ラグビーは力と力がぶつかり合うだけでなく、流れるように人とボールが動く極めてエキサイティングなスポーツである。
イングランドで生まれたラグビーは紳士のスポーツと言われ、騎士軍団の戦闘を想起させる。
スクラムでフォワードが頭からぶつかり合うさまは闘牛のようであり、球を斜め後ろにパスを送りながらバックスが前へ流れるように進むさまは、ウィングという名称があるように俯瞰からの眺めは渡り鳥の雁のようだ。ラグビーは、激突と流麗さがミックスしている力と技の競技である。
(写真はラグビーと関係ないが、イングランドのリチャード1世の紋章の初期シール)
日本ラグビーが2015年W杯1次リーグで、世界ランキング3位南アフリカに勝ったことによって、急にラグビー人気が沸騰した。1次リーグ結果は、その後日本はスコットランドに敗れたがサモア、アメリカに勝って、ベスト8の決勝トーナメントに進めなかったものの3勝1敗で終えた。
確かに9月20日(現地日時)の、初戦の南アフリカ戦は劇的な勝利だった。
本場イギリスの小学校で、後日その試合の映像を、校長が朝の全校集会で児童に見せた。校長はお互い児童に感想を話させ、そこから何を学べるかの説明を加えたという新聞報道があった。このエピソードからも、国を越えてどれだけ感動的だったかがわかるだろう。
今ラグビーの話を書くと俄かファンと思われそうだが、僕はサッカーよりずっとラグビーが面白いしアドレナリンを出してくれると思っていたので、この突然のラグビーの盛り上がりは嬉しい限りである。日本人特有の熱しやすくて冷めやすい病気に陥らなければと思う。
*
ラグビーもサッカーも中世、イングランドで生まれたとされるルーツを同じくするフットボールである。
かつてイングランドでは村と村の対抗戦として村の大人数が参加し、手と足を使ってボールを互いのゴールまで運ぶ大いなる競技が行われていた。
「熱闘7000人 - これがサッカーのルーツだ」という番組を録画で見た。
これは、イングランドのアッシュボーンという町で今も残っている、いわゆるフットボールの原型とされている競技の始終をカメラが追って撮影したものである。シュローヴタイド・フットボールと呼ばれていて、競技は1年に1度、「懺悔節(Shrovetide)」の最終日「懺悔の火曜日」と、翌日の「灰の水曜日」の2日間行われる祭りでもある。
町の人たちがアッパーズとダウナーズの二組に分かれて、遠く離れた自分たちのゴールまでボールを持って行く競技である。
その日、町の中心にある駐車場に試合に出場する参加者や、それを見守る観客が集まる。何人いるかわからない身動きできないようなうごめくメンバー群の中にボールが投げ込まれて、試合が始まる。
押し合う人混みの中、ハグという状態の中で、ボールがどこにあるかわからないが人と人とがぶつかり合う。やがてボールが人混みから出ると、それを奪い合うように人混みはボールとともに動き移動する。ボールは持っても投げても、服の中に隠しても自由である。
動く範囲も特定の場所以外は規制されていないので、公園であろうと林の中であろうと川の中であろうとかまわず人とボールは移動し続ける。ある時は人家の庭の中にも入っていく。
お互いのゴールは遠く離れた川上と川下の中にある碑(石碑)で、どちからのメンバーがそこへ行き着き、ゴール・マークの部分にボールを3回タッチさせればゴールと認められる。
試合は日が暮れるまで行われる。
ゴールを決めた人(選手)は、その年の町のヒーローとなり、町の居酒屋では酒を飲みながら試合を語り合う人でにぎわうことになる。
ボールを奪い合うという素朴で単純な試合ゲームであるけど、けが人が続出するだろうなという激しいぶつかり合いや町中の人を巻き込んだボールをめぐる闘いは、見ていてとても面白い。
ここから後世、試合としての人数規制と様々な規則であるルールを作って、フットボールはサッカーとラグビーに分かれた。
このアッシュボーンのフットボールを、番組では「これがサッカーのルーツだ」とあったが、どちらかといえばサッカーよりラグビーに近いと思える。サッカーの基本的には手を使わないという規則は、罰ゲームのようでどうにも不自然だ。
