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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

トルストイ「クロイツェル・ソナタ」

2023-05-07 | book
ロシアの文豪、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を読んだ。昭和49年1973年6月発行の新潮文庫、平成17年7月では36刷、164ページ。平成18年2006年10月初版第1刷の光文社古典文庫192ページの短編だ。
トルストイは1828年江戸時代生まれ。同年生まれには西郷隆盛やイプセンがいる。そして、1910年明治43年に82歳で亡くなる。このイワン・イリイチは1889年61歳の時の作品だ。90年に発禁処分、91年に処分を解かれる。

この題名は、ベートーベンの10のヴァイオリンソナタの9番の1803年発表の同名から来ている。

汽車に乗り合わせた白髪の紳士。車内では結婚や夫婦生活について議論が行われていた。その後、紳士はわたしに語り出した。独身時代、結婚、出産。夫婦喧嘩の絶えない家庭。そして、現れた男性バイオリニスト。ピアノを弾く妻との関係に嫉妬する紳士。そして、ナイフで妻を殺してしまう。裁判では裏切られた夫が名誉を守るためという解釈で無罪となる。性の欲望の有り様を提議した。

トルストイ「イワン・イリイチの死」

2023-04-09 | book
ロシアの文豪、トルストイの「イワン・イリイチの死」を読んだ。
ロシア語はまったく読めない。平成18年2006年10月初版第1刷の光文社古典文庫130ページではイワン・イリイチ、1928年10月第1刷の岩波文庫102ページでは、イワン・イリッチとある。
トルストイは1828年江戸時代生まれ。同年生まれには西郷隆盛やイプセンがいる。そして、1910年明治43年に82歳で亡くなる。このイワン・イリイチは1886年58歳の時の作品だ。

最初の段落で、イワン・エゴ―ロヴィッチ・シェベック、フョードル・ワシ-リエヴィッチ、ピョートル・イワ―ノヴィッチの3人の名前が登場する。ヴィッチ3連発だ。普通ならここで、読むのを断念するところだ(笑)。
裁判所の判事を務めていたイリイチが、45歳で亡くなる。それも体に異変を感じて3か月後のことだった。死んだという知らせを受けた同僚たち。そして、イリイチの小さい頃からの回想が始まる。勉学に励んだ若き日、結婚、子供の誕生。立身出世を目指した日々。そして。病気との闘い、不安や孤独が綴られる。

死に向かって歩むのが人生という考え方もある。死はいずれ訪れる。逃れることはできない。いつ訪れるのかもわからない。新聞の人生相談に、この本は紹介された。
この本に影響を受けたのが、黒澤明監督の映画「生きる」だといわれている。

俳人 井上弘美 「NHk俳句 俳句上達9つのコツ」

2023-03-19 | book
NHKのEテレで毎週日曜日、NHK俳句という番組がある。そこで令和4年度の選者を務めた俳人の井上弘美さんの著書、「NHK俳句 俳句上達9つのコツ」を読んだ。2013年平成25年9月に1刷、10年後の2022年令和4年には9刷。増刷を重ねている。

井上さんは1953年生まれで全国紙の京都俳壇選者、2019年度令和元年にもNHK俳句選者を務め、2009年度から2011年にもNHK俳句で添削教室をしている。添削という切り口から俳句の上達を導く手法に定評がある。

コツというからには、小手先のテクニックの伝授のようにも聞こえるが、添削を通して感じてきたつまづきを体系立てて解き明かす。
9つの章立ては、1から3が基礎としての俳句の約束だ。五・七・五と季語、切字と切れ。
4から6が実践編。俳句の型「一句一章と二句一章・文語・旧かなの魅力」、ものからスタートする「焦点を絞る」、やってはいけないこと「報告しない」「状況を説明しない」「動詞を少なく」「助詞の工夫」「シンプルに」だ。
7から9が応用編。表現のテクニック、自分らしさを求める、俳句は挨拶の文芸
各章で紹介された名句は、巻末に四季ごとに再掲されている。
もちろん、添削例もあり、自分で考えるのもいい。

