三潴 ( みつま ) 氏の著作でうなづかされたのは、次の意見でした。
・日本での革命や、日本の転覆を図ろうとする人たちは、日本国民が、西洋史にあまり慣れていないことを奇貨として、非常に勝手なことを流します。
・いかにも西洋においては、こういう原理が立っておるぞと、いうようなことを流布するのであります。
・真に国を憂える方々は、こういうことに惑わされないで、ヨーロッパのことも、本当はどうなんだと、しっかりつかまえておく必要があります。
この意見は、一般論としても通用します。
明治の文明開化以来、西洋を崇拝する気風が強いわが国では、フランスやイギリスやドイツなど、ヨーロッパの思想や芸術を、学者や文化人たちが紹介してきました。お陰で、日本の近代化が進んだのですが、中にはいい加減なものもありました。
トインビー、サルトル、トフラーと、西洋人の名前が氾濫し、われもわれもと飛びついた風潮がありました。これからも続く日本の国民性なので、氏の警告は傾聴に値します。
・もしも「祭政一致」ということが、近代国家に合わないというのならば、なぜ英国において、英国教会というものが国教になっておるのか。
・国教を持っている国は、沢山あります。
・中南米の国々もそうだし、東南アジアの仏教国もそうであります。アメリカの大統領が就任する時だって、バイブルに手を置いて宣誓いたします。
・英国のように、真正面から国教を制度化していなくとも、何らかの意味合いにおいて、国民生活の根本に、国家の道としての、心としての、主たる宗教があるということは、そんなに珍しいことでは、ないわけです。
・むしろ、その方が多いわけです。
常々そう思っていましたので、身を入れて読みます。
・戦後の日本は極端で、学校において、日本の精神的伝統である神道について、神の道について、触れることもできないでいる。
・こういうようなことは、唯物史観からくるものでしょうが、とんでもない話だと思うのです。
・国全体の公の行事としては、いかなる場合においても、神宮、神社へのお参りをしてはならないと、そういうことになっております。
・天皇陛下がご参拝になる時ですら、天皇としてではなく、裕仁さま個人としてやって頂きたいということで、誠におかしな話です。
・戦前には、一番大切だった陛下の神事が、国家の行事でなくなりました。
・国の機関も、国民も、あっちを向いていてくれ、勝手に陛下がなさりたければ、なさるのだと、こういうことになっております。
・しかしこれは重大な問題で、国体の根本的破壊であるということを、つけ加えておきます。
・国家というものが大きな人格体であり、自主的普遍我である以上は、そこで一番大事なものはやはり精神生活であり、祭りであるということです。
このあたりから本論へ入り、難しい言葉が出てきますが、3日前に紹介した、氏の言葉を思い出すと、何となく思いが伝わってきます。
・ところが「ゲルマン法」というのは、もともとが農本国家、農業民族です。
・だから自然を征服するとか、自然との戦いとかいうのではないのです。
・農業民族というのは、自分は、もともと天地から生まれたもので、天地自然と一つになっていくと、こういう道 (意識 ) を持っておるのです。
・だから人間同士の間でも、決して利害損得とか、権力の対立関係などを、互いの秩序の基礎とは、考えていないのです。
・本来みんな一心同体だと、そこから出発しているのです。
・ゲルマンの思想は、全体主義でなく、本来みんな一心同体だという、いわば生命の原理というか、そういうところから、出発しているのです。
その一心同体の中心にあるのが、「天皇である」という認識です。息子たちに言います。日本には左翼の反日学者だけでなく、こういう考え方をする学者もいるのです。
・神武天皇の御即位の時というのが、日本の国の一番初めではありません。
・これを建国の日といって、この日に日本が始まったと考えたらおかしいのです。
・『日本書紀』の中には、天孫降臨から神武天皇の御即位までが、百七十九万何千年と書いてあるくらいで、いつの頃かわからないがとにかくずっと昔から、権力主義や利益主義によらず、おのずからなる一心同体として、だんだんだんだんに、日本の国が、無理なく生成、発展してきたということなのです。
氏の説明は、戦後に生まれ、民主主義教育で育った私には、そのまま伝わりません。
左翼系の学者たちが、氏のような考え方を「非科学的」、「作りごと」と批判攻撃したからです。左翼系の学者だけでなく、理知を売り物にする文化人が、「非科学的」という言葉を武器に、日本古来の思想を冷笑し排斥しました。
政府も「非科学的」、「作りごと」として『日本書紀』排除し、日本の片隅へ押し込んでしまいました。
氏の意見に従えば、キリスト教の経典の「非科学性」はなんと説明するのかと、こういういう話が出てきます。処女懐胎やキリストの死後の蘇り、あるいは海が避けたり、天が割れたり、荒唐無稽としか思えないことが信じられ、語り継がれています。
西洋の神話を肯定するのなら、日本の神話がどうして同じことにならないのでしょう。天孫降臨も、天の岩戸も、日本武の東征も、日本の神話です。
日本人の学者として、氏が神話を研究し肯定しても不都合はありません。私が注意しているのは、天皇を絶対的な存在とする氏が、
「統帥権の確立」なくして国軍は成立しない。」
、という意見の持ち主だというところだけです。
初回のブログで述べましたが、「ねこ庭」では富田氏の意見が正しいと考えていますので、国民を惑わせる一途な天皇賛美には賛成致しません。富田氏の著書を指針としながら、明日も三潴氏の著書に向かいます。
日本の過去を知るため、迷いつつ、ためらいつつ読書をしている父を、いつか息子たちが理解してくれる日が来ることを楽しみにして、本日はここまでといたします。
こんばんは!