楕円形のボールを力と技でゴールへ運ぶラグビーのルーツは、町や村の祭りだったのだ。
*
ラグビーもサッカーもイングランドで生まれたルーツを同じくするフットボールであるけれど、もともと日本ではラグビーの方が人気があった。
僕の高校時代は、佐賀の田舎の母校にラグビー部はあったけれどサッカー部はなかった。サッカーをやった記憶はないが、体育の授業で、冬にはラグビーをやっていたぐらいだ。
その運動の激しさと危険性を伴うスポーツゆえに中学・高校で人気が落ちた現在、高校の島根県大会では決勝のみで、佐賀県では出場3校と激減しているという。
かつて大学ラグビーも、野球に次いで人気があった。
1964(昭和39)年から始まったラグビーの大学選手権は、第1回の優勝校は法政大で、黎明期はしばらく法政大と早稲田大の優勝争いが続いた。その後、両校は関東大学ラグビーの対抗戦とリーグ戦に分かれることになる。
その後も一貫して早稲田大は大学ラグビー界の牽引校として優勝争いを続けているが、時代によって明治大、同志社大、関東学院大などの隆盛があり、今では帝京大の時代となっている。
かつての伝統校の復活が待たれるところだろう。
2015年のラグビーのW杯は、まだ終わってはいない。この大会は、ラグビーの面白さを再認識させてくれた。
日本チームのキャプテンのリーチマイケルが、ラグビーの魅力をこう語っていた。
「勝ったときの喜びが一番大きい。ぶつかったあと死ぬかもしれないという、あとの……」
*
ラグビーの場合、国際ルールとして、外国人でも3年以上継続して居住していると、その国の選手として出場できる。
だとすると、フォワードに、照ノ富士、逸ノ城、大砂嵐を入れたらどうだろう、この押し込むスクラムを見てみたいという思いが、ふと頭をよぎった。
それに、オコエ瑠偉(関東一高)をウィングにスカウト。
イングランドで生まれたラグビーは紳士のスポーツと言われ、騎士軍団の戦闘を想起させる。
スクラムでフォワードが頭からぶつかり合うさまは闘牛のようであり、球を斜め後ろにパスを送りながらバックスが前へ流れるように進むさまは、ウィングという名称があるように俯瞰からの眺めは渡り鳥の雁のようだ。ラグビーは、激突と流麗さがミックスしている力と技の競技である。
(写真はラグビーと関係ないが、イングランドのリチャード1世の紋章の初期シール)
日本ラグビーが2015年W杯1次リーグで、世界ランキング3位南アフリカに勝ったことによって、急にラグビー人気が沸騰した。1次リーグ結果は、その後日本はスコットランドに敗れたがサモア、アメリカに勝って、ベスト8の決勝トーナメントに進めなかったものの3勝1敗で終えた。
確かに9月20日(現地日時)の、初戦の南アフリカ戦は劇的な勝利だった。
本場イギリスの小学校で、後日その試合の映像を、校長が朝の全校集会で児童に見せた。校長はお互い児童に感想を話させ、そこから何を学べるかの説明を加えたという新聞報道があった。このエピソードからも、国を越えてどれだけ感動的だったかがわかるだろう。
今ラグビーの話を書くと俄かファンと思われそうだが、僕はサッカーよりずっとラグビーが面白いしアドレナリンを出してくれると思っていたので、この突然のラグビーの盛り上がりは嬉しい限りである。日本人特有の熱しやすくて冷めやすい病気に陥らなければと思う。
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ラグビーもサッカーも中世、イングランドで生まれたとされるルーツを同じくするフットボールである。
かつてイングランドでは村と村の対抗戦として村の大人数が参加し、手と足を使ってボールを互いのゴールまで運ぶ大いなる競技が行われていた。
「熱闘7000人 - これがサッカーのルーツだ」という番組を録画で見た。
これは、イングランドのアッシュボーンという町で今も残っている、いわゆるフットボールの原型とされている競技の始終をカメラが追って撮影したものである。シュローヴタイド・フットボールと呼ばれていて、競技は1年に1度、「懺悔節(Shrovetide)」の最終日「懺悔の火曜日」と、翌日の「灰の水曜日」の2日間行われる祭りでもある。
