「現代の俳句」シリーズの11が「自選自解 安住敦句集」だった。昭和53年(1978)4月刊行。手元にあるのは第4版の平成元年(1988)5月だ。
巻末に、「俳句への招待」の中の「わたしと俳句(自句自註、我流俳句作法、人間のいる風景)」の中の「人間のいる風景」が採録されている。
3つの物語からなる。1つ目は、久保田万太郎の「風景だけというのはつまりませんね」の言葉。そして、安住は「花鳥を詠もうが風景を描こうが、そこに人間がいるのでなければ興味はないというのだ」「点景としての人間の姿ではなく、その花鳥の陰に、風景の裏に人間が感じられなければつまらないということだ」と。また、「庭前に花が咲けば花を詠い、旅に出ればその風景を詠ったが、その花鳥の陰に、風景の裏に必ず人間のいることを念じた」とも。
2編目は松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た時、有名な松島での句がないという。安住が、松島を訪れた時の感慨。
3編目は、フランスの作家、モーリス・ユトリロ(1883年12月~1955年11月)はについての考察。その画風を、風景の中に人物がいないというのが一つの特色とされているが、そうではないと。家の中にいる。教会の中にいる。ユトリロの絵を見ていると、何とも人懐かしく心やさしく感じられてくるのであるとする。
巻末に、「俳句への招待」の中の「わたしと俳句(自句自註、我流俳句作法、人間のいる風景)」の中の「人間のいる風景」が採録されている。
3つの物語からなる。1つ目は、久保田万太郎の「風景だけというのはつまりませんね」の言葉。そして、安住は「花鳥を詠もうが風景を描こうが、そこに人間がいるのでなければ興味はないというのだ」「点景としての人間の姿ではなく、その花鳥の陰に、風景の裏に人間が感じられなければつまらないということだ」と。また、「庭前に花が咲けば花を詠い、旅に出ればその風景を詠ったが、その花鳥の陰に、風景の裏に必ず人間のいることを念じた」とも。
2編目は松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た時、有名な松島での句がないという。安住が、松島を訪れた時の感慨。
3編目は、フランスの作家、モーリス・ユトリロ(1883年12月~1955年11月)はについての考察。その画風を、風景の中に人物がいないというのが一つの特色とされているが、そうではないと。家の中にいる。教会の中にいる。ユトリロの絵を見ていると、何とも人懐かしく心やさしく感じられてくるのであるとする。