福田紀一氏著『おやじの国史とむすこの日本史』( 昭和52年刊 中央公論社 )、を読了。
氏は昭和5年に大阪で生まれ、昭和28年に京都大学を卒業後、大阪明星学園の教諭となっています。私より14才年長で、存命なら87才です。この本は、高校の教師をしていた現役時代に書かれたものですが、私の期待が外れました。
日本史の教師として、真面目な内容ですが、200ページの著作の半分の100ページは、大学受験のためのハウツウ本でした。一生の大事である受験を前にした高校生に、日本史の勉強方法はどうすれば良いのか。どのように整理すれば効率良い勉強ができるかなど、現場の教師らしく、丁寧な説明が書かれていました。
敗戦になった時、氏は17才ですから、現在で言えば高校の二年生です。当時の私は数えの3才で、母の背に負われ、満州から引き揚げている頃です。大勢の人と貨車に乗っていたことや、雨が降ると大人たちが荷物の陰に押し込んでくれたことなど、ほんの断片しか覚えていません。
しかし氏は、天皇陛下の玉音放送を聞き、おぼろげながら、日本が戦争に負けたらしいことを理解したと書いています。当時の事情が具体的に、沢山語られているのだと期待しました。
・今の高校の授業内容は、難しすぎる。それは大学入試が難しいからであり、大学入試こそ、高校教育を歪める諸悪の根源である。
・その事実は肯定せざるを得ないけれど、多くの現場の高校の日本史教師たちは、そんな状況の中で、歴史を正しく教えようとする立場を崩していないのではなかろうか。
と、これはごく一部の紹介ですが、真剣な内容でも心に響かないのは、氏の言葉に何かが欠けているのではないかと、そんな気持ちになりました。
氏の意見を紹介します。
・戦前の国史の授業では、国民は常に天皇に忠誠であって、逆賊は必ず何らかの形で倒される。
・国外にあっては、日本軍は必ず不利を克服して勝利を収め、外国の民衆は、天皇の軍隊である日本軍を敬愛すると、教えられねばならなかった。
・昭和17年の頃なら、教師がもしそのような授業をしなければ、国の法律で、命を奪われることも覚悟しなければならなかった。
・命より前に、ひどい拷問や、社会的制裁が加えられるはずであった。
・日本が敗戦し連合国に支配され、天皇が、マッカーサー司令官を訪問し、二人で並んで写真を撮った事件は、日本の国史教育を、根底から覆すものであったと言って良い。
・私自身、日本の国史教育に愛想を尽かし、そのような教育をさせた国家にも、愛想を尽かした。同じ経験を持つ人は、きっと私以外にも、沢山いるに違いない。
・戦争中に、小学校から旧制高校の生活を送った人なら、敗戦により大なり小なり、挫折した体験を持っているはずである。
・一切が敗戦とともに断ち切られ、今まで自分が築いてきたものが、全て失われたと感じた人がほとんどだったのではないか。
・それまで正しいとされていたものが、突然間違いであったとされ、悪であったものが、善に変わった。
・意識の転換できないで、滅んでいく友人たちを、僕は数多く見た。あのような転換の中での苦悩こそが、ほんとうの戦争体験であったという、気がしてならない。
・世の親父さんたちが、戦争体験を息子に語ろうとするなら、自分の敗戦体験と、その後に続く自己の再発見の道をこそ語るべきだと、私は考える。
敗戦国となった時、日本人がどれだけの衝撃を受けたか、私に体験はありませんが、想像はできます。私のように幼児だった者には無関係でしたが、当時の青少年の多くは、挫折や失意に打ちひしがれたのだと理解できます。
政治家も学者も新聞もラジオも、
「日本が間違っていた。」
「日本が悪かった。」
「一億総懺悔だ。」
と、声を揃えるのですから、氏の意見は嘘ではなく、偽りのない実感だと思います。幼児だった私と、青年だった氏との、年齢差がそうさせるのか。あるいは、持って生まれた人間性が違っているのか。
私は歴史の知識のない生徒でしたが、中学生になった私は、戦前の日本を否定する授業と、日本を悪として否定する教師に反発いたしました。日本の軍隊がやったことは酷いものだったかもしれませんが、戦争ならばお互い様でないかと、私の出発点は単純な反応でした。
私の中で疑問が膨らみ、やがて、そんな授業ばかりをする、日本史の教師と、社会科の教師を、軽蔑し憎むようになりました。
「そんなに日本が嫌なら、先生はアメリカでも、ソ連でも、中国にでも、どこにでも行って、住めばいいんだ。」
口に出しませんでしたが、内心ではそう思っていました。日本人としての自然な気持だと考う、私は中学校と高校をそんな思いで過ごしました。だから私は、氏と同じ日本人ですが、戦後について違った受け止め方をし、異なる意見を持っています。
多くの大人たちが、高等小学校しか出ていなかった時代に、京都大学を卒業したと言うのですから、氏は相当なインテリの一人です。敗戦時の衝撃が強かったとしても、以後30年経ってもなお、このような意見しか持ち得なかったのかと違和感があります。
会社の仕事を辞め、年金生活者となり、本を読みだして、私はまだ五、六年しか経っていません。氏のように敗戦をとらえ、日本を憎むようになった人間が沢山いました。しかし占領統治に疑問を持ち、変節した指導者に、怒りを燃やした人間も多くいました。
多くの庶民は廃墟となった国で、暮らしを守るだけで精一杯でしたから、GHQのことは知らず、気づきもしなかったのだろうと私は考えます。
だが氏は著作まで出版しているのですから、単なる庶民ではありません。むしろ氏は、敗戦後に無数に生まれた「お花畑の住民」の一人でなかったかと、これが私の理解です。
私が厳しく反論しないのは、氏の人柄にあります。
反日・左翼系の人物の本は、紋切り型の日本攻撃文が際限なく続きます。上から目線の日本断罪が行われ、著者は本当に日本人なのかと不愉快になる程、一方的な話で終始します。そうした本に比べますと、迷いつつためらいつつ、真摯に言葉を綴る氏に、敬意の念を覚えました。
無知に気づかない氏だとしても、そこには真剣さがありました。いわば氏は、覚醒することを忘れた、勘違いの善人です。それだけに厄介で、有害な「獅子身中の虫」の仲間で、「駆除すべき害虫」の一人だとも言えます。
氏のような人物が、国の安全保障をないがしろにし、共産党や民進党の反日に賛成し、政府攻撃のデモ行進に参加します。勘違いしているだけに、手に負えない、「えせ平和主義者」にも変貌します。
やはりこの本は、資源回収日のゴミとして迷わずに処分します。