作るより、読んで楽しむ方が好きなのだ。名句鑑賞もその作り方のテクニックを知っているとより味わい深い。目からウロコの一冊。増刷されているのも合点がいく。

まんがでわかる7つの習慣

2023-01-08 | book
スティーブン・R・コヴィーは、1932年生まれ、2012年に79歳で亡くなったアメリカの作家、経営コンサルタントだ。平成元年(1989)の著書『完訳 7つの習慣 -人格主義の回復』は38の言語に訳され、4,000万部以上の売上げ、日本でも240万部以上とされている。人生哲学の定番という触れ込みだ。

図書館で見てみたら「まんがでわかる7つの習慣」という本があったので借りてみた。2013年10月発刊。同年12月で4刷だ。

コヴィーの思想が、亡き父のバーを再開するため、アルバイトでバーに勤め始めた23歳の歩(あゆみ)や、店主や店に来る人たちを通して語られる。

1 他人を間違っていると批判するのは簡単だが、本当に自分が正しいのか。物の見方の基準を持て。とかく人は、他人や親、環境にせいにする。それでは前に進めない。こうしてみよう、直していこう、この人に任せてみよう。主体的な行動変容が大切だ。自分の影響力が及ばないエリアを悩むのは無意味だ。
2 人は何気なく毎日を生きている。ただ、方向性をイメージしているか? 自分ができることは何か? 自分が大切にしているものは何か? やりたいとこやりたくないことを明確にすれば、主体性が生まれ、目的の達成が近づく。
3 スケジュールをこなすことに囚われていないか。最優先事項を優先するという意識で行え。緊急でないが、重要なことが人生の栄養になる。
4 強いか弱いか、勝つか負けるか、物事は2択で決めがちだ。双方にメリットがある道が真の正解だ。そのためには人間関係が大切だ。人からの信頼が得られる信頼口座の残高を増やそう。方法は6つ。相手を理解しよう、思いやりや礼儀を大切にしよう、約束を守ろう、誤解を生まないようにしよう、誠実さを言動で示そう、過ちは心から謝ろう
5 相手を理解しない人は理解してもらえない。話すことより聞くことから始めよう。
6 シナジーとは個の和より大きな成果を得ること。妥協、ま、いいかは、小さな成果しか得られない。その本質は違いを尊重することにある。そもそも生まれや育ちの環境が違うのに考え方や見方が違うのは当たり前。自分の能力や考え方の違いの限界を認めて、相手の長所から学ぶことが大切。シナジーを生むコミュニケーションには忍耐が必要。Aさん案、Bさん案ではなく、両方が得する案が第3の案だ。
7 一日一歩でもいいから進もう。それを習慣にすれば、5年10年後その差は大きくなる。そのためには自分が変わる用意があるかどうかが大切。自分を育てよう。肉体(運動で身体をメンテナンスしよう 1も続けやすい)、精神(自分の心と向き合おう 2の自分への反省と関係する)、知性(3に基づき自分の目的や価値観に合った番組や優れた本を読むようにする)、社会性(仕事やボランティアなどで公的成功を目指そう 4・5・6・のために必要)の4つの側面で刀を研ぐ習慣だ。

1・2・3 自立(私的成功)が身に付いていなければ、4・5・6 自分一人では成しえない大きな成果を実現する(公的成功)は身につかない。

還暦を過ぎた私が、今さら人生哲学かとも思ったが、気付きを恐れてはいけないし、それに刺激を受けて、少しでも自己変革できればよいと思った。それは、死ぬまで続くことになる、続けなければいけないと思うのだ。

俳句がよくわかる文法講座

2023-01-01 | book
明けましておめでとうございます。俳句親しんでから昨年11月で4年目に入った。作るよりも読む方が性に合っているのか、季語という空気の中で、五七五のリズムを刻む17音の最小の詩情に触れるのが心地よい。

四季と、言葉という伝統に則り息づいてきた俳句。言葉として残された作品群の世界には、今でも触れることができる。ところが、17文字の表現方法である文法は、生活の中では、形を変えて今に至っている。つまり、措辞も時代とともに変化しているのだ。

その変化を文法という切り口から俯瞰したのが「俳句がよくわかる文法講座」だ。2022年(平成4年)7月刊行。1961年生まれの大学教授の井上泰志と1983年生まれの大学特任教授の堀切克洋だ。お二人とも俳人で、章やコラムを分担する共著だ。1部が基礎編、2部が実践編。全14章からなる。

