切京都弁を喋らない。例外はもたいまさこが野菜を買ったお店の店員さんだけ。
登場人物のほとんどが、どうやらこの町の出身者ではなく、よそからたまたまこの街にやってきて、この街の空気に共感して住み着いてるという設定のようだから、それはそれでリアルなのだろうけれども、撮影されているその場所が京都だと知っている儂らからすれば、どうもよそよそしく映ってしまう。

#そういう儂はインチキ関西人☆

住んでいるこの辺りの雰囲気がいい、という設定なのだろうが、全体的に生活感が感じられないのもやっぱり違和感を感じる理由の一つ。
主な登場場面には銭湯、とうふ屋という庶民的な場所もあるのに、(登場人物以外の)お客さんはほとんど出てこないので商売っ気も感じないし、彼らのプライベートな生活の様子でも所帯じみた感じがない。

そもそもそんなに儲かっていない(ように見える)のに、そんな豊かな生活が出来るというのは経済基盤はどうなっとるんじゃ?
#とか、そーゆー野暮な事を考えてみるべき映画ではないのです

静かに穏やかで、生活の佇まいがスタイリッシュであったり、食べ物の見せ方や頂き方がとても美しかったりするのは、かもめ食堂以降つづいているパセリ商会の特徴なのだろうけれど、現実離れをしてしまうとちょっと辛い感じもするなぁ。
いや、かもめ食堂のように、日本ではない場所でメルヘンな世界(儂の中では理不尽な設定のことをこう捉えておるわけです)を展開するのならばありなのだ、物語の中でアクセントになるポイントも多かったし。
儂らの日常に近いところの物語だと、それをメルヘンに昇華させるのはなかなか難しい。

相変わらずもたいまさこの怪演は光っていたけれど。
あ、あとなかなか気付かなかったけど、ぽぷらという赤ちゃんがこの物語をメルヘンにする役割を担っていたのかな。
#なかなか気付けないのはきっと儂が鈍いからです

かもめ食堂と比べると食べ物自体はわき役になっちゃった感じがするけれど、それでもやっぱり美味しそう。
食べ物が出てくる場面毎に隣のシートに座っている人のおなかがぐぅとなるのがとても可笑しかった。正直なおなかをお持ちの御仁でした。

決して悪くはないのだと思うけれど、好き嫌いは別れてしまうのだろうなと思う。
テーマは少しずつ違うにしても、同じようなテイストで多少飽きも来ているだろうし。
うーん、儂も次回見るかどうかは微妙だな。
#正直言うとめがねは辛かった

しかし、どうでもいいが、豆腐一丁をあんなに早く食べられるもんだろうか?
#いや、どうみても手渡されたとうふは一丁分もなかったけどねー

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