町の人たちがアッパーズとダウナーズの二組に分かれて、遠く離れた自分たちのゴールまでボールを持って行く競技である。
その日、町の中心にある駐車場に試合に出場する参加者や、それを見守る観客が集まる。何人いるかわからない身動きできないようなうごめくメンバー群の中にボールが投げ込まれて、試合が始まる。
押し合う人混みの中、ハグという状態の中で、ボールがどこにあるかわからないが人と人とがぶつかり合う。やがてボールが人混みから出ると、それを奪い合うように人混みはボールとともに動き移動する。ボールは持っても投げても、服の中に隠しても自由である。
動く範囲も特定の場所以外は規制されていないので、公園であろうと林の中であろうと川の中であろうとかまわず人とボールは移動し続ける。ある時は人家の庭の中にも入っていく。
お互いのゴールは遠く離れた川上と川下の中にある碑(石碑)で、どちからのメンバーがそこへ行き着き、ゴール・マークの部分にボールを3回タッチさせればゴールと認められる。
試合は日が暮れるまで行われる。
ゴールを決めた人(選手)は、その年の町のヒーローとなり、町の居酒屋では酒を飲みながら試合を語り合う人でにぎわうことになる。
ボールを奪い合うという素朴で単純な試合ゲームであるけど、けが人が続出するだろうなという激しいぶつかり合いや町中の人を巻き込んだボールをめぐる闘いは、見ていてとても面白い。
ここから後世、試合としての人数規制と様々な規則であるルールを作って、フットボールはサッカーとラグビーに分かれた。
このアッシュボーンのフットボールを、番組では「これがサッカーのルーツだ」とあったが、どちらかといえばサッカーよりラグビーに近いと思える。サッカーの基本的には手を使わないという規則は、罰ゲームのようでどうにも不自然だ。
楕円形のボールを力と技でゴールへ運ぶラグビーのルーツは、町や村の祭りだったのだ。
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ラグビーもサッカーもイングランドで生まれたルーツを同じくするフットボールであるけれど、もともと日本ではラグビーの方が人気があった。
僕の高校時代は、佐賀の田舎の母校にラグビー部はあったけれどサッカー部はなかった。サッカーをやった記憶はないが、体育の授業で、冬にはラグビーをやっていたぐらいだ。
その運動の激しさと危険性を伴うスポーツゆえに中学・高校で人気が落ちた現在、高校の島根県大会では決勝のみで、佐賀県では出場3校と激減しているという。
かつて大学ラグビーも、野球に次いで人気があった。
1964(昭和39)年から始まったラグビーの大学選手権は、第1回の優勝校は法政大で、黎明期はしばらく法政大と早稲田大の優勝争いが続いた。その後、両校は関東大学ラグビーの対抗戦とリーグ戦に分かれることになる。
その後も一貫して早稲田大は大学ラグビー界の牽引校として優勝争いを続けているが、時代によって明治大、同志社大、関東学院大などの隆盛があり、今では帝京大の時代となっている。
かつての伝統校の復活が待たれるところだろう。
2015年のラグビーのW杯は、まだ終わってはいない。この大会は、ラグビーの面白さを再認識させてくれた。
日本チームのキャプテンのリーチマイケルが、ラグビーの魅力をこう語っていた。
「勝ったときの喜びが一番大きい。ぶつかったあと死ぬかもしれないという、あとの……」
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ラグビーの場合、国際ルールとして、外国人でも3年以上継続して居住していると、その国の選手として出場できる。
だとすると、フォワードに、照ノ富士、逸ノ城、大砂嵐を入れたらどうだろう、この押し込むスクラムを見てみたいという思いが、ふと頭をよぎった。
それに、オコエ瑠偉(関東一高)をウィングにスカウト。
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