2012年の10月のいつだったか、半ばごろか、一度地平に沈む太陽を
写そうという気になって、というのも、バカみたいに、いやありがたいくらいに
いい天気になったからで、それもこのときは、一眼を持っていった。
去年の10月は今思い返すと、さほど寒くもなかった。
そのとき以来、広い田んぼに出て、沈む夕日を撮る気にはなかなかならず、
せいぜい、いえの窓からが精一杯というところ。
だったが、きのうは風もさほどなく、寒さもひどくはなかったのでちょっと
調子に乗ってしまって、夕日を見に、撮りにいった。
でも持っていったのは、軽い、コンパクト・デジタルで、悪くはないと思うけど
でもその写り具合だと、一眼の方がよかったかな。
しかしどんな絵が出るか、なかなかわからないものである。
風に少し当たって、足もとに気を付けながら、さほど感傷的にもならず、というところ。
で、夕日は、地平に沈みそうだったが、沈む前に雲に隠れた。
そこで、退いた。
その一。秋の夕日とまた違って、それでも天気のいい冬だから、あまり厳しさは
感じられない。
その二。建物、ビニルハウスがある。これを入れたほうが現実感が出る。
その三。
その四。空に、雲があって、これが完全にないというと、どうだったかな。
その五。
その六。私のいる周りは、まだ十分に明るい。
その七。
その八。
その九。
その十。太陽光の鋭さが少し出ている。
その十一。雲に隠れてしまった太陽。惜しい。
デジタルだからということでなく、これだけ明るさの違う光景を、一枚に入れてしまうと
何がなんだかわからなくなる。
その点、人の目は、明るいところ、暗いところ、皆同じように見えて、
脳の働きのおかげらしいが、素晴らしい。
人の目で見えているように画像を持ってゆくのは、出来ないのか、あるいは
かなりむつかしい。
そうゆう方法は、しかしあるのだろうという気はするが・・・。
写そうという気になって、というのも、バカみたいに、いやありがたいくらいに
いい天気になったからで、それもこのときは、一眼を持っていった。
去年の10月は今思い返すと、さほど寒くもなかった。
そのとき以来、広い田んぼに出て、沈む夕日を撮る気にはなかなかならず、
せいぜい、いえの窓からが精一杯というところ。
だったが、きのうは風もさほどなく、寒さもひどくはなかったのでちょっと
調子に乗ってしまって、夕日を見に、撮りにいった。
でも持っていったのは、軽い、コンパクト・デジタルで、悪くはないと思うけど
でもその写り具合だと、一眼の方がよかったかな。
しかしどんな絵が出るか、なかなかわからないものである。
風に少し当たって、足もとに気を付けながら、さほど感傷的にもならず、というところ。
で、夕日は、地平に沈みそうだったが、沈む前に雲に隠れた。
そこで、退いた。
その一。秋の夕日とまた違って、それでも天気のいい冬だから、あまり厳しさは
感じられない。
その二。建物、ビニルハウスがある。これを入れたほうが現実感が出る。
その三。
その四。空に、雲があって、これが完全にないというと、どうだったかな。
その五。
その六。私のいる周りは、まだ十分に明るい。
その七。
その八。
その九。
その十。太陽光の鋭さが少し出ている。
その十一。雲に隠れてしまった太陽。惜しい。
デジタルだからということでなく、これだけ明るさの違う光景を、一枚に入れてしまうと
何がなんだかわからなくなる。
その点、人の目は、明るいところ、暗いところ、皆同じように見えて、
脳の働きのおかげらしいが、素晴らしい。
人の目で見えているように画像を持ってゆくのは、出来ないのか、あるいは
かなりむつかしい。
そうゆう方法は、しかしあるのだろうという気はするが・・・。