テレビ時代を告げる東京タワーが完成した翌年の1959(昭和34)年は、皇太子(現平成天皇)の結婚パレードが華やかに行われ、多くの国民がテレビの前に釘づけにされた。銀幕(映画)では、日活の石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩二のダイヤモンド・ラインが勢ぞろいしていたし、翌年本格的に日活でデビューする吉永小百合はまだあどけない少女だった。
この年、初めての少年週刊誌「少年マガジン」、「少年サンデー」が創刊され、漫画雑誌の新しい路線を開いた。そして、初めてのレコード大賞は、水原ひろしの「黒い花びら」だった。
日本は、あらゆる面で急成長していた。
「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は、昭和30年代の東京の下町が舞台の、「三丁目の夕日」シリーズの映画第3作目である。
前作「ALWAYS 三丁目の夕日」から5年がたった1964(昭和39)年は、あらゆる意味で戦後昭和の日本を象徴する時代である。
日本は急速な高度経済成長の過程にあった。東京オリンピックに間に合わせるように、羽田行きモノレールおよび東京・大阪間の東海道新幹線が開通した。また、首都高速をはじめとして、大都市圏で高速道路の建設が急ピッチで進められた。
この年の東京オリンピックは、韓国ソウル・オリンピックより24年、中国北京オリンピックより44年先駆ける、アジア初の開催となった。
学生が学生服を着る以外におしゃれにほど遠かった時代から、流行というファッションに若者が目を向き始めた頃だ。
銀座には、新しいファッションを身につけた「みゆき族」と称される若者がたむろした。髪を短く七・三に分け、石津健介の「VAN」を愛用し、アイビー・ルックとも呼ばれた。
そのような風潮に合わせて、若者向けの風俗をあしらった週刊誌「平凡パンチ」が創刊され、当時若者に読まれていた今日の社会問題や思想を中心とした内容の前衛的な週刊誌「朝日ジャーナル」と対比された。
音楽に目を向ければ、若者が支えていたロカビリーからカヴァー・ポップスのブームのあと、エレキ・ブームがベンチャーズの到来とともに訪れ、彼らはビートルズをしのぐ人気だった。
1964年のこの年、ポップスの香りを持った西郷輝彦が「君だけを」でデビューし、前年「高校三年生」でデビューした舟木一夫、さらに遡ること4年前に「潮来笠」でデビューした橋幸夫と、のちに云う「御三家」が誕生した。このころ、三田明、久保浩、梶光夫、安達明、高石かつ枝、本間千代子、高田美和などによって、「青春歌謡」の全盛をみた。
成長の最中にあった時代そのものも、歌と同様青春だったといえよう。
この年、僕は九州の田舎から上京した。
*
「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(原作:西岸良平、監督:山崎貴、出演:吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、小雪、須賀健太、森山未來、2012年東宝)
「ALWAYS 三丁目の夕日」の夕日町3丁目の商店街も、5年がたって1964年だ。
街に「東京オリンピック」のポスターが貼ってあるように、この年、戦後最大のイベントとなる東京オリンピックに向けて、国も街も活気に満ちていた。
5年前の前作では、街の食堂でテレビを買うと、商店街のみんなが集まってきて大騒ぎだったが、この年では、各家々が、ここでは小さな各個人商店だが、オリンピックをわが家でも見ようと、どこもテレビを買うまでになっていた。
今のようにシャッター街となっていなくて、貧しくともどこの商店街も生きいきとしていたころだ。雑貨屋の茶川家でもカラー・テレビは無理でも、モノクロ・テレビを買うことにする。
しがない作家を続けている茶川(吉岡秀隆)は念願のヒロミ(小雪)と夫婦となっていて、ヒロミはお腹が大きく、妊娠中だ。家は2階を建て増しし、1階では雑貨売りの片隅で、ヒロミが居酒屋をやって家計を助けている。引き取った淳之介(須賀健太)は、東大を目指して勉強中の高校生になった。
