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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

生を見つめる 短編「蛍」「帽子」「遅れた時計」 吉村 昭 12

2008-06-01 | 吉村 昭
31歳で作家デビューを果たした吉村昭。
歴史小説で有名だが、初期は短編小説が多い。また、生涯を通じて書き続けた。
昭和48年(1973)、46歳で発表した「蛍」(中公文庫)は、いわゆる吉村小説の傾向である「死」が全編のテーマの短編集。戦争と病気をテーマに心情描写と視覚描写が交錯する吉村ワールドを展開する。



また、昭和53年(1978)に発表した「帽子」(中公文庫)は、9つの短編からなる。夫婦を機軸に、男女の機微を描いた。
その瞬間の妙がたまらなく身に迫る。



昭和57年(1982)には10の短編からなる「遅れた時計」(中公文庫)。男女が基調ではあるが、男女の情念や人の生を描く短編小説集である。



吉村は「短編が好きで小説家になったようなもの」「短編は書くこと、そこに私の生きる意味がある」とまで言う。
あの数々の歴史長編に携わりながら、300を超える短編を書き続けた。
史実に基づき淡々と描く歴史物から生活の香りのするエッセイ、はたまた、さまざまな場面を通し男と女の生を語る短編小説まで。

このギャップがたまらない。

医師の哲学 「雪の花」 吉村昭 11

2008-05-24 | 吉村 昭
天然痘。日本では1955年(昭和30年)が最後の患者という。その死への恐ろしさや顔へのあばたが残る悲惨さなどは、いかばかりか。
この撲滅のため種痘の普及に生涯をかけた、幕末に生きた福井の町医師、笠原良策(1809~1880・明治13年、72歳で没)の物語。
昭和46年(1971)に発刊され、昭和63年(1988)に文庫化で「雪の花」と改題された。

役人は変化を嫌い、漢方医は新勢力を排除・孤立させる。偏見と無知は笠原を時にむごいほど追い詰める。そこには、すさまじいほどの熱い思い・信念と、理解者がいて良策を支える。哲学とは、理論と実践であることを証明する。

吉村の資料収集の執念と重なり合う。

京都から福井までの雪の行軍の描写は圧巻。

日常生活 エッセイ「縁起のいい客」 吉村 昭 10

2008-05-10 | 吉村 昭
このブログを見た知人が、吉村はエッセイもおもしろいと寄せてくれた。

そこで近刊からと思い、購入したのが「縁起のいい客」(文春文庫平成18年(2006))。
タイトルも洒脱でいい。エッセイなので短編だ。どこからでも気楽に読めるのもよい。
父権喪失の「母の日」、退職の日を描く「最後の乗客」。アイスクリームやマラソン観戦の魅力など氏の生活嗜好まで幅広い。氏は30歳も年上なのだが、共感するところも多い。、
吉村は、エッセイとは自分の日常生活を書きとめたものとしている。
そういう意味では、ブログがまさにそう。軌跡である。

社会の中で 「破獄」 吉村 昭 9

2008-04-26 | 吉村 昭
「破獄」。吉村にしては珍しい現代物。それも1人の脱獄囚を描きながら、世相をにらむ。

この辺が吉村らしい。

戦中から戦後にかけて4回も脱獄を繰り返した男。その凄まじい執念はもとより、脱獄を可能にしたのは人間の弱さ、世相と無関係ではなかった。
昭和11年の青森刑務所から、17年の秋田、敗戦の色濃い19年網走、戦後の混乱期22年の札幌。

自然との闘いや看守との駆け引き、脱獄手段の妙はもとより、その時代背景との関連を丹念に描く。昭和58年(1983)刊。
戦争が国内でどう混乱を極めたか。迫り来る戦争の恐怖、食糧難、人員不足による看守体制空洞化、空襲の凄まじさなど、社会と隔絶された刑務所とはいえ、決して社会と無縁ではない。

現代に生きる我々も、高速交通網や情報社会の中でグローバリズムの大きな波に浮かんでいる一つの動物なのだと考えさせられる作品。

時代は時にしてむごい 「戦艦武蔵」 吉村 昭 8

2008-04-08 | 吉村 昭
「戦艦武蔵」は吉村昭を高名ならしめた記録文学の金字塔。昭和41年(1966)に刊行された。

戦艦武蔵は大和の2番艦。終戦間際の昭和19年(1944)にフィリピン海域にて撃沈された。
昭和13年(1938)に長崎にて起工、1年6ヶ月かけて進水し、昭和17年(1942)に完成した。

前半は機密を極めた建造の様子を、後半はその沈没までの有様をたんたんと描く。

戦況が厳しくなるにつれて、燃料補給が絶たれ、時代は巨大戦艦の時代から、飛行機による空爆と魚雷攻撃による制海権奪取へと移り行く。

時代は時に残酷である。一瞬にして人を巻き込み、物体を無にする。 

凛として官僚 「ポーツマスの旗」 吉村 昭 7

2008-04-02 | 吉村 昭
吉村昭が日露戦争を描いた「海の史劇」(昭和47年(1972)刊行)。その主人公の一人、アメリカのポーツマスで行われた講和会議の日本全権、小村寿太郎を描いたのが「ポーツマスの旗」である。
明治38年(1905)8月に講和会議から明治44年の小村の死まで。
それぞれの国の実情を背負い、ぎりぎりまで駆け引きを繰り広げるロシア全権ウィッテとの交渉シーンはドキュメンタリーさながらである。