コメント有難うございました
つい先ほどご返事を書きました
私は子供の頃、戦犯を免れ逃れてきていました大佐の背を見て成長したような気がします
親の背は見なかったか無視したかもしれません
貴兄の場合は立派です、私には睡眠薬に等しい難解な書籍を読む後ろ姿こそ子供・孫にとって一番の学習塾で有ります
貴兄の子供達・孫が羨ましい
それに引き換え私は浮浪者然ですから子供には呆れかえられ孫には姿などとてもとても・・
一応、人様に自慢できる机と椅子は有りますが特殊分野で人様には言えない見せたくない趣味が自慢ですから子や孫に背中など見せられる筈も有りません
しかし、国を愛する思ひは貴兄と同じです
誰かが発信し続けなければ貴重な書籍も考え方も闇に消えるだけです
私はモンゴルで野良犬や野良猫相手に日本人の気迫を見せつけています
貴兄は千葉から日本中・世界中に発信している事に意味が有ります
トルストイも言っています人にはどれだけの土地が必要かと
このことに世界中の霊長類が気が付けば日本のお花畑の人達の生き方というものが評価されるのですが今は時期尚早なのです
ロシアはプーちゃんが何期目ですか立ち向かう者はVXをお見舞いしてやると意気込みお隣中国では習ちゃんが歴史に残る永遠の主席を宣言しました
トルストイの願いはいつ叶うのですか
我が子・孫に背を見せられないなら私が貴兄の背を見て読書を古稀の手習いと始めます
統帥権の使い道は貴兄と同じ
お花畑の人たちについて、私は全部否定しているのではありません。
「日本人は、極悪非道なことをするけれど、外国人は、そんなことはしない。話せばわかる人間ばかりで、立派な人間たちだ。」と、こんなバカを言わなければ、その博愛主義と人道主義と、思いやりの心には、敬服いたします。
自分の家族や親類縁者、友人・知人にろくな人間がいないから、こんな考えに陥るのでしょうか。
貴方の散歩と同じで、私の読書は、単なる習慣といいますか、繰り返す日常生活の一部でしかありません。
息子や孫たちが、私のいなくなった後で、ブログを読んでくれる日を楽しみにしている、というのだけは、本音です。
・・・と、余計なコメントになりました。貴方のご意見が、あまり真剣なので、いい加減な私は、びっくり仰天で、支離滅裂となります。
こんにちは!
まさにおっしゃる通りです
多くの日本人も捨てた物じゃないという事です
礼節を弁え発言しないことが災いしているだけです
今の現状を見ているとTVニュースもMSN記事も政治ニュースは見たくも聞きたくもなく見ないように無視しています
一人一人の家族が親類縁者が友人知人が国家の大切さ有難さを自覚さえすれば、このような大騒ぎするような事にはなりません
大半の日本人は心の芯の拠り所を今一度、思い起こせばいいだけでの事です
貴兄のブログはいい意味で、その野火の役目をしているのではないかと私は考えております
日本の多くの人々に・・と、そんな大それた気持ちはありません。
せめて自分の家族だけでも、心の芯に火をつけたいと、それを楽しみにしています。
これからも、よろしくお願いいたします。