田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

チョコレートドーナツ(Any Day Now)

2014年05月18日 11時21分34秒 | 日記

 1970年代アメリカの実話を基に、母親に見捨てられたダウン症の少年と一緒に暮らすため、司法や周囲の偏見と闘うゲイカップルの姿を描いた人間ドラマ。ゲイであるがゆえに法の壁に阻まれる苦悩を、テレビドラマ「グッド・ワイフ」シリーズなどアラン・カミングと、『LOOPER/ルーパー』などのギャレット・ディラハントが熱演する。メガホンを取るのは、『17歳のカルテ』などのトラヴィス・ファイン。血のつながりはなくとも、少年を守るため奔走する主人公たちの無償の愛が胸を打つ。(yahoo!映画より)

 

 

 ものすごい人気でした。こんな小さな映画なのに、満席・立ち見でした。映画を立って見たのは本当に久しぶりです。これほどの人気だとは!配給会社さ~ん、もっと上映館を広げればもうかりますよ~(笑)。

さて、時は1970年代。主演のアラン・カミングは、シンガーを夢見ながらも、ショーダンサーとして日々舞台に立っています。気心が知れた仲間もいて、それはそれで楽しい日々でした。

ある日、魅力的な男性ギャレット・ディラハントに出会います。お堅い仕事に就き、ゲイだと目覚めるのも遅かった彼は、実は周りに隠しています。

そんな凹凸な二人が付き合い始めて間もない頃、アランはすぐ隣に住む、母親に見捨てられた少年に出会います。ダウン症の彼は、お人形を抱っこしたまま、廊下に立っていたり、ひとり残されていたり。挙句に薬物所持で捕まった母親は帰って来れなくなり、その少年マルコは急きたてられるように施設へと連れて行かれてしまいます。

やりきれない気持ちを抱くアラン。しかし数日後に、施設を抜け出し、街を一人で歩いているマルコを見つけるのです。

誰にも愛されずにほったらかされている子供。こんなことが許されてなるものか。僕が面倒をみることはできないのか、とばかりに行動を開始します。さしあたっては、施設の人に見つかるまでの間、彼ら(アランとギャレットね)と一緒に住み始めます。精一杯の愛情を注ぐ彼ら。

しかし、ゲイカップルに対する偏見と法の壁は厚かったのです。

自身も弁護士であるギャレットは、手を尽くしてその権利を得ようとします。このへんの裁判劇は、「アイ・アム・サム」でもそうだったように、弁護に立つ者のまったく関係ない事柄までほじくり出され、攻めたてられ、どこからそんな理論が出てくるのかと思うほど悪意に満ちた誘導尋問が繰り広げられます。見ているこちらが情けなくなるほどです。

裁判の主題は、法の網目からこぼれおちる子供たちを救うことではないのか。ゲイの私生活をおもしろおかしく暴くことなのか。ストレートな自分が偉いのか。

そして弁護士として社会的地位を確立していたギャレットまでもが、その地位を追われてしまうのです。また、その追う方も手段を選びません。彼らを追い落とすためだけに、マルコの母親に「きちんと面倒をみます」と宣言させて出所させてしまいます。もちろん、その後は知らんぷり。彼らはマルコ(とその母親)のことなど、どうでもいいのです。ゲイの奴らを追い落としさえすれば。

結果、物語は最悪の結末を迎えてしまいます。やりきれません。

その歌唱力を認められたアランが、成功してゆく過程も並行して描かれてはいくのですが、歌っている彼の姿も悲しみに溢れています。

こんな時代があったなんて。もちろん、今はどれほど違うのか、実体験としてはなにも知らないのですが。

彼らは、仕事も家もきちんと持っていました。そしてマルコには惜しみなく愛情を注ぎました。それ以上何が?ゲイだから、何?

悲しいですね。人は皆、同じなのに。単なる趣味・嗜好で優劣がつくものではないのに。

やりきれなさすぎるので、つらい思いをするのが苦手な人には勧めません。

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