昭和30年代生まれは、プラモに弱い。弱いというのは作れないという意味ではなく、手が出るという意味だ。
小学校の頃、憧れたプラモ作り。私の場合は、童友社の兜や刀のシリーズだった。しかし、お年玉でも鎧シリーズには手が届かなった。それに小学生では難しかったかもしれない。
童友社のHPでは、もう鎧シリーズは数少なくなっていた。需要がないということなのだろう。寂しい限りだ。定年退職した今年、童友社の加藤清正の鎧を作った。8月から9月にかけて約ひと月、パーツごとに少しづつ、接着剤が固まるのを待ち、数日おきに作った。集中する時間が心地よい。
武具とはいえ、この鎧は実戦重視ではなく、美を追求している。
なぜ、鎧が好きなのか。武具とはいえ、そこには死を前にした美学が感じられるからである。多くの部下を指揮、従え、多くの命を預かる武将。戦場では、鼓舞と羨望、そして象徴として鎧に身を固めた。戦いは引き分けがあるとはいえ、常に死と背中合わせだった。武具は、そこまでして生きることに執着せざるを得なかった時代の産物だと思う。
子どもの頃は、恰好いいだったかもしれないが、今は死を意識して作っている。
小学校の頃、憧れたプラモ作り。私の場合は、童友社の兜や刀のシリーズだった。しかし、お年玉でも鎧シリーズには手が届かなった。それに小学生では難しかったかもしれない。
童友社のHPでは、もう鎧シリーズは数少なくなっていた。需要がないということなのだろう。寂しい限りだ。定年退職した今年、童友社の加藤清正の鎧を作った。8月から9月にかけて約ひと月、パーツごとに少しづつ、接着剤が固まるのを待ち、数日おきに作った。集中する時間が心地よい。
武具とはいえ、この鎧は実戦重視ではなく、美を追求している。
なぜ、鎧が好きなのか。武具とはいえ、そこには死を前にした美学が感じられるからである。多くの部下を指揮、従え、多くの命を預かる武将。戦場では、鼓舞と羨望、そして象徴として鎧に身を固めた。戦いは引き分けがあるとはいえ、常に死と背中合わせだった。武具は、そこまでして生きることに執着せざるを得なかった時代の産物だと思う。
子どもの頃は、恰好いいだったかもしれないが、今は死を意識して作っている。