川口松太郎が、「愛染かつら」を雑誌「婦人倶楽部」に連載発表したのは1937(昭和12)年。
この年、日華事変(盧溝橋事件)が起きている。その5年前の1932(昭和7)年に、日本の傀儡ともいえる満州国が建国され、1934年皇帝として即位したのは、清のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀。
翌1935年、溥儀は満州国皇帝として日本を訪れ、天皇とも会い日本で歓迎を受けている。
溥儀の弟、愛新覚羅溥傑は、日本に留学し、学習院高等部のあと陸軍士官学校を卒業。そして、1937年に日本の華族である嵯峨浩(ひろ)と結婚する。
おそらく、清のラストエンペラーで満州国の皇帝一族である愛新覚羅家には、当時日本人は大いに好意と関心を寄せていたようである。
想像するに、泥沼化する太平洋戦争(第2次世界大戦)に突入する前夜の、「愛新覚羅」と「愛染かつら」のブーム。
かつて歴史の本のなかで、満州国の皇帝の名で、初めて愛新覚羅という文字を見たときの、何ともいえない不思議な気持ちになったのを、僕は忘れることができない。アイシンカクラとは、何だろう?とずっと思っていた。
中国の王朝の名や苗字は秦にしろ漢にしろ1文字が多く、皇帝の名とて清の康熙帝やラストエンペラーの宣統帝にみられるように、1ないし2文字が通例だと思っていた。それが4文字で、なおかつ愛新覚羅という何やら深い意味がありそうな名前だったからだ。
それに、「愛新覚羅」と聞けば、なぜか「愛染かつら」という言葉がぼんやりと浮かんできていた。当時は両方とも深く知らなかったのだが、何となくすれ違いの悲劇、波乱に満ちた生涯という思いが胸をときめかした。
「愛新覚羅」は、満州語の発音アイシンギョロを漢字に直したものだが、何かを想起させる名前である。アイシンとは「金」という部族名で、ギョロは清(後金)を起こしたヌルハチの祖先が最初に定住した中国東北部の土地の名で、その組み合わせからきた姓氏ということである。
「インディ・ジョーンズ」シリーズの最高傑作ともいえる「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(監督:スティーヴン・スピルバーグ、1984年)を見ていた時だ。
出だしの舞台は、1935年の上海。中国では清王朝が滅び、満州国の帝政実施の翌年である。当時、上海は魔都と言われ、租界地には様々な人種が集まっていた大都会である。
その上海のナイトクラブで、考古学者のインディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)が怪しげな中国マフィアと取引をしている。その取引内容が、インディが持っているヌルハチの骨壺とダイヤモンドを交換しようというものだ。
そのとき映画の中で、突然ヌルハチという言葉が出てきたので僕は驚いた。「インディ・ジョーンズ」は、侮れないと思った。それにしても、マニアックで専門的すぎる。特に西洋人には、よほど中国史を勉強している人は別だが、ヌルハチなる人物が何者で、その骨壺がどういう価値を持っているかはわからなかっただろう。
ヌルハチは、清王朝の開祖、愛新覚羅弩爾哈赤(ヌルハチは文献によって違った漢字となっている)である。
波乱と流転の生涯を送った、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀には子どもがなかったが、溥儀の弟、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の間には、子どもが2人生まれている。
日本で暮らしていた長女の愛新覚羅慧生は、1957年、学習院大学生時代(当時19歳)に天城山心中という悲劇のうちに、短い一生を終えた。
「愛染かつら」の作者川口松太郎は、物語を思いついた際、「愛新覚羅」を思い浮かべなかっただろうか?
そんな時代であった気がする。
この年、日華事変(盧溝橋事件)が起きている。その5年前の1932(昭和7)年に、日本の傀儡ともいえる満州国が建国され、1934年皇帝として即位したのは、清のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀。
翌1935年、溥儀は満州国皇帝として日本を訪れ、天皇とも会い日本で歓迎を受けている。
溥儀の弟、愛新覚羅溥傑は、日本に留学し、学習院高等部のあと陸軍士官学校を卒業。そして、1937年に日本の華族である嵯峨浩(ひろ)と結婚する。
おそらく、清のラストエンペラーで満州国の皇帝一族である愛新覚羅家には、当時日本人は大いに好意と関心を寄せていたようである。
想像するに、泥沼化する太平洋戦争(第2次世界大戦)に突入する前夜の、「愛新覚羅」と「愛染かつら」のブーム。
かつて歴史の本のなかで、満州国の皇帝の名で、初めて愛新覚羅という文字を見たときの、何ともいえない不思議な気持ちになったのを、僕は忘れることができない。アイシンカクラとは、何だろう?とずっと思っていた。
中国の王朝の名や苗字は秦にしろ漢にしろ1文字が多く、皇帝の名とて清の康熙帝やラストエンペラーの宣統帝にみられるように、1ないし2文字が通例だと思っていた。それが4文字で、なおかつ愛新覚羅という何やら深い意味がありそうな名前だったからだ。
それに、「愛新覚羅」と聞けば、なぜか「愛染かつら」という言葉がぼんやりと浮かんできていた。当時は両方とも深く知らなかったのだが、何となくすれ違いの悲劇、波乱に満ちた生涯という思いが胸をときめかした。
「愛新覚羅」は、満州語の発音アイシンギョロを漢字に直したものだが、何かを想起させる名前である。アイシンとは「金」という部族名で、ギョロは清(後金)を起こしたヌルハチの祖先が最初に定住した中国東北部の土地の名で、その組み合わせからきた姓氏ということである。
「インディ・ジョーンズ」シリーズの最高傑作ともいえる「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(監督:スティーヴン・スピルバーグ、1984年)を見ていた時だ。
出だしの舞台は、1935年の上海。中国では清王朝が滅び、満州国の帝政実施の翌年である。当時、上海は魔都と言われ、租界地には様々な人種が集まっていた大都会である。
その上海のナイトクラブで、考古学者のインディアナ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)が怪しげな中国マフィアと取引をしている。その取引内容が、インディが持っているヌルハチの骨壺とダイヤモンドを交換しようというものだ。
そのとき映画の中で、突然ヌルハチという言葉が出てきたので僕は驚いた。「インディ・ジョーンズ」は、侮れないと思った。それにしても、マニアックで専門的すぎる。特に西洋人には、よほど中国史を勉強している人は別だが、ヌルハチなる人物が何者で、その骨壺がどういう価値を持っているかはわからなかっただろう。
ヌルハチは、清王朝の開祖、愛新覚羅弩爾哈赤(ヌルハチは文献によって違った漢字となっている)である。
波乱と流転の生涯を送った、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀には子どもがなかったが、溥儀の弟、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の間には、子どもが2人生まれている。
日本で暮らしていた長女の愛新覚羅慧生は、1957年、学習院大学生時代(当時19歳)に天城山心中という悲劇のうちに、短い一生を終えた。
「愛染かつら」の作者川口松太郎は、物語を思いついた際、「愛新覚羅」を思い浮かべなかっただろうか?
そんな時代であった気がする。
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