マスコミ利用の妙や、当時は電報しかない母国との連絡、暗号解読など、まさに駆け引きの世界である。また、母国での政治家、官僚、軍などの対応ぶりなど、とても100年前の出来事とは思えない。
小村の「嘘は嘘を重ねるに過ぎない」「誠実はいつかは通ずる」と実直に交渉を進める姿が凛としてよい。明治政府において雄藩出身者ではない小村が、その努力と才能で外務官僚として国際舞台に駆け上がる。
維新から40年。列強の中で日本が生き抜く様が語られる。

リーダーとは 「海の史劇」 吉村 昭 6

2008-03-26 | 吉村 昭
明治37年(1904)9月5日にロシア海軍バルチック艦隊はロジェストヴィンスキー中将を司令長官として母国を出、日本に向かう7ヶ月の航海に出る。

その間、乃木大将・児玉大将の旅順攻撃・203高地占領の記載を交え、東郷平八郎との日本海海戦の模様、小村寿太郎・ウィッテのアメリカ・ポーツマスの講和会議、そして日本やロシアでの捕虜の状況、最後に1年後の12月20日のロジェストヴィンスキー中将の首都ペテルブルグへの帰還で終わる。

吉村昭は「海の史劇」と題し、この日露戦争を描いた。昭和45年(1970)から46年(1971)に新聞連載。昭和47んえ(1972)刊。

明治となり40年弱。列強のもと、日本はまさに富国強兵でその地位を築く。
そして世界のさまざまな思惑の中で、40年後には、第2次世界大戦の終結を迎える。
イギリス、フランス、アメリカ、アジアの国々。大きな世界の動きの中で日本は存在する時代となる。

世論・民衆に困惑する首脳たち。現場とその経験に基づき苦悩する指導者。そこでうごめく多くの民。資料に基づき、淡々と語る吉村節。
大きな流れとそこに生きる人々を描く。

2つのトンネル 「高熱隋道」「闇を裂く道」 吉村 昭 5

2008-03-25 | 吉村 昭
吉村昭が「トンネル」を描いた2つの作品。

昭和42年(1967)刊行の「高熱隋道」は、昭和11年から15年にかけて電力供給を目的に作られた、富山県黒部渓谷の黒部第三発電所における900メートルの軌道トンネル工事の1年4ヶ月の記録である。
熱さと冬の寒さ・突風など、まさに300人の命をも飲み込んだ自然と人間の戦いをベースに、戦争と国家戦略という背景の中で、ここまでやるのかという記録文学である。
それから20年後、昭和62年(1987)に「闇を裂く道」を発表した。

これは大正2年に測量開始から昭和9年完成という16年もかけて完成した、東海道線のいわゆる箱根越えをトンネルで通す、約8キロの熱海と三島を結ぶ丹那トンネル工事の話である。
それを吉村は、維新直後の明治5年、品川横浜間の鉄道の歴史から始まり、第1次大戦の好況から、後の不況、大正12年の関東大震災、金融恐慌、昭和11年の2.26事件、そして大戦、昭和39年の新幹線開業まで、まさに激動の時代を背景も丁寧に関連付けることを忘れない。
もちろん、崩落事故や湧水との戦いという自然と人間という縮図はもちろん、水源豊かな土地が渇水に見舞われるという公共工事と住民生活という視点も取り入れて一気に読ませる。

生き様 2人の鷹 「冬の鷹」 吉村 昭 4

2008-03-15 | 吉村 昭
吉村昭は、江戸時代享保年間、「ターヘルアナトミア」の翻訳「解体新書」に取り組んだ前野良沢、杉田玄白の2人の医師を軸に「冬の鷹」を執筆した(昭和49年(1974)。

人生50年という時代に、47歳にしてオランダ語の習得を決意、長崎に向かう良沢。
80歳にして寂しく死した学究・孤高の人「良沢」と、良沢の10歳年下で85歳まで生き、多くの師弟や家族に見取られ栄達を遂げる医者「玄白」の生き様はまさに対照的であろう。
前半を解体新書翻訳に、後半を2人をめぐる出来事を記述し、一気に読ませる。

生き様 尾崎放哉 「海も暮れきる」 吉村 昭 3

2008-03-14 | 吉村 昭
吉村昭は後半、綿密な資料収集により伝記ものを書いた。

尾崎放哉(ほうさい)。鳥取県出身の俳人。1885年(明治18年) - 1926年(大正15年)
「海も暮れきる」で、放哉42歳の死地となった8か月の小豆島での生活を描く(昭和55年(1980)刊行)。

鳥取県のホームページで経歴や写真なども提供されている。http://www.pref.tottori.lg.jp/housai/

5.7.5や季語といった制約なく、自由に表現する俳句。
咳をしても一人
足のうら洗えば白くなる
肉がやせてくる太い骨である
いれものがない両手でうける

同じ結核で苦しみ、放哉は死を、吉村は一生を得る。
吉村得意の書簡などの綿密な資料分析から浮かび上がらせる放哉の生き様。
病に脅かされ、過去の栄光と今の貧困に悩み、酒で紛らせ、酒乱に自己嫌悪する日々。
淡々とその葛藤とむごいまでの衰弱の有様を通し、凄まじいまでの死に至る生き様を伝える。