息子たちに言います。」私が今、頭を悩ませているのは、どういう書き方をすれば、日本の現状が正しく伝えられるのか、ということです。
机の上にあるのは、二つの情報です。
1. 元海上自衛隊海将伊藤俊幸氏が語った言葉のメモ
・虎ノ門ニュースの動画を見て、走り書きしたもの
2. 新聞のスクラップ帖
・6月16日以来の、千葉日報の記事
センセーショナルな特種を書き、売上増を期待するマスコミの記者と違いますから、私は息子たちをびっくりさせ、得意になる気はありません。この二つの情報から、どうすれば、分かりやすいブログが書けるかと、そこに心を砕いています。
結論から先に言いますと、「敵基地攻撃能力」について、正しい意見を述べているのは、海将伊藤俊幸氏です。
曖昧で、分かりにくい説明をしているのが、新聞報道です。というより、記事の中に出てくる政治家、官僚、学者、評論家たちです。
私は、日本の「言論界の異常さ」を、息子たちに伝えたいと腐心しています。なぜかと言いますと、現在の新聞報道の曖昧さと、分かり難さは、そのまま「憲法改正」に関する報道に似ていると考えるからです。
肝心のことを語らず、枝葉末節の議論を詳細に書き、国民を翻弄しているところが、戦後74年間の「憲法改正論議」の報道姿勢と重なっています。
敗戦後の日本には、親米派、親ソ派、親中派、親韓派、親北朝鮮派と、沢山の外国勢力への協力者や理解者が発生しました。国のリーダーとなる政治家や学者、評論家や経済人たちの中に、外国の代弁者となって働いている者が複数人います。
日本に特有の現象でなく、世界のどこの国にも外国勢力への協力者がいて、熱心に活動しています。珍しい現象でありませんが、これまでの「温故知新」の読書で、私が教えられた特異現象は、戦後の日本には「愛国者」がほとんど不在だったという事実です。
不在というのは、大袈裟なのかもしれません。戦後の日本は、
「愛国者が少数派になってしまった。」
「国を愛する者がいても、発言の機会が与えられず、海岸の砂つぶのように、小さな個人に分解されてしまった。」
という方が、正しい表現なのかもしれません。
ドイツが「基本法」のため、軍事行動に関し国論が分かれても、2年間の激論で結論が出せたのは、愛国者と外国勢力への協力者が、同数存在していたということだと思います。
ドイツの中にいる外国勢力への協力者は、日本と異なり、愛国心そのものは失っていなかった、という証明でもあります。自分の国を、安全保障で一致点のないままにすれば、国際社会で生き抜けないという認識を、指導者が共有していたことになります。
日本の「反日・左翼勢力」のように、国の歴史を否定し、ご先祖を憎み、国を崩壊に任せるような、劣悪な野党がいなかったからだと、私はそれだけは自信を持って言えます。
連合国軍が行った「東京裁判」と、押し付けられた「日本国憲法」が、日本の愛国者たちの息の根を止めました。愛国者には、「軍国主義者」、「侵略主義者」、「極右暴力主義者」と、あらゆる劣悪なレッテルが張られました。これが、いわゆる「東京裁判史観」です。
問題は多くの国民が、この考え方を否定せずに黙ってしまったことです。
ネットが急速に発達し、誰もが自分の意見を述べられる時代が来て、状況が変わりました。これまで口を閉じていた愛国者が、自分の意見を発信し始め、日本の言論界が動き始めました。私もその一人で、日頃語れないことが本気で言えるようになりました。偶然そういう時期に、「美しい日本をと取り戻す」と主張する安倍氏が総理になりました。
まさに天の配剤であったと、私は今でも感じています。
愛国の総理が生まれ、愛国の庶民も意見を述べられる社会が来て、自民党への支持率が増えました。「憲法改正」の議論がダブーでなくなり、報道でも、この言葉が普通に使われるようになりました。
敗戦後の事情の違いが、今の日本を作ったのですから、これは、「ドイツ人に比べて、日本人がダメだった」状況ではありません。廃墟となった日本に、強大な軍事力を持つ連合国が進駐してきて、陛下を超える力で支配したら、反論できる日本人がいなかったとして不思議はありません。
当時の政治家たちの目的は、「皇室の護持」と「国民生活の再建」の二つに集約され、それで精一杯でした。「軍の解体」と「GHQによる「憲法の付与」という、この二つを、当時の指導者たちには受け入れるしかなかったと、どの本を読んでも書かれています。