基礎編では、なぜ文語文法が俳句に必要なのか。俳句の詠み方・読み方を文法の視点で考えよう。俳句独自のスタイルを意識しよう「たり」「なり」「をり」「あり」。
実践編では、文語は、文章などに豊かな表現を与えるための一連の技法(レトリック)だ。音数の極端に短い俳句には、ことばのあやが大きな意味を持つ。俳句の表記としてのかな・漢字・アルファベット、句読点・記号・改行、旧字・新字・ルビ。時間的表現を考える(アスペクト、過去と完了の違い)。文語体の歴史(古代から中世、近世から現代)。歴史的かなづかい(母音、濁音、長音。拗音)。

俳句を読むために、文語・文法を、佐藤郁良著の「俳句のための文語文法入門」平成23年(2011)12月で学んだ。今でも実用書として座右の本だ。一方、本書は表現の変遷を含めて文語の理論として難易度が高い。しかし、巻末の俳人・歌人名索引にあるように、多くの句を引き出して、その空気を具体に理論づける手法にうなずくところも多かった。

一汁一菜がよいと至るまで

2022-12-25 | book
昭和32年生まれの料理研究家の土井善晴の「一汁一菜がよいと至るまで」を読んだ。2022年5月発行。同年7月に4刷だ。
2016年に「一汁一菜でよいという提案」を上梓。その後のまさに「至るまで」を書いた。

父の勝さんを知っている人は、戦後のテレビ料理番組を見ていた方ならご存じだと思う。私もその中の一人で、私と同年代の善晴さんよりも、お父さんの勝さんの記憶が強い。

テレビや新聞などマスコミに出の多い善晴さんだが、この味噌汁と香の物、ご飯という簡素な一汁一菜の発想は、今の私の朝食そのものだ。平成16年2004に父が倒れ、私が朝食を作り始めてからの20年間変わらないスタイルである。

途中、白米に雑穀を入れるようになったが、味噌汁はいつもその季節の野菜をベースにしている。変わらないものは安定供給のニンジン、豆腐、しめじで、野菜が不足する時はキャベツ、もやしを入れている。家の畑で採れたものを入れている。夏は、たまねぎ、いんげん、なすび。冬は白菜、大根だ。善晴さんのベーコンやピーマンまではさすがに入れていない。具だくさんに作り、毎日、水と味噌を加え、その都度、シメジや豆腐を加え、数日もたす。一菜は、漬物と、大根おろし・じゃこ・海苔入り納豆、そして牛乳入り甘酒、ハチミツ・自家製金柑ジャム(切れたら市販のブルーベリージャム)入りの自家製ヨーグルト、市販の黒酢ドリンクの5品だ。

父、祖母の想い出、青春時代、食と健康・文化、大学の時の神戸のフランス料理店での修行、フランス行き、24歳での大阪で日本料理修行、家庭料理への傾倒、1987年父勝さんの病気、1992年の独立と1995年の勝さんの死などなどが、これまでの人生経験として語られる。

朝の味噌汁づくりには、善晴さんのような家庭料理という文化を守るという崇高な理念はないが、ルーチンのなせる業で、なかなか変えることができない。というか、変えようと思わないだけなのだ。何気ない朝食づくりに、善晴さんのポリシーを面映ゆく読ませてもらった。

一汁一菜でよいという提案

2022-12-18 | book
同年代の料理研究家、土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」を読んだ。2016年平成28年10月刊行。図書館で借りたのは2017年2月、4か月後に9刷、1,650円。2021/10に文庫化935円。思わず文庫本を購入した。2021/10に文庫化935円

今、なぜ一汁一菜か
料理を作るのが大変。外食は経済的にも栄養学的にもバランスを崩す。だれもが心身ともに健康でありたいと思う。それは家族もそうだ。和食献立のすすめではない。システム、思想、美学、日本人としての生き方だ。食べ飽きない。日本の家庭料理の最善の道だ。

暮らしの寸法

自分の身体を信じる
「おいしい!」という感動はなくても、穏やかな心地よさがあればよい。簡単なことを丁寧に。手抜きではない。食事作りのストレスはなくなる。素材を生かす。シンプルな料理が一番。
贅と慎ましさのバランス
ハレ(特別な状態、神様のために作る料理、手をかけるもの)とヶ(日常、人間のために作る料理、手をかけないもの)という二つの概念
慎ましい暮らしは大事の備え
「生活」の中の「暮し(家の中の務め)」。毎日同じことの繰り返し。一汁一菜もそう。だからこそ、気づくことがあり、喜びになる。掃除や季節の変化、

