ロバート・デ・ニーロ&エドワード・ノートンというハリウッドを代表する2大演技派スターが9年ぶりに共演を果たしたサスペンス。妖艶な人妻に翻弄されていく仮釈放管理官と服役囚の心理をリアルに映し出す。アクション女優のイメージが強いミラ・ジョヴォヴィッチがセクシーな魔性の女を演じ、新境地を見せる。(moviewalkerより)
録り置きの消化です。これは大阪でも「男たちのヒート祭り」とかいうわけのわからない(?)シリーズで、隅っこの方の映画館でポチっと公開されただけの作品。ちなみにこの作品は「ヒート祭り」第3弾で、前2作は「ボーダー」「ザ・エッグ」でした。
それにしても、豪華キャストにしては理解しづらい作品でした。いや、私がバカなだけかもしれませんが。
デ・ニーロは服役者に保釈を認めるかどうかを審査する役人。どの服役者も躍起になって「俺は心を入れ替えた」やら「神の啓示を受けたんだ。本当に生まれ変わる」「心から反省している。俺は昔の俺じゃない」など、言葉を尽くして訴えて来ます。それを表情一つ変えずに応対するプロなのです。
その数ある受刑者のうちの一人がエドワード・ノートン、その奔放な妻がミラ・ジョヴォビッチです。
ところで、ここだけだとデ・ニーロは「できる男」に見えますが、実は導入部に若い頃のデ・ニーロ夫婦がちらっと描かれます。趣味のゴルフ番組をじっと見たまま、何をするでもなく時間を過ごす若きデ・ニーロ。多分そんな生活が続いているのでしょうね。妻が「もう耐えられない。出て行くわ」と訴えます。すると突然走り出し、二階で寝ていた幼い娘を抱きあげ、窓から外に突き出したまま、「そんなことをしたらこのまま落とすぞ。脅しだと思っているのか」とすさまじい形相で訴えます。たじろいだ妻は「やめて。出て行かないからそんなことしないで」と泣きそうになりながら懇願します。そのまま、月日が経って今のデ・ニーロの場面になるわけです。
怖い場面ですね。恐ろしいことに、「本当にやるだろう」と思わせる場面です。
表向きは静かな夫婦。しかし、妻は敬虔なクリスチャンで、毎週教会に通い、宗教に強く影響されています。黙って妻と行動を共にしているデ・ニーロ。しかし、彼が神を信じてなんかいないことは、傍目にもわかります。でも、これで長年一緒にやって来たんですね。う・・・ん、これはこれで少し怖い気もします。もっとも、人のことは言えないかもしれませんが(えぇっ!)。
そんな彼が、定年まであと少し、これが最後の仕事、というときにノートンと出逢うのです。魅力的な妻を彼に近づけるノートン。もともと奔放であけすけな女だったミラも、ひるむことなく彼に近づき、あろうことかわりと簡単に彼を落としてしまうのです。よく考えると大変なことなのに!
そしてそのまま情をはさんで、ノートンに甘い調査書を書いてしまうデ・ニーロ。
これだけなら平凡な話です。しかし、この辺からノートンが変わって来るのです。刑務所の図書館で、ある啓発本と出逢ったノートン。それからというもの、「最初に聞こえるといわれる、ある特殊な音」を求めてどんどんのめり込んでゆきます。それはキリスト教のような一般的なものよりずっと特殊な「宗教のようなもの」で、彼にとっては保釈などもはやどうでもよくなります。
しかし、調査書は提出した後。晴れてノートンは保釈となるわけですが、あれだけ愛していたはずの美人妻にもさほど執着もなくなったようです。つまらないのはミラ。尽くしたのに、って顔です。
真面目一徹でここまで来たデ・ニーロも、若い女に一度モテちゃったからか、引退の日に、後輩の女性に思いっきりセクハラ発言をして突き放されます。
すっかり教祖みたいに冷静になっているノートン。しかし、デ・ニーロと別れるときに、「あ、そうだ。妻と寝たそうだな。覚えておこう」と言い残してゆきます。
最後は荷物をまとめるデ・ニーロの俯瞰ショット。彼に何が見えていたのかは謎です。確かに斜め上に振り返っていたのですが。
で、結局なんだったのか、よくわからないのというのが本音です。
ノートンがのめり込んでいたのは、何だったのか。構ってもらえなくなった妻はどうするのか。引退と同時に妻にも見捨てられたデ・ニーロはどうなってゆくのか。
唯一理解できたのが、家を出たデ・ニーロの妻が娘に「我慢しすぎよ。どうして今まで家を出なかったの」と言われて「一度試みたわ」と答えるシーン。それ以上の説明が一切なされないけれど、すべてを物語っているようで、不気味でした。
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