向かいの一本気の旦那(堤真一)と人情家の奥さん(薬師丸ひろ子)がいる鈴木オートでは、淳之介と同じく高校生の一人息子の一平は自動車修理工の後を継ぐことを嫌っていて、エレキギターに夢中だ。
集団就職で青森からやって来た住み込みの工員六子(堀北真希)は仕事も覚え、新入りの男の子を厳しく鍛えているが、もう年頃だ。
鈴木オートの息子一平が、家でギターの練習をしている場面で、本棚に「平凡パンチ」が置いてあり、壁には加山雄三の「ハワイの若大将」のポスターが貼ってあった。一平は学校でベンチャーズのサウンズを弾くが上手く弾けなく、会場にいた女の子もあきれて部屋を出ていくという有様だ。この辺の音楽若者の状況を芦原すなおが「青春デンデケデケデケ」に描いている。
六子がほのかに恋した男(森山未來)は医者だが、私生活の服装は軽い若者だ。髪は七・三に分け、当時流行のアイビー・ルックというファッションだ。誘われて銀座でデイトするが、今どきの若者として「みゆき族」がテレビに映し出されたなかに2人があり、六子が慌てるという一コマがある。
新婚旅行に出発するという東京駅での場面は、できたばかりの新幹線の新大阪行きの、今は懐かしい芋虫のような最新型列車「こだま」が映し出され、結婚した2人はそれに乗って旅立つ。新婚の花嫁は、お決まりの丸いピルボックスの帽子を被っている。
やがて街には夕日が輝き、映画の始まりと同じく、そこには東京タワーがそびえている。
東京タワーは、スカイツリーができた今後も、きっと東京の象徴であり続けるだろう。スカイツリーができたおかげで、東京タワーには品と哀愁すら漂うようになった。
「雨の外苑、夜霧の日比谷…」と歌う「東京の灯よいつまでも」(新川二郎)が流れたのは、この年だった。
「街はいつでも、うしろ姿の幸せばかり…」と歌う「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナツ)が流れたのも、この年だった。
この年、初めての少年週刊誌「少年マガジン」、「少年サンデー」が創刊され、漫画雑誌の新しい路線を開いた。そして、初めてのレコード大賞は、水原ひろしの「黒い花びら」だった。
日本は、あらゆる面で急成長していた。
「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は、昭和30年代の東京の下町が舞台の、「三丁目の夕日」シリーズの映画第3作目である。
前作「ALWAYS 三丁目の夕日」から5年がたった1964(昭和39)年は、あらゆる意味で戦後昭和の日本を象徴する時代である。
日本は急速な高度経済成長の過程にあった。東京オリンピックに間に合わせるように、羽田行きモノレールおよび東京・大阪間の東海道新幹線が開通した。また、首都高速をはじめとして、大都市圏で高速道路の建設が急ピッチで進められた。
この年の東京オリンピックは、韓国ソウル・オリンピックより24年、中国北京オリンピックより44年先駆ける、アジア初の開催となった。
学生が学生服を着る以外におしゃれにほど遠かった時代から、流行というファッションに若者が目を向き始めた頃だ。
銀座には、新しいファッションを身につけた「みゆき族」と称される若者がたむろした。髪を短く七・三に分け、石津健介の「VAN」を愛用し、アイビー・ルックとも呼ばれた。
そのような風潮に合わせて、若者向けの風俗をあしらった週刊誌「平凡パンチ」が創刊され、当時若者に読まれていた今日の社会問題や思想を中心とした内容の前衛的な週刊誌「朝日ジャーナル」と対比された。
音楽に目を向ければ、若者が支えていたロカビリーからカヴァー・ポップスのブームのあと、エレキ・ブームがベンチャーズの到来とともに訪れ、彼らはビートルズをしのぐ人気だった。
