10月19日夕刻、列車で杭州から蘇州に着いた。
蘇州駅に着いたときは、日が暮れかかっていた。蘇州には2泊するつもりだったので、21日の上海行きの切符を買っておこうと思い、切符売場である售票処を探した。切符売場は、やはり乗降口より大分離れたところにあった。
行くと、どの窓口にも行列ができていた。どこの駅もそうだ。
夕方発の列車がないかと探していたら、掲示板に上海行き15時54分発のがあったので、2日後のそれにした。窓口で切符を買うと、15元であった。あまりにも安い。
切符には、K182次の車両で、真空調硬座快速で天座とある。(写真)
切符の写真を見ると、蘇州の蘇の字が、芬に似たまったく違った中国字になっているのが分かるだろう。
列車は硬座で天座であるから、硬い木の座席で天空が見える、屋根のない無蓋車のようなものなのだろうか。終戦直後であるまいし、そんなことはあるまい。もしそうだとしたら、そのまま中国東北地方の旧満州、長春(新京)まで行ってみたいものだ。
「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」のように、屋根も庇もないトロッコ列車に乗るのもいい。あの映画も、インディ(ハリソン・フォード)が上海で美女と知りあって、中国人少年とインドの奥地に行く話だった。「天座、魔宮行、単票」なんてのがあれば、いいなぁ。
それはさておき、天座とは、おそらく自由席なのだろう。硬座があるとすれば、軟座もあって、座席の椅子に格差があるのだろう。硬座が格下であるのは言うまでもない。
蘇州の駅前に立って、地図を見た。
蘇州の街は、四角く堀(外城河)で囲まれていて、さらに堀割である細い運河が縦横に張り巡らされていた。周囲が海ではないが、ヴェネツィアを思わせた。
駅はこの堀の北にあり、予約してある蘇州青年之家旅舎は、南の十全街(通り)から南脇に下ったところにあった。
すでに日も暮れていた。ここからバスを探してそこへ行くには、かなり困難を要しそうだ。中国のバス路線がやっかいなのを知っていた。それに、チェックインも急がないといけない。などと、言い訳しながら、タクシーに乗ることにした。
僕は極力タクシーを使わない、地元の人の利用する公共の交通機関(電車、バスなど)での旅を目指しているが、たまにはこういうこともある。
タクシー乗り場には、そこも行列ができていた。
タクシーに乗ると、運転手に地図を見せながら旅舎の住所と、近くにある有名ホテルらしい蘇州ホテル近くと言った。運転手は老眼らしく見えにくい仕草で地図をながめていたが、分かったのか発進させた。
車は、駅から街を囲む外城河に沿った外側の道を走った。空はダークブルーに染まって、まさに夜のとばりが下りようとしていた。堀に沿って、城の櫓のように中国式の建物があり、そこがイルミネーションで縁取られて輝いている。さらに、その輝きを長く続く堀割の水に映していた。それを見て、やはりこの街が水の都だと知った
運転手は近くに来たのだろうか、外を右左に注意深く見ながら走った。そして、大通りから脇の道に入ったので、僕は違うところへ行っているのではと疑心暗鬼になった。
それで、おもわず運転手に「蘇州飯店」と言った。そこなら有名ホテルらしいから知っているだろう。そこからは大した距離ではなさそうだし、そのホテルから歩こうと思ったのだ。
運転手は、「蘇州飯店?」と聞き返し、僕が「そうだ」と言うと、車をUターンして、また大通りに出た。そして、蘇州飯店と書いてある入口前に出た。
大通りの蘇州飯店入口は車が擦れ違う程度の間口だが、中の方に専用の道が続いていて、大きなホテルであることがすぐに推測できた。僕は、入口を入ったところで、「ストップ」と言った。
しかし、運転手は僕のストップを無視して、敷地に入った。そこには燦々と光り輝く立派な建物が構えていた。タクシーは、そのホテルの入口まで行き、そこで車を止めた。
