かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

マイ・バック・ページ

2011-07-11 00:45:53 | 本/小説:日本
 誰でも思い出の雑誌というものがあるだろう。
 かつて「抒情文芸」(久保書店)という、プロの作家の小説の他に、素人の投稿による小説や詩も掲載する雑誌があった。中綴じの小さい本だが、文学青年や文学少女の小さな夢が詰まっていて、ある日、町の小さな本屋で目に入って、そっと手に取った。
 あれは九州の片田舎での夏休みのある日、夏の熱い日差しを避けて、家の縁側で寝ころんでページをめくった。まだ雲の彼方の、すぐ消える陽炎のような夢だけで生きていた頃、自分が何に向かっているのか、何なのかも知らない頃のこと、僕も一度だけ短い文を投函した。
 あの頃、島根の雁夕子(ペンネーム)さん、「夢ばかり見ている」と書いていた白木じゅんさん、彼らはどうしているだろう。
 青い空に浮かぶ夏雲と、庭の草いきれが目に浮かぶ。
 まだ政治の季節が来る前の、若すぎるあの頃も、あの本も遠く、思い出すと何とも切ない。

 朝日新聞の記事「beランキング」(6月4日)に、「復刊してほしい雑誌」というアンケートの結果が紹介された。10位までを紹介すると、下記のようになる。
 1.朝日ジャーナル(朝日新聞社)。
 2.科学と学習(学研教育出版)。
 3.ロードショー(集英社)。
 4.太陽(平凡社)。
 5.平凡パンチ(マガジンハウス)。
 6.科学朝日(朝日新聞社)。
 7.FOCUS(新潮社)。
 8.月刊プレイボーイ(集英社)。
 9.週刊明星(集英社)。
 10.噂の真相(噂の真相社)。

 1960年代から70年代初頭にかけて、つまり学生運動が燃え上がっていた時代、「朝日ジャーナル」は学生にとって愛読書だった。
 よく当時の学生を称して、「左手に<朝日ジャーナル>、右手に<平凡パンチ>」と言われる(朝日新聞のライターは、この記事で、「右手にジャーナル、左手にパンチ」と書いている)。しかし、当時両方を読んでいる学生はほとんどいなかったと思う。
 つまり、「朝日ジャーナル」を読んでいる学生は、多くは「平凡パンチ」には興味を示さなかった。「朝日ジャーナル」は政治を主体的に、「平凡パンチ」はファッション、車、音楽、女など若者風俗を主に扱った。
 「左手に…、右手に…」とは、左派(革新・リベラル派的学生)は「朝日ジャーナル」を、右派(ノンポリ的学生)は「平凡パンチ」を、といった意味での例えに、ずいぶん後に言われたものだと思う。
 64年創刊の「平凡パンチ」が学生に読まれ出したのは、69年の東大安田講堂の陥落に象徴される、大学全共闘運動の衰退後、いわゆる政治の季節の終焉後のことだろう。その時期を境に、1959年創刊の「朝日ジャーナル」は退潮していったのだが。
 「朝日ジャーナル」と「平凡パンチ」の最盛期は、その意味ではクロスしているのだ。

 現在、評論家として活動している川本三郎は大学を卒業した後1年留年して、69年、朝日新聞社に入る。いわゆる、政治の季節の真っ直中だった時代だ。「週刊朝日」をへて71年、「朝日ジャーナル」の記者となる。
 「街も時代も熱かった」と川本は当時を振り返る。
 入社したてで活気溢れる川本は、若者のサブカルチャーや学生運動を取材していくなかで、ある事件に出合うことになる。そして、そのことがもとで、彼は朝日新聞社を解雇(本文は馘首と記す)させられることになる。
 彼の一生を左右したその事件のことを、その後、彼は忘れようと無意識に避けて生きていく。その彼の心の中で封印していた出来事を、十数年後の88年に書いたのが、「マイ・バック・ページ」(河出書房新社刊)である。

 川本が評論・著作生活をしていた1986年、彼はフランスのクリス・マイケルのインディペンデント・フィルム「サン・ソレイユ」(日の光もなく)という映画の試写を見た。その映画は、日本の様々な風景や日常生活をドキュメンタリー風に描いたもので、それが突然、ヘルメットをかぶった学生たちがデモをしている映像が表れる。
 その映像とともに、彼は思い出したくないと閉じ込めておいた過去が甦るのを抑えられなくなる。
 学生たちのデモの場面に、次のような言葉がかぶせられる。
 「愛するということが、もし幻想を抱かずに愛するということなら、僕は、あの世代を愛したといえる。……」
 「僕は、あの世代を愛したといえる。」
 「このやさしさは、彼らの政治行為そのものよりも長い生命を持つことだろう」
 この台詞が、彼を「あの時代」、大学を卒業して朝日新聞社の記者になった68年から72年、を甦らせる。

 1968年はフランス五月革命に代表されるように、世界的に学生運動が燃え上がった時期である。日本でも、全国の大学で燎原の火のように学生運動が広がった。
 当時の本は何冊か出ているが、解説書はあっても、そのただ中にいた人の心情吐露は少ない。
 当時の学生運動への憧憬を心情的にダブらせた「ヘルメットをかぶった君に会いたい」(集英社)の鴻上尚史や、当時の学生運動の膨大な資料解説ともいえる「1968年」(新曜社)を著した小熊英二が、その後の世代であるように、そのただ中にいた人間がなかなかその時代の自分を書き難いのは理解できる。
 自分の青春を告白するのが面はゆいように、刺さった棘がいつまでも疼くように、長い躊躇いをぬぐい去ることが難しいのだ。

 この川本三郎の本「マイ・バック・ページ」が映画化された(監督、山下敦弘)。僕は、まだ映画は見ていない。
 出演者は、妻夫木聡と松山ケンイチである。1960年代後半から70年代初頭の時代と、その時代に生き、時代の波に呑み込まれた若者の鼓動がどのように再現されたのだろうか。
 川本は、映画の試写を見て涙したという。
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