光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

あの、おうし座のかに星雲(M1)が、かすかに写っていた。ほか、ノバラの赤い実など

2014-10-28 13:18:43 | 星空・天体・宇宙
  お天気、寒々しい感じだが、朝から結構ばたばたしている。

  気持ちの問題でもあるけれど。


  きのう、カメラのモニタを見ていて、それはPCのモニタよりよく見える場合があるが、

  あれ、これもしかして、おうし座の「かに星雲」じゃないのというのが見つかった。

  偶然、他にも、そのかに星雲(M1)が写っていると思われるファイルがあって、

  星図ともかなり睨めっこもしたが、多分間違いないなと思った。


  おうし座のかに星雲(M1)、は名前は有名でほとんど誰でも知っている気もするが、これ

  なかなかたとえば望遠鏡で見たとかは、ないのではないか。

  が、なんといってもかに星雲で、昔から『科学百科』とかの星とか宇宙編では、よくその画像は

  出ていた。


  だが、私はそれを見ようとは思ったが、見えたことがないのである。また写真でも、画像にその

  痕跡を見たことはなかった。それがあったのである。


  久しぶりに、岩波の『理化学辞典』第5版を見る。

  フランスの天文学者、メシエがこの惑星状星雲を発見したのはたしかだと思えるが、

  この星雲、超新星爆発の残骸、名残とされている。

  それがいつ起こったか、1054年とある。かなり、そうとうに昔。


  だからメシエが生きた時代に、この超新星はもちろん見えないはずで、その残骸である

  星雲を発見するまでは、長くその存在は知られていない?。

  

  でも1054年の超新星を見た人はいることはいるはずで、記録としては、中国と日本にあるとされる。

  日本のそれは、これも誰もが聞いたことある、藤原定家の『明月記』に記されているものだが、

  定家が生きた時代は超新星爆発の100年以上はあとで、本人が観測していることはあり得ない。

  もちろんでも、ちゃんと「伝え聞いたもの」とある、とのことで、特に問題はない。

  一体に超新星は、どのくらいに明るくなって、どのくらいの時間人の目で見ることが出来るのか

  これはなかなかむつかしい問題だが、長い時間はあり得ない。


  でもヨーロッパでも、中国でも、日本でも、この突如現われた明るい星を見ている人はいるはず

  と想像するのはむつかしくはない、と思う。空を見る占星術師はいたし、何しろ空も暗かったので。

  記録というのも見つからないものがある。



  かに星雲(M1)までの距離は、6400光年とされる。

  電波天体の一つで、強いX線を出している。いま見える中心の星はパルサーだとか。

  これだけいろいろな話題がありながら、可視光では暗くて見えないのである。


  その位置は、おうし座のζ星のすぐそば。ζ星はわかりやすい。



  10月25日、それほど遅くないときの画像。画像はいつもの通り横長ですので、スライドして

  いただかないと、見えないところが出ます。



  その一。右上のほうに、ヒアデス。アルデバランが明るい。左側に明るい星があるが、
  おうしの角。もっとも、上側、β星はぎょしゃ座の星と間違えやすい。その下が
  ζ星。




  その二。ζ星付近。矢印で、かに星雲の位置を示した。予想通り、かなり淡い。
  でも間違いないと思う。


  もう一枚、これはぎょしゃ座の散開星団も写っていてなかなかきれいだが、ここにも

  おうし座のζ星はある。



  その三。かに星雲の位置は右下になる。




  その四。同じように、矢印で、かに星雲の位置を示した。こちらのほうが少し、拡大率は
  大きめ。だが、M1は少し暗い。でもここにも間違いなく、M1は、写っている。

  口径の大きな写真用の明るい望遠鏡と専用のカメラ、精度の高い赤道儀で撮られたものとは
  比べ物にならない。

  でも、G1 Xでは写らないと思っていた。

  (追記:何回も、『明月記』を『名月記』と間違えている。調べるときも間違えて、今また間違えた。

  明月なのだな。明月、明月、明月)。


  他に、とここで紹介するのもおかしいが、そうゆうスタイルなので、赤い植物の実も。

  ナンテンと、ノバラの実。ノバラの実は赤いのである。知らなかった。



  その五。




  その六。


  ノバラの赤い実。



  その七。なんだかわからなかった。




  その八。そういえば春だったか初夏か、かなりの白い花が咲いた。




  その九。その実しか考えられない。ノバラの実。




  その十。


  星関係だけではないけれど、「ギリシャ文字」を書かないといけないときがある。

  本には一覧が出ている。

  でも、もう小さい字は見えないし、目の前にないといけない。

  カードを作るしかない。手書きで大きく、読み方も。

  そのカードをどっかにやって、しかたなく新しいのを作った。


  その新しいのもなくなりそうで、でもこの前、出てきた。

  今日はまたわからなくなったが、古いのはあった。

  新しいのを執拗に探した。ない。ほかのいろいろなものが、あちこちにあるのがわかって

  散在するその様子を見て自分ながら呆れた。



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