玄関前には制服を着たホテルマンが立っていて、素早く僕に近づいてきて会釈した。僕はまずいなと思ったが、仕方ない。僕を案内するホテルマンに、車を出て、「ソーリー、僕はこのホテルに泊まるのではない」と言った。
すると、ホテルマンは運転手に何か言った。小言を言っているようだった。運転手は、自分が勝手にこのホテルに連れてきたと疑われているようで、必死になって弁解していた。
そう、運転手に罪はない。僕が勝手にこのホテルを指定したのだ。
僕が顔を真っ赤にしている運転手に、メーター料金の21元を渡すと、運転手はむっとしたまま20元しか受けとらなかった。僕は、21元をしっかり運転手の手に押し返し、蘇州飯店の玄関を背にして、歩き始めた。
運転手もホテルマンも不満を持ったままだった。僕が運転手を信用しなかったばかりに、本当に悪いことをした。
蘇州ホテルを出て、地図を見ながら蘇州青年之家旅舎を探した。それらしいところが見つからない。行きすぎて引き返し、土地の人に聞いてやっと見つけたそこは、大通りから脇に入った、先ほどタクシーがUターンしたところだった。
ホテルには見えない、通り過ぎてしまうのが当然の、普通のうらぶれた建物だった。それは、ホテルであることを隠す擬態のように、街の並んでいる建物の中に潜んでいた。
旅舎の中では、若い中国人の男女と、西洋人が2人、ロビーらしき空間に座っていた。髪の長い西洋人が、ギターをつま弾いていた。後ろ姿だったので女性かと思ったが、ロックミュージシャンのような風貌の男性だった。
中国人の男女は旅舎のスタッフだった。男がすぐに僕に対応した。
宿泊料は、何と90元だ。
部屋の鍵を渡された。それまでのカード式とは違って、古い差し込み式の金属のキーだ。
2階の部屋に行くと、戸の部分の鍵のところがすり減っていて、鍵をかけても強く押すと開くのだった。誰かが、力ずくでギシギシと開いたのだろう。
部屋の中に入ると、窓がない、ベッドが置いてあるだけの空間だ。洗面所もトイレ、バスもない。廊下の先の奥に、洗面所とトイレとシャワー室があった。
この料金では仕方ない。
部屋に荷物を置いて、ホテルを出た。
十全街の通りに、大衆的な食堂があったので、すぐに入った。店の名前は、「○名米綫館」といかめしいが街の人が入る庶民的な食堂だ。
入口のカウンターの中に、親父が構えていて、店の中はテーブルが6つある。若い女の子が、ウエイトレスとして立っていたが、手持ちぶさたそうだった。彼女以外にも、店の人らしい人が顔を出す。
メニューと日・中会話帳の食材図をながめていると、立っているウエイトレスが近づいてきて会話帳をのぞき込む。好奇心旺盛な年頃で、それが顔に出ている。僕を見て、にっと笑う。何だか、集団就職(中国でもあるかどうか知らないが)で地方から出てきた少女のようだ。
時々顔を出すおばさんも、受付にどんと座っている親父も、僕が何を注文するか、興味深げに見守っている。
散々メニューをながめていても、無難な線を注文してしまう。
咸菜肉絲。高菜と肉の細切り炒め。
皮蛋。ピータン卵。
水餃。水ギョーザ。
四種面。4種の具の入ったうどんのような麺。
睥(似字)酒。ビール。
計35元。
味はいい。僕は、再見と挨拶して店を出た。
地図を見ながら、堀割に沿って北の方の繁華街に向かって歩いた。
白い塀の古い家が並ぶ。その道の堀沿いには柳や灌木が植えてあり、木々の先には水が明かりを照らしている。
甘い匂いが夜に紛れて漂ってきた。その匂いに近づくと、木犀だった。夜の街灯に照らされた小さな花は、日本の黄色と違って白っぽい。かといって銀木犀ほどではない。うっすらと黄色なのだ。
日本の金木犀は終わったばかりだったのに、中国では少し遅いようだ。こちらが寒いのでもないのに。
人通りのない夜の運河沿いの小道は、寂しい。しかし、落ち着きのある街だ。
