幾日ぶりかに、朝の散歩に出かけた。
体調がいまひとつであったことも確かだが、怠け癖がつくと、楽な方へ流れてしまう。私のように、意志の弱い人間にとって、惰性ほど怖いものはない。
今朝は、雨もなく、比較的さわやかな朝だったので、まずは新聞を読む、という朝の行事を中止して、散歩に出かけた。
久しぶりに国道を歩いてみて、変化に驚かされた。広範囲にわたって、夏草が刈り取られていた。私が、観察の草木と勝手に定めていたものが、姿を消していた。
歩道わきの側溝を覆い、歩道にまで夏草は勢力を伸ばしていたから、道路管理者か誰かによって、刈り取られたのだろう。
歩きやすくはなったが、目印としていたものがなくなって、アレアレといった思いだった。姿が消えてしまうと、どこに何があったのかも思い出せない。イタドリの生い茂っていた場所くらいが、なんとか思い出せた程度だ。
散歩のときに眺める合歓の木は、国道をわずか逸れた位置にあるし、樹木だから無事であった。
合歓の花の咲き始めは、もう半月も前だっただろうか。このところ花の数が増え、樹上が華やいできた。合歓の木は、枝の上部に花を咲かせるので、カメラに収めにくい花である。幸い、道沿いに垂れたひと枝があったので、枝を引き寄せ、間近に眺めることができた。(写真)
鳥が羽を広げたかのように、扇の型に、淡い花を咲かせる合歓の花は、柔らかく、はかなげな花なのに、不思議と夏の雰囲気に似合う。
見上げた梢の葉は、まだ眠っていた。時計代わりに持ち歩く、携帯で時刻を確かめると、5時28分であった。
葉は、どんなふうに目覚めるのだろう?
その瞬間を見てみたかったが、散歩の先を急いだ。
象潟や雨に西施がねぶの花
芭蕉の有名な句を思い出した。
合歓の花に、憂愁の哀しげな美女をイメージするのは、芭蕉の句の印象が強いせいだろう。
夏に、樹木が咲かせる花として、好きな花の筆頭である。
体調がいまひとつであったことも確かだが、怠け癖がつくと、楽な方へ流れてしまう。私のように、意志の弱い人間にとって、惰性ほど怖いものはない。
今朝は、雨もなく、比較的さわやかな朝だったので、まずは新聞を読む、という朝の行事を中止して、散歩に出かけた。
久しぶりに国道を歩いてみて、変化に驚かされた。広範囲にわたって、夏草が刈り取られていた。私が、観察の草木と勝手に定めていたものが、姿を消していた。
歩道わきの側溝を覆い、歩道にまで夏草は勢力を伸ばしていたから、道路管理者か誰かによって、刈り取られたのだろう。
歩きやすくはなったが、目印としていたものがなくなって、アレアレといった思いだった。姿が消えてしまうと、どこに何があったのかも思い出せない。イタドリの生い茂っていた場所くらいが、なんとか思い出せた程度だ。
散歩のときに眺める合歓の木は、国道をわずか逸れた位置にあるし、樹木だから無事であった。
合歓の花の咲き始めは、もう半月も前だっただろうか。このところ花の数が増え、樹上が華やいできた。合歓の木は、枝の上部に花を咲かせるので、カメラに収めにくい花である。幸い、道沿いに垂れたひと枝があったので、枝を引き寄せ、間近に眺めることができた。(写真)
鳥が羽を広げたかのように、扇の型に、淡い花を咲かせる合歓の花は、柔らかく、はかなげな花なのに、不思議と夏の雰囲気に似合う。
見上げた梢の葉は、まだ眠っていた。時計代わりに持ち歩く、携帯で時刻を確かめると、5時28分であった。
葉は、どんなふうに目覚めるのだろう?
その瞬間を見てみたかったが、散歩の先を急いだ。
象潟や雨に西施がねぶの花
芭蕉の有名な句を思い出した。
合歓の花に、憂愁の哀しげな美女をイメージするのは、芭蕉の句の印象が強いせいだろう。
夏に、樹木が咲かせる花として、好きな花の筆頭である。
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