毎日の食事
料理することの意味
食事とは何か 買い物、下ごしらえ、調理、料理、食べる、片付け。その繰り返しが人間の暮らしだ。そのために人と関わり、働き、家族を育て、命をつなぐ
台所が作る安心
生まれてから死ぬまでのゴリラと人間の違い。心の底にあるゆるぎない平和。安心は人生のモチベーションとなる。道の旅への勇気になる。
よく食べることはよく生きること
食べることで体質を改善する。人の細胞は絶えず生まれ変わり、数カ月で別の肉体になる。自分で料理することで、自分と家族を守ることができる。生きている限り、「食べる」ことから逃れられない。一人でもできる「一汁一菜でよいという提案」。食事をするという先に楽しいことがたくさんある。

一汁一菜の実践

一汁一菜とは、ご飯を中心にして、汁(味噌汁)と菜(おかず)それぞれ一品をあわせた食事の型。実際は汁・飯・香(漬物)。基本は、具だくさんの味噌汁とご飯さえあれば良い。
ご・飯の炊き方
具だくさんの味噌汁
豆腐や油揚げは大豆食品、肉や魚介・ベーコンやハム・卵はタンパク質や脂質、野菜・きのこ・海藻は体調を整えるビタミンや植物繊維。これらを組み合わせる。肉は少し、野菜は多めに。煮込むうちに煮汁が少なくなるが、味噌汁から味噌煮込みに、味噌煮という煮物へ。一人みそ汁の作り方。すぐできる味噌汁、四季の味噌汁、魚介の味噌汁
パンもOK.中華も洋食もおかずでOK.一汁一菜は基本。


作る人と食べる人

一汁一菜は持続可能な家庭料理を目指している。その先には秩序を取り戻した暮しがある。それは日本人を知り、和食を知ることにつながる。
プロの料理と家庭料理考
人間の暮らしで一番大切なことは「一生懸命生活すること」で、美しく尊いこと。家庭料理は毎日のこと、見返りを求めない、命をつくる仕事。
家庭料理はおいしくなくてもいい
家庭料理は工夫しないこと、食べ飽きないことが大切。いつもご馳走である必要もないし、いつもおいしい必要もない。家の中でいろんな経験をしている。上手でも下手でもとにかく一生懸命が一番。
作る人と食べる人の関係 
外食(レストラン、チェーン店レストラン、コンビニ食)と家庭料理

おいしさの原点
2013年平成25年ユネスコの世界無形文化遺産に和食が登録された。
五感と和食 欧米は味覚と臭覚。和食は視覚と触覚
二足歩行と火、土器
手を洗うこと、箸を料理と人間の間に横に置くこと、茶わんや鉢を手に持って食べること

和食を初期化する
昭和32年生まれの著者の想い出(食と生活、戦後と高度経済成長)、日本らしさが無くなる中で、和食の型を取り戻そう。そのために、自然の移ろいに共鳴できる心(もののあはれ)を維持していこう。

一汁一菜からはじまる楽しみ
白いご飯と具だくさんの味噌汁を、三角形という型で整える、お茶碗を選ぶ・使う楽しみ、気付いてもらう・察する楽しみ、お膳やランチョンマットを使おう、春夏秋冬の季節を楽しむ、一汁一菜のシンプルさ故に、料理の彩りや触感、器やお膳が楽しめる。

著者は、「食」を通し、生活、人生を論じ、それらを豊かにするために「一汁一菜」という考え方、実践があるという。我が家ではここ20年、味噌汁を基本とした朝食を続けている。中身は季節と共に変わるもの、変わらないものがある。最初、野菜を中心に具沢山に作り、一日目を終える。2日目以降は、具が少なくなるときのこ類を入れ、さらに豆腐、乾燥わかめと次々に足していき、水を加え、味噌を継ぎ足す。おおよそ、4日から5日分の朝食はそれで賄える。毎日作り替えない。そのルーチンを疑ったことはないし、手抜きだと思ったことがない。著者と同じスタンスだったことに驚いている。もちろん、著者の通りにする必要はないし、縛られるものではないが、毎食の味噌汁も飽きるだろうし、著者がいうように、ラーメンや焼きそば、鍋料理があってもよいのだから。