1964年のこの年、ポップスの香りを持った西郷輝彦が「君だけを」でデビューし、前年「高校三年生」でデビューした舟木一夫、さらに遡ること4年前に「潮来笠」でデビューした橋幸夫と、のちに云う「御三家」が誕生した。このころ、三田明、久保浩、梶光夫、安達明、高石かつ枝、本間千代子、高田美和などによって、「青春歌謡」の全盛をみた。
成長の最中にあった時代そのものも、歌と同様青春だったといえよう。
この年、僕は九州の田舎から上京した。
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「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(原作:西岸良平、監督:山崎貴、出演:吉岡秀隆、堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、小雪、須賀健太、森山未來、2012年東宝)
「ALWAYS 三丁目の夕日」の夕日町3丁目の商店街も、5年がたって1964年だ。
街に「東京オリンピック」のポスターが貼ってあるように、この年、戦後最大のイベントとなる東京オリンピックに向けて、国も街も活気に満ちていた。
5年前の前作では、街の食堂でテレビを買うと、商店街のみんなが集まってきて大騒ぎだったが、この年では、各家々が、ここでは小さな各個人商店だが、オリンピックをわが家でも見ようと、どこもテレビを買うまでになっていた。
今のようにシャッター街となっていなくて、貧しくともどこの商店街も生きいきとしていたころだ。雑貨屋の茶川家でもカラー・テレビは無理でも、モノクロ・テレビを買うことにする。
しがない作家を続けている茶川(吉岡秀隆)は念願のヒロミ(小雪)と夫婦となっていて、ヒロミはお腹が大きく、妊娠中だ。家は2階を建て増しし、1階では雑貨売りの片隅で、ヒロミが居酒屋をやって家計を助けている。引き取った淳之介(須賀健太)は、東大を目指して勉強中の高校生になった。
向かいの一本気の旦那(堤真一)と人情家の奥さん(薬師丸ひろ子)がいる鈴木オートでは、淳之介と同じく高校生の一人息子の一平は自動車修理工の後を継ぐことを嫌っていて、エレキギターに夢中だ。
集団就職で青森からやって来た住み込みの工員六子(堀北真希)は仕事も覚え、新入りの男の子を厳しく鍛えているが、もう年頃だ。
鈴木オートの息子一平が、家でギターの練習をしている場面で、本棚に「平凡パンチ」が置いてあり、壁には加山雄三の「ハワイの若大将」のポスターが貼ってあった。一平は学校でベンチャーズのサウンズを弾くが上手く弾けなく、会場にいた女の子もあきれて部屋を出ていくという有様だ。この辺の音楽若者の状況を芦原すなおが「青春デンデケデケデケ」に描いている。
六子がほのかに恋した男(森山未來)は医者だが、私生活の服装は軽い若者だ。髪は七・三に分け、当時流行のアイビー・ルックというファッションだ。誘われて銀座でデイトするが、今どきの若者として「みゆき族」がテレビに映し出されたなかに2人があり、六子が慌てるという一コマがある。
新婚旅行に出発するという東京駅での場面は、できたばかりの新幹線の新大阪行きの、今は懐かしい芋虫のような最新型列車「こだま」が映し出され、結婚した2人はそれに乗って旅立つ。新婚の花嫁は、お決まりの丸いピルボックスの帽子を被っている。
やがて街には夕日が輝き、映画の始まりと同じく、そこには東京タワーがそびえている。
東京タワーは、スカイツリーができた今後も、きっと東京の象徴であり続けるだろう。スカイツリーができたおかげで、東京タワーには品と哀愁すら漂うようになった。
「雨の外苑、夜霧の日比谷…」と歌う「東京の灯よいつまでも」(新川二郎)が流れたのは、この年だった。
「街はいつでも、うしろ姿の幸せばかり…」と歌う「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナツ)が流れたのも、この年だった。
この頃は、東京もほとんど水洗トイレではないのですから、町中はウンチの匂いで充満していました。
匂いが出ない映画で良かったですね。