蘇州駅に着いたときは、日が暮れかかっていた。蘇州には2泊するつもりだったので、21日の上海行きの切符を買っておこうと思い、切符売場である售票処を探した。切符売場は、やはり乗降口より大分離れたところにあった。
行くと、どの窓口にも行列ができていた。どこの駅もそうだ。
夕方発の列車がないかと探していたら、掲示板に上海行き15時54分発のがあったので、2日後のそれにした。窓口で切符を買うと、15元であった。あまりにも安い。
切符には、K182次の車両で、真空調硬座快速で天座とある。(写真)
切符の写真を見ると、蘇州の蘇の字が、芬に似たまったく違った中国字になっているのが分かるだろう。
列車は硬座で天座であるから、硬い木の座席で天空が見える、屋根のない無蓋車のようなものなのだろうか。終戦直後であるまいし、そんなことはあるまい。もしそうだとしたら、そのまま中国東北地方の旧満州、長春(新京)まで行ってみたいものだ。
「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」のように、屋根も庇もないトロッコ列車に乗るのもいい。あの映画も、インディ(ハリソン・フォード)が上海で美女と知りあって、中国人少年とインドの奥地に行く話だった。「天座、魔宮行、単票」なんてのがあれば、いいなぁ。
それはさておき、天座とは、おそらく自由席なのだろう。硬座があるとすれば、軟座もあって、座席の椅子に格差があるのだろう。硬座が格下であるのは言うまでもない。
蘇州の駅前に立って、地図を見た。
蘇州の街は、四角く堀(外城河)で囲まれていて、さらに堀割である細い運河が縦横に張り巡らされていた。周囲が海ではないが、ヴェネツィアを思わせた。
駅はこの堀の北にあり、予約してある蘇州青年之家旅舎は、南の十全街(通り)から南脇に下ったところにあった。
すでに日も暮れていた。ここからバスを探してそこへ行くには、かなり困難を要しそうだ。中国のバス路線がやっかいなのを知っていた。それに、チェックインも急がないといけない。などと、言い訳しながら、タクシーに乗ることにした。
僕は極力タクシーを使わない、地元の人の利用する公共の交通機関(電車、バスなど)での旅を目指しているが、たまにはこういうこともある。
タクシー乗り場には、そこも行列ができていた。
タクシーに乗ると、運転手に地図を見せながら旅舎の住所と、近くにある有名ホテルらしい蘇州ホテル近くと言った。運転手は老眼らしく見えにくい仕草で地図をながめていたが、分かったのか発進させた。
車は、駅から街を囲む外城河に沿った外側の道を走った。空はダークブルーに染まって、まさに夜のとばりが下りようとしていた。堀に沿って、城の櫓のように中国式の建物があり、そこがイルミネーションで縁取られて輝いている。さらに、その輝きを長く続く堀割の水に映していた。それを見て、やはりこの街が水の都だと知った
運転手は近くに来たのだろうか、外を右左に注意深く見ながら走った。そして、大通りから脇の道に入ったので、僕は違うところへ行っているのではと疑心暗鬼になった。
それで、おもわず運転手に「蘇州飯店」と言った。そこなら有名ホテルらしいから知っているだろう。そこからは大した距離ではなさそうだし、そのホテルから歩こうと思ったのだ。
運転手は、「蘇州飯店?」と聞き返し、僕が「そうだ」と言うと、車をUターンして、また大通りに出た。そして、蘇州飯店と書いてある入口前に出た。
大通りの蘇州飯店入口は車が擦れ違う程度の間口だが、中の方に専用の道が続いていて、大きなホテルであることがすぐに推測できた。僕は、入口を入ったところで、「ストップ」と言った。
しかし、運転手は僕のストップを無視して、敷地に入った。そこには燦々と光り輝く立派な建物が構えていた。タクシーは、そのホテルの入口まで行き、そこで車を止めた。
