本日から、中断していた『日露戦争』の書評をはじめます。既に読み終えていますので、思い出しながら書かなくてなりません。ルーズベルト大統領が、斡旋に乗り出す前後の、各国の思惑について、下村教授の説明を転記します。
明治28年( 1895 )の5月、対馬沖で日本がバルチック艦隊を撃滅する直前の、各国の動きです。
〈 日本 〉
・元老と政府は、戦争開始と共に和平工作を念頭に置いて、戦争の経過を見守っていた。
〈 フランス 〉 ( ルービィエ大統領 )
・露・独の接近状態に不安をだき、日露の講和を斡旋し、ロシアの好意をドイツから奪回しようとしていた。
〈 ドイツ 〉 ( 皇帝ウィルヘルム二世 )
・日露戦争後、列国による清国分割が行われることを予測し、ドイツが除外されないための検討をしていた。
・独・仏・米の三国で日露の和を講じさせ、ついでに日英同盟を離間させ、日本とロシアの同盟を画策。( イギリスを孤立させようとする考え )
・これについては、アメリカの動向が成否の鍵だった。
〈 アメリカ 〉
・ルーズベルトは日本に同情的であったため、ドイツの提案を拒否し、このことを駐米大使高平に告げた。
・フランス大統領に対し、ロシアにとって講和が得策であることを、ロシアに勧告するよう求めた。
〈 ロシア 〉 ( 皇帝ニコライ二世 )
・バルチック艦隊と、奉天に展開する数十万の兵力に期待をかけ、フランスの要請に応じなかった。
ルーズベルトの意向を知った、枢密院議長の伊藤は、これを受け入れようとしましたが、桂太郎首相と小村外相が次の理由で反対しました。
・今、講和に意のあることを示すと、ロシアの主戦派が、日本に弱点があるため戦争遂行が不可能になったと思い、返って戦争継続を決意させる恐れがある。
( 駐米大使高平を通じ、この点をルーズベルト大統領に説明させ、意思を通じ合わせた。)
桂首相は、大きな決断のできない凡庸な宰相と言われていましたので、中心になっていたのは、小村外相です。元勲伊藤侯に同意せず、国益のため身を挺しました。反対された伊藤侯も、その意見を受け容れたのですが、ルーズベルト大統領が日本に好意的なのも、元はと言えば金子堅太郎を米国へ送り込んだ、候の決断と説得の成果でした。
国運をかけた「日露戦争」に際し、元老と政府は一丸となって知恵を出し合っています。現在の日本で、政府が一丸となり国難にあたっているのかどうか、どうしても考えてしまいます。
日露戦争は昔のことですから、多くの情報が開示されており、私たちもこうして知ることができます。現在の政府や各国の動きは、ほとんど秘密裏に行われていますから、庶民には分かりません。マスコミの情報だけが頼りですが、今回の総裁選で分かりましたが、彼らだって憶測の記事でした。
本気にしていると、とんでもないことになりますが、政府の内情や、他国とのやり取りなどは、誰彼に知られないのが正常なのだと思います。ひどい国が周りにいくらでもありますから、それに比べれば「日本は良い国だ」と考えます。私たちが知らないだけで、政府内では、明治時代に劣らない真剣な政治が、展開されているのではないでしょうか。楽観的に過ぎるのかもしれませんが、激戦だった総裁選を戦った自民党の政治家諸氏を、今は酷評せず、見守りたい私です。
日露の講和が動き出すのは、やはりバルチック艦隊を撃滅した「日本海海戦」の勝利後です。政府はこの時が、列強に利用されたり、干渉されたりしない時期だと判断しました。政府はこれまで国民を鼓舞するため、楽勝を宣伝してきたので、ハルピンを攻め、ウラジオストックを占領せよと、強い圧力が生じていました。
大東亜戦争の末期、大本営は日本の劣勢を国民に伝えず、連戦連勝であるかのような発表をしていました。東京裁判以後、政府が騙したと言って、マスコミと共に多くの国民が憤慨しました。やり過ぎだったとも思いますが、戦争は、そんなものではないでしょうか。日露戦争は辛勝しましたが、実情を知らされていない国民は、やはり大騒ぎします。
誰もが知っているように、日露和平交渉に出かけた小村外相は、帰国時に「国賊」と攻撃され、交渉結果に不満を持つ暴徒に、自宅が焼き討ちにされます。下村教授の説明が、国際社会の現実を教えてくれますので、やりとりの一部を著書から転記します。
