日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 



 

 

モスクワ五輪1980は、米ソ冷戦がアフガニスタン侵攻(1979年12月25日)により、分断された大会。

この中で翻弄されたJOC代表選手たちを追うシリーズ。

 

  

知るよしもない時代を、ひとつひとつ10回にも渡り 解明していく記事群に 感銘(涙)

それは個々のタイトルからだけでもわかる。

 

.幻の代表、閉じ込めていた記憶

.練習の傍ら、悪い予感も抱いた

.「今までの努力、何だったのか

.自腹・少数精鋭、苦肉の妥協案

.予算削減の恐怖、採決動かした

.不参加決定続いた代表選考

.開会式、激しく揺さぶられた

.それでも競技人生は続いた

.悔い晴らせる時30年を経て

10.屈しない力とは。

 

 

カナダが4月26日に不参加を決定。

西ドイツが5月15日に不参加を決定。

モスクワ五輪の参加エントリーは1980年5月24日が締め切り。

政府のプレッシャー下のJOCではなく日本体育協会の臨時理事会で実質的に不参加が決定した。

 

代表に選ばれながら舞台を奪われた選手が、18競技で178人。

記事に埋め込まれている選手たちのコメントが当時を物語っている。

 

 

「天地がひっくり返るくらいしんどかった」

 

「競技の場に立てなければ敗北です」(ヨット)

 

「競技を続けたが、記録や勝負にこだわる意欲がわいてこなかった」(水泳)

 

「負けずに頑張れ?  4年に一度にピークをもっていこうとした選手にさらに4年後がどれだけ長いか…」

 

「彼らはオリンピック選手、自分はオリンピック代表と紹介される」

 

 

そしてこのシリーズの最後を締める元柔道の日本代表コーチのコメントが痺れる

「スポーツが政治力を持てるよう、競技者も指導者も勉強しなければいけない。

なのに、近年は専門的な連取が低年齢化し、競技以外のことを勉強する機会が少なくなっている」

 

渾身の10回シリーズ、と結論づけても文句はないだろう!

(4/9〜4/22)



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