息子たちに言います。
ドイツに比較して言えることがあるとすれば、
「私たち日本人の目覚めは、あまりに遅かった」
ということでしょう。国際社会の現実に目覚め、国の安全について本気で考えるべき時に、
「平和憲法を守れ」
「再び戦場に、息子たちを送るな」
と、反日・左翼の政治スローガンに騙される「お花畑」の住民が、増え過ぎました。
・尖閣の海に、我が国の漁船が大挙して行くが、日本は邪魔してはならない。
と、中国共産党政府が、脅してきました。
漁船に乗った人間が尖閣諸島に上陸し、住み始める時から、沖縄への侵略が始まります。「平和憲法を守れ」「日本は再び武力を使うな」と叫ぶ、反日・左翼野党と「お花畑」の住民たちが、自衛隊の防衛行動に必ず反対します。
息子たちに言います。
大量の中国人を隣国へ送り込んで定着させ、やがてその国を奪うというのが、中国共産党政府のやり方です。彼らはこうしてチベットを侵略し、ウイグルを奪いました。中国に忠誠を誓う政治家や、学者、評論家は、今までずっと国民にその事実を語りませんでした。
平成20年のデータを、紹介します。
中国の貧困層の人口です。日本へ来て爆買いする富裕層だけに、目を奪われてはいけません。その日の生活費にも事欠き、悲惨な暮らしをしている中国の貧困層は、主として農村部にいますが、都市部にも広がっています。その数は、およそ5億8800万人と言われています。こういう人々は、中国共産党の指示さえあれば、どこへでも行きます。
尖閣でも、沖縄でも、北九州へでも、大挙して押しかけます。一旦この動きが始まると、今の日本には阻止する手段がありません。日本の人口の4倍もいるのですから、たちまち日本は中国に飲み込まれてしまいます。
「尖閣の海に、我が国の漁船が大挙して行くが、日本は邪魔してはならない」
という、中国共産党政府の脅しは、戦争宣言と同じです。文句を言えば核攻撃をするぞと、言外に語っています。
長くなりましたが、これが現在の日本が置かれている状況です。こうした状況を踏まえた上での、「敵基地攻撃能力」の話です。次回からの「ねこ庭」へ、ぜひ足をお運びください。
の原爆忌に関する祈念行事も、残念ながら仰る通りで、
反日左派勢力に政治利用されてしまっている所は否めません。
それを踏まえた上で、先日の貴記事にて 同じ敗戦国な
がら独軍が自衛目的を条件に、存続を認められたのは
我国とは随分違うという所を感じさせられたものです。
ご指摘通り、米独はキリスト教圏で共通している事が、我国程には自衛力を削がなかった理由かも知れません。
独の戦後は、確かに我国とは明らかに異なる歩みだっ
たと心得ます。我国の様に、反日左派勢力が跋扈して
ご先祖や我国固有のあり様を蔑ろにしたり、国の独立
や存続を危うくする様な劣悪な勢力は、確かに独には
いなかったかいても少数だったのだと思います。振り
返るに我国は、自虐史観の母体ともなった東京裁判史観
の横行で、健全な保守側までが貶められ、政治の中枢から遠ざけられる不幸に繋がったと 拙者も思います。
中国大陸の軍事力にもの言わせた露骨な進出策は、
一つには日本国憲法の規定に拘泥し続けた戦後日本
の姿勢が許したものでしょう。チベット、ウィグルの両少数民族への不当な支配と露骨な香港政策を見ましても、或いは明日の我国への態度の様な気がする所。
その不良意図を挫く為にも、改めて「敵基地攻撃能力」
の意味を正しく復習して理解し、我国の安保政策に活
かす事が求められていると、改めて思います。貴連載
もまだ途上の様ですので、今回はこれ以上は控えさせ
て頂きます。拙文、難解な所ありましたら お許しを下
されば幸いであります。
明日のブログで、私は元海将の伊藤氏の話を紹介いたします。
「敵基地攻撃能力」という言葉が、間違って使われている事実を説明いたします。政府がそうしたのか、マスコミが勝手に言葉を作ったのか、理由は不明ですが、とんでもない間違いです。
どうか、次回ブログをお読みください。日本の問題点 ( 奇妙な言論空間 ) が、ここでも分かります。
貴方のブログにつきましては、「拙文」「難解」の箇所はありません。何時も真っ直ぐな、国を思う人のご意見です。
これからも、よろしくお願いいたします。