著者を通じて、食の哲学を学ぶことができた。それは生きる意味に繋がることだった。

新潮美術文庫46「ユトリロ」

2022-12-11 | book
新潮美術文庫の46「ユトリロ」を買った。文庫といっても縦20㎝、横13㎝だ。見開きに32の作品と解説、そして、「ユトリロの人と作品」、年表からなる。

この美術文庫は全50巻。この本は昭和49年(1984)7月刊行で、平成25年(2013)6月18刷を購入した。

ユトリロはフランスの画家で、1883年(明治16年)生まれ、1955年(昭和30年)に亡くなる。俳人の安住敦にユトリロの絵についての随筆がある。

安住の句 夜(よ)の書庫にユトリロ返す雪明り


ユトリロと古きよきパリ

2022-12-04 | book
俳人の安住敦が、そのエッセイ「わたしと俳句(人間のいる風景)」で紹介していたユトリロ。1883年明治16年~1955年昭和30年のフランス生まれの画家だ。
その作品を見ようと図書館へ行く。大型の美術全集の中の一冊もあった。しかし、重たい。大きい。当時、全集や百科事典がはやりの名残だろう。近年では、このようなスタイルの本は出版されていないようだ。

その中に、新潮社の「ユトリロと古きよきパリ」という本があった。縦21.5センチ、横16.5センチの119ページもの。カラーの図や写真が多いため、一枚が厚い。1985年11月初版で図書館のは1995年4月刊行の12刷だ。奥付には「とんぼの本」とある。

ホームページによると「〈とんぼの本〉は、1983年に創刊したビジュアルブックのシリーズです。ちょっと変わったシリーズ名は、「高く低く、自由自在に翔べる。空中の一点にホヴァリングすることができる。あらゆる角度を逃さない複眼を持つ」――とんぼの特性のように、軽やかで幅広い視野をもった本でありたい、という思いから名づけられました。
 スタートして35年。総刊行点数は360冊を超え、半分以上の186冊(2019年9月現在)が今も書店さんでご購入いただけます。美術、工芸、建築、写真、文学、暮らし、旅……あらゆるジャンルに及ぶラインアップは、・・・」とある。つまり、この本は、シリーズ創刊直後の本だということになる。

ユトリロが描いたパリの風景を、編集当時の写真、地図も掲載し、作品紹介はもちろん、ユトリロの生涯や関連のエッセイや資料、年表もある。

しぐるるや駅に西口東口 5/5

2022-11-27 | book
しぐるるや駅に西口東口

俳人の安住敦の40歳の時の句だ。自選自解の句集には、田園調布駅での句で、人と待ち合わせをしているときに、駅の出入り口をはっきりしなかっため、相手に迷惑をかけたとのこと。石川桂郎は、逢曳きの句として鑑賞したとある。
季語は冬の「時雨(しぐれ)」。傍題で「時雨る(しぐる)」、「朝時雨」「夕時雨」などがある。角川書店編の俳句歳時記の解説には、「冬の初め、晴れていても急に雨雲が生じて、しばらく雨が降っていたかと思うとすぐ止み、また降り出すということがある」。冬の通り雨のことだ。

私の解釈
冬の通り雨が来た。駅に二つの出入口がある。季節の風景を詠った句だ。
肌寒くなり、駅にはコート来た人や傘を持つ人たちがいる。降ったりやんだり気まぐれな雨に、人は足早に通り過ぎる。駅に入る人、出る人。家路に、目的地へ向かう人。家族や恋人に会う人、仕事や買い物の人たちもいる。さまざな人生模様が、一瞬に切り取られる。そして、時雨の冷たさが、いやが負うにも人の侘しさや温もりを感じさせる。
措辞に一つの無駄もなく、季語は、動かない。春でも夏でも秋でもない。晴天、雨天でもない。時雨でなければならない。
安住のエッセイ「人間のいる風景」から。「花鳥を詠もうが風景を描こうが、そこに人間がいるのでなければ興味はないというのだ」「点景としての人間の姿ではなく、その花鳥の陰に、風景の裏に人間が感じられなければつまらないということだ」と。また、「庭前に花が咲けば花を詠い、旅に出ればその風景を詠ったが、その花鳥の陰に、風景の裏に必ず人間のいることを念じた」と。