〈 ルーズベルト大統領 〉
・この上戦争を続けることは、無謀である。
・ロシアが誠意をもって講和に応じるならば、日本の要求は、予想するほど呵責なものではないだろう。
〈 駐米ロシア公使カシニーの言葉 〉・・ロシア宮廷での会議の結論
・ロシアは、戦争を継続する。
・少しの領土も失っていない今、講和を要求することは、ロシアの名誉を失墜させることになる。
〈 皇帝ウィルヘルム二世 〉
・ニコライ二世に対し、ルーズベルトの斡旋を受諾するよう勧告した。
〈 ニコライ二世 〉
・講和への意思が、余にあることを絶対秘密にするならば、大統領の勧告に応じ、両国の代表が会見することに同意する。
・会見は、日本軍が樺太を攻撃する前に実行することが、重要だ。
国際社会が、日露戦争の処理に激しいせめぎ合いをしていますが、日本政府内にも意外なせめぎ合いがありました。スペースの都合で今回はここまでとし、政府の実情報告は次に譲りますが、私が教えられたのは、政治に向かう国民の心構えでした。
政権を担当している政府に、外野席の批判ばかりするのでなく、もっと国際情勢を見ながら、現実的な思考ができないものかと、実際には難しいことですが、そんな気がいたしました。息子たちには、何のことか分からないでしょうが、次回でハッキリするという気がします。
今日、主治医から、「本当は半月ぐらい
入院させようと思って居たけど、、
発作も治ったし。後は自宅療法で
いいでしょう」との事で・・・・
来週中に早くも退院の見込みになりました。
退院したらblogは再開いたしますので
よろしくお願い致します。
大体が治療と言っても投薬と心理療法士に
よるカウンセリングですから・・・・・。
今は食後の自由時間です....。
病室の皆はテレビ見て居たり。寝て居たり。
そんな中、私はiPadでblogを見て居ます。
其れでは、退院したら,また来ますね。。。
宜しくお願い致します。
自民党内でも明らかな劣勢となったにも関わらず、二階
前幹事長は 次の衆院選立候補の意向を固めたらしい
ですね。立つか否かは同氏の自由ですが、徐々にせよ
力を失っているのは自明の事でしょう。
日露戦、日本海海戦辺りの各国の思惑と、その間での
小村寿太郎・元外相の大いなる苦闘の軌跡が垣間見
える今回貴記事です。大東亜戦争こと太平洋戦争、
或いは他の戦でも、講和や和平への努力は、後世で
ないと正しく評価されない様ですね。
戦のない現在の視点からは「なぜ理解されない?」
の想いも頭を過りますが、戦時の当時ですと、国民
レベルで昂揚したりで 中々にこうした思考は通ら
ないのかも知れません。又 戦時にこそ外国の政府
や当局の意向を正しく掴む事が必要ですが、その為
の諜報活動ができる事も必要ですね。
現在の我国は到底その様にはできず、大いに不安な
所です。貴連載はまだ途上ですので、今回はこれ以上
は控えます。まずは お礼まで。Kiyasumeさん、
どうかお大事に。
こんばんわ。コメントを有難うございます。
貴方は、自分のことについて、お医者さんよりよく把握しておられます。ですから、無理をせず、「ねこ庭」を訪問してください。
ここは貴方のブログと同じで、「学びの庭」です。互いに知らないことを、教わったり、教えたり、伝えたりする場所です。
私自身、貴方のブログを、そのような場所として訪問させて頂いています。互いに、いつまでも、そうでありたいですね。
そうですか、二階氏は、最後まで議員として生きるつもりなのでしょうね。
信念のためなら立派ですが、中国とのしがらみで引退できないというのなら、悲しい話です。事実を知りませんので、何とも言えませんが、日本のためには貢献しない人ですから、河野太郎氏や野田聖子氏同様、私には「獅子身中の虫」でしかありません。
「温故知新の読書」は、やはり大切ですね。現在の日本を考えるための大切な材料を、たくさん与えてくれます。本を読んでいますと、自分は、マスコミが言うような右翼でなく、ごく普通の人間だということが分かります。
日本を世界の中にある、「普通の国に」したいだけなのに、マスコミは「右翼」とか「極右」と片付けます。ここからして、日本の羅針盤が狂っています。
次回もまた、ご意見をください。楽しみにしております。