夏目漱石の「道草」を読んだ。102の章からなる。1915年大正4に掲載された新聞小説。
漱石は大政奉還の1867年に生まれる。翌1868年は江戸が東京となり、元号が明治となった。大学の学友、正岡子規も67年生まれだ。
漱石は道草が掲載された翌年、1916年大正5年の12月に49歳で亡くなる。この年の5月に「明暗」が新聞掲載されたが、12月で絶筆となった。
自伝的小説ともいわれ、ヒステリー気味の妻の諍いと、親族からの金の無心に追われる作家の日常を描いた。36歳という設定、学校での教鞭と作家の活動などから「吾輩は猫である」執筆の頃だともいわれている。
まだ江戸の名残の濃い、明治時代の兄弟や妻、妻の父、養子に出されていたころの養父母など、漱石の家族関係が下地となり、そこに借金の無心という共通項が一つの軸。夫婦関係というもう一つの軸が貫く。
漱石は大政奉還の1867年に生まれる。翌1868年は江戸が東京となり、元号が明治となった。大学の学友、正岡子規も67年生まれだ。
漱石は道草が掲載された翌年、1916年大正5年の12月に49歳で亡くなる。この年の5月に「明暗」が新聞掲載されたが、12月で絶筆となった。
自伝的小説ともいわれ、ヒステリー気味の妻の諍いと、親族からの金の無心に追われる作家の日常を描いた。36歳という設定、学校での教鞭と作家の活動などから「吾輩は猫である」執筆の頃だともいわれている。
まだ江戸の名残の濃い、明治時代の兄弟や妻、妻の父、養子に出されていたころの養父母など、漱石の家族関係が下地となり、そこに借金の無心という共通項が一つの軸。夫婦関係というもう一つの軸が貫く。