かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ ワーロック

2009-04-21 00:51:27 | 映画:外国映画
 エドワード・ドミトリク監督 リチャード・ウッドマーク ヘンリー・フォンダ アンソニー・クイン ドロシー・マロン ドロレス・マイケルズ 1959年米

 男の生き様とはなんだろう。自分のやることに命を賭けることなのか。信念を貫くことなのか。
 西部劇は、勧善懲悪がはっきりしていて分かりやすい。だから、あまり好きにはなれなかったし、熱心に見てもいない。
 例えば、普通の何の変哲もない街に荒らくれどもがやってきて、それを保安官が守ることになる。善良な街の人たちは、どのみち強いものに従うしかない。
 大体は保安官が英雄になるのだが、ときには街は悪党どものいいなりになったり、保安官が悪党になったりする場合もある。
 西部劇だから、そこでは撃ち合いになり、決闘が行われ、死は常に身近にある。その当時は法も整備されていないせいか、簡単に殺し、あっけなく死んでいった。
 日本の江戸時代も、死は軽かったという話を聞いた。もっとも江戸時代は天下泰平の時代だから武士は刀を持ってはいても、そう殺傷事件は起きていない。
 そういう殺傷とは別に、命は軽かったという。
 花魁や娼婦などが、「もう生きるのがいやになっちゃったから死のうかしら。一人で死ぬのはいやだからあんた一緒に死んでくれない?」
 「ああ、おれも生きていてもどうってことないから、いいよ」
 といった具合の軽さだったという。
 それというのも、医学が進歩していないので、命も短かった。乳幼児の死亡率が50パーセントぐらいだったといわれているので、子供がちゃんと生き延びるのは大変なことだったのである。
 それに、庶民はそうのうのうとは生きてはいけない経済状態であったはずだ。当然、日本も追いはぎや強盗は多かった。

 映画の物語は、暴れ者集団が我が物顔で住む西武の街、ワーロック。
 この街の住人は、自衛のために自分たちで私設保安官としてクライ(ヘンリー・フォンダ)を雇う。クライは超一流の銃の腕前だ。そのクライと一緒に街にやってきたのは、いわくありげな賭博師のモーガン(アンソニー・クイン)という男。
 モーガンはいかがわしい男だが、クライの影の片腕だったのだ。いや、影というより2人は暗黙の固い友情で結ばれていた。
 腕の立つクライは暴れ者を街から追い払うが、黙って追い払われるのは臆病者というレッテルが貼られるので、そうは素直に退散といかないのが悪党といえども男の心情という筋立てである。だから、争いごとが起きる。

 強引なやり方で暴れ者を追い立てるクライに、街の住民は素直に歓迎しているわけではない。このあたりが、正式な保安官でない男に対する住民の疑心暗鬼なのだろう。
 暴れ者一味から抜け出していたギャノン(リチャード・ウッドマーク)が、街の正式な保安官(映画では群保安官補)になる。ギャノンは、実の兄弟でも対決の姿勢を崩さない純粋な男である。
 モーガンは、保安官のギャノンが街の正義の味方になると、クライが悪役になると案じ、ギャノンを殺した方がいいと主張する。それどころか、自分の意見に耳を貸さないクライにすら銃を向けようとする。そして、この町を出ようとクライに言う。
 クライは、この街の女と恋仲になり、この街に残るので、君一人で町を出ろと言いはるのだった。
 モーガンは、クライと別れることがたまらなかったのだ。このあたりがクライには分からないモーガンのホモセクシャル的感情が見え隠れする。
 クライの行くところ問題が起こり、クライの強引なやり方では人が死ぬので、街の人たちは彼に町から出て行ってほしいと思うようになる。
 クライは、自分にも刃向かう盟友モーガンