かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

疑惑の影

2010-12-15 03:08:44 | 映画:外国映画
 監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジョゼフ・コットン、テレサ・ライト、ヘンリー・トラヴァース、パトリシア・コリンジ、マクドナルド・ケリー 1943年米

 戦後の、つまり少し前の時代のアメリカのごく普通の家庭とは、こういうものであろう。
 のどかな郊外に建つ、瀟洒な一軒家。家の周りには落葉樹の木が植えてあり、それらの木々が季節を教えてくれる。梢の先の2階の窓からは、レースのカーテンが見え、時折少女が微笑みを浮かべた顔を出す。
 家の中を見渡せば、1階にはソファーのあるゆったりとした居間があり、そこにはテレビが置かれて、電話もある。台所には今でいうシステムキッチンが整っていて、背の高い冷蔵庫が置かれている。2階へ行けば、子どもたちの個室まである。
 家族は、地方の銀行員の実直な父親と、こまめに働く気のいい母親。子どもが3人いて、成績のいい高校生の長女と、少し年の離れたまだ小学生のお茶目な妹と弟。
 映画やテレビで流れる戦後のアメリカの家と家庭は、作り物の別世界のようであった。日本では、まだ文化的と言われた2DK(約40~50㎡)の団地すらできていない時代のことだ。

 アルフレッド・ヒッチコックの「疑惑の影」は、カリフォルニアの、典型的なアメリカの家庭での出来事である。
 2階の自分のベッドで寝ころんでいた少女(テレサ・ライト)が、病気でないかと心配で部屋をのぞきにきた父親に言う。
 「何時間も考えて、あきらめるしかないって分かったの」
 「何をだね?」と父親は尋ねる。
 「家庭ってこの世で一番いいものなのに、うちは崩壊している」
 「崩壊?」
 「毎日、何もなく、同じように過ぎていくだけ。もう何か月も考えている。この先どうなるの?」
 「悪く考えるな。パパも昇給しただろう」
 「魂の問題なのに、お金を持ち出すなんて」「みんな、食べて、寝るだけ」「あとは、中身のない世間話だけ」
 「働いているよ」
 「そうね、ママなんて働きずくめで哀れだわ」
 そして、少女は「奇跡を待つしかしようがないわ」と溜息にも似た呟きを吐くのだった。

 この倦怠感を打ち破ってくれるのが、叔父のチャーリー(ジョゼフ・コットン)だと少女は確信するのだった。自分と同じ名前の叔父は、少女の憧れの人で、今はニューヨークにいるのだった。
 その叔父が、久しぶりにこの家に来てしばらく滞在するというのだ。少女は叔父の訪れを心待ちにした。そして、叔父はやってきた。
 やはり、叔父は颯爽としていた。しかし、その叔父は秘密を持っているようだった。2人の男が密かに追っているようだ。

 映画の冒頭の、少女の家(家庭)への不満の呟きは、僕の思春期を思い出させた。
 この少女の嘆きは、僕の高校時代の思春期の思いと同じだった。
 子どもから大人になる時期、おおかた高校生の頃だが、思春期の反抗期がやってくる。毎日、同じことを繰り返して日々を過ごしている、それでいてそのことに疑問を持っていないような大人に懐疑的になるのだ。何のために、何を目的に生きているのか?という疑問。それは、手っ取り早く、身近な両親に向けられる。
 そして、少年は考える。
 こんな何も起こらない田舎を、一刻も早く出て行きたい。学校を卒業したら、都会へ、東京へ、出て行こうと。
 だから、都会である東京へ出ていた叔父が輝いて見えた。どんな生活をしているかは関係なかった。この映画の少女と同じように。

 都会や別の世界への憧れ。そして、故郷を去ることによって初めて知る世間の熱くも冷たくもある風。それを経験することによって、故郷や田舎の良さが分かるようになる。それは、自立への第一歩である。
 そして何よりも大切なのは、何も変化がなく繰り返される、かつて自分が懐疑的になり憎悪すら感じていた平凡な日々の良さが分かるようになるのだ。
 思春期は、自分が育った身の回りの小さな世界から、別の大きな世界に目を向ける時期で、元の世界との別離の時期である。
 憧れの世界は汚辱にまみれていようとも、旅立たねばならない時期なのである。

 「疑惑の影」のこの映画では、テレサ・ライトはアメリカの夢みる少女役がよく似合っている。かつてこういう優等生的な美少女がアメリカにはよくいた。今の少女と違って、少し遠くをキラキラと見ていた。
 彼女は2005年になくなった。86歳になっていた。
 陰のある叔父役の、「第三の男」で有名なジョゼフ・コットンも、気障な叔父を好演している。
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