かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

闇の奥

2010-10-15 02:47:04 | 本/小説:日本
 辻原登著 文藝春秋刊

 いまだ冒険の話に胸が躍るのは、子どもの頃の「宝島」(スティーブンソン)や「十五少年漂流記」(ジュール・ベルヌ)や「ロビンソン・クルーソー」(デフォー)などを読んだとき出てきたドーパミンや、ワクワクする高揚感がインプットされているからだろう。

 あれは、いくつの頃だったろうか。まだ小学生の頃、夜一人になると、僕はよく紙に島を書いた。紙はざらざらした和紙の方がよかった。赤茶けたくすんだ紙でもよかった。
 その島は、自分が漂流した無人島でもあり、宝島でもあった。
 島は丸っこいが、海岸線は決して平坦でなく、でこぼこした岩で覆われていて、島の南に一か所、入りくんだ入江があった。そこだけは遠浅の砂浜で、そこには僕が漂流してきたボートが一隻あった。
 その入江から川が島の中へ蛇行して進んでいた。その川の進む先には森が、つまりジャングルがあった。ジャングルには、バナナや椰子の実がある代わりに、様々な動物がいるはずだった。猿や鹿などのほかに、危険な動物、例えばライオンや蛇や鰐などもいるはずだった。
 僕は、この島に何を持っていくかを、いつも考えていた。
 マッチ○箱、釣り針○本、竿○本、ナイフ……。島の脇の空間に書き綴っていったが、このくらいで、あとは何を持っていこうか、行き詰まるのだった。ボート1隻に乗る、生活必需品である。
 ロビンソン・クルーソーの影響もあってか、一人で生活するには、島の木や蔦を使えば小屋ぐらいは作れそうだし、自給自足はできそうに思えた。
 やはり、もっとも大変なのは火を熾すことと思えた。火を熾すには木を摩擦する方法を知っていたが、実際やってもなかなか古代人のようには燃えなかったので、マッチを持っていくことにしたのだった。といっても、マッチは限りがあるので、何箱持っていくかが問題だった。
 マッチがなくなったときのために、火打ち石も用意しないといけないと思ったが、火打ち石を見つけるのも難しかった。暗闇で石と石を強く擦り、火花が出る石を見つけるのだが、それが紙などに点火することはなかった。
 食料は海にいる魚と、森のバナナや椰子の実などでまかなう予定だった。魚を捕まえるには、竿と筋糸と針が必要だった。まあ、竿は島の木を折ればいいのだが、やはり竿には竹が向いていた。ジャングルに竹はなさそうだった。
 そして、最後は、宝をどこに隠すかが問題だった。
 簡単に見つかるところではいけなく、森の中か、森を過ぎ去ったその奥でなければならなかった。僕は、島の地図の最後に、そこだけひっそりと赤鉛筆で印を付けるのだった。
 あたかも、龍の絵の最後に、目に黒眼(まなこ)を付けるがごとく。

 冒険や宝探しは、今でも映画、「インディー・ジョーンズ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ロード・オブ・ザ・キング」などに引き継がれている。

 *

 辻原登の「闇の奥」も、冒険物語である。
 ジョゼフ・コンラッドの小説と同じ題名からして、それを意識して書かれたものと思われる。
 コンラッドがアフリカを舞台にしたのに対して、この小説の舞台はアジアで、ボルネオからマレー半島、中国雲南、チベットと広がる。いずれもまだ現代文明から離れている地である。
 物語の端は、太平洋戦争末期に、軍の召集を受けた博物学者の三上隆なる男が、調査の途中で、ボルネオ島で消息を絶ったことである。
 彼の生存説は根強く、戦後何度か捜索団が派遣される。
 この物語は、三上隆の捜索と、彼が遭遇したと想像される伝説の小人、矮人族(ネグリト)の探索を織りこんだ話である。
 地図を横に置きながら読んだ。
 ボルネオ、中国雲南、チベットは、想像をかきたたせる土地だ。小説は、それに日本の熊野を絡ませる。
 中国雲南は、いまだ神秘的な薫りがする地方で、この小説にも出てくる中甸という地方は、今は観光目的もあってか香格里拉(シャングリラ)と名を変えた。「シャングリラ」とは、ジェームス・ヒルトンの小説「失われた地平線」の中での僧院で、今では桃源郷の代名詞となっている。
 小説は、実在の地と想像の地を、実在の人物と想像の人物を、奔放に混在させる。和歌山毒物カレー事件での死者も登場する。いや正確に言うと、物語の登場人物が、カレー事件で死ぬ結果となるという設定なのだが。
  
 著者の辻原は、芥川賞受賞作「村の名前」でも、中国奥地を題材にした面白い小説を発表している。
 「闇の奥」は、冒険好きの読者には興味深い小説だが、森の茂みが広がり、その奥深くに入りすぎて、物語の主人公と一緒に迷い込んだ著者が、そこから下界に出てくるのに苦労した感が否めない。
 それとも、失踪した主人公と同じく、著者は途中からこの物語の迷宮化を意図、もしくは覚悟していたのかもしれない。

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