玄関前には制服を着たホテルマンが立っていて、素早く僕に近づいてきて会釈した。僕はまずいなと思ったが、仕方ない。僕を案内するホテルマンに、車を出て、「ソーリー、僕はこのホテルに泊まるのではない」と言った。
すると、ホテルマンは運転手に何か言った。小言を言っているようだった。運転手は、自分が勝手にこのホテルに連れてきたと疑われているようで、必死になって弁解していた。
そう、運転手に罪はない。僕が勝手にこのホテルを指定したのだ。
僕が顔を真っ赤にしている運転手に、メーター料金の21元を渡すと、運転手はむっとしたまま20元しか受けとらなかった。僕は、21元をしっかり運転手の手に押し返し、蘇州飯店の玄関を背にして、歩き始めた。
運転手もホテルマンも不満を持ったままだった。僕が運転手を信用しなかったばかりに、本当に悪いことをした。
蘇州ホテルを出て、地図を見ながら蘇州青年之家旅舎を探した。それらしいところが見つからない。行きすぎて引き返し、土地の人に聞いてやっと見つけたそこは、大通りから脇に入った、先ほどタクシーがUターンしたところだった。
ホテルには見えない、通り過ぎてしまうのが当然の、普通のうらぶれた建物だった。それは、ホテルであることを隠す擬態のように、街の並んでいる建物の中に潜んでいた。
旅舎の中では、若い中国人の男女と、西洋人が2人、ロビーらしき空間に座っていた。髪の長い西洋人が、ギターをつま弾いていた。後ろ姿だったので女性かと思ったが、ロックミュージシャンのような風貌の男性だった。
中国人の男女は旅舎のスタッフだった。男がすぐに僕に対応した。
宿泊料は、何と90元だ。
部屋の鍵を渡された。それまでのカード式とは違って、古い差し込み式の金属のキーだ。
2階の部屋に行くと、戸の部分の鍵のところがすり減っていて、鍵をかけても強く押すと開くのだった。誰かが、力ずくでギシギシと開いたのだろう。
部屋の中に入ると、窓がない、ベッドが置いてあるだけの空間だ。洗面所もトイレ、バスもない。廊下の先の奥に、洗面所とトイレとシャワー室があった。
この料金では仕方ない。
部屋に荷物を置いて、ホテルを出た。
十全街の通りに、大衆的な食堂があったので、すぐに入った。店の名前は、「○名米綫館」といかめしいが街の人が入る庶民的な食堂だ。
入口のカウンターの中に、親父が構えていて、店の中はテーブルが6つある。若い女の子が、ウエイトレスとして立っていたが、手持ちぶさたそうだった。彼女以外にも、店の人らしい人が顔を出す。
メニューと日・中会話帳の食材図をながめていると、立っているウエイトレスが近づいてきて会話帳をのぞき込む。好奇心旺盛な年頃で、それが顔に出ている。僕を見て、にっと笑う。何だか、集団就職(中国でもあるかどうか知らないが)で地方から出てきた少女のようだ。
時々顔を出すおばさんも、受付にどんと座っている親父も、僕が何を注文するか、興味深げに見守っている。
散々メニューをながめていても、無難な線を注文してしまう。
咸菜肉絲。高菜と肉の細切り炒め。
皮蛋。ピータン卵。
水餃。水ギョーザ。
四種面。4種の具の入ったうどんのような麺。
睥(似字)酒。ビール。
計35元。
味はいい。僕は、再見と挨拶して店を出た。
地図を見ながら、堀割に沿って北の方の繁華街に向かって歩いた。
白い塀の古い家が並ぶ。その道の堀沿いには柳や灌木が植えてあり、木々の先には水が明かりを照らしている。
甘い匂いが夜に紛れて漂ってきた。その匂いに近づくと、木犀だった。夜の街灯に照らされた小さな花は、日本の黄色と違って白っぽい。かといって銀木犀ほどではない。うっすらと黄色なのだ。
日本の金木犀は終わったばかりだったのに、中国では少し遅いようだ。こちらが寒いのでもないのに。
人通りのない夜の運河沿いの小道は、寂しい。しかし、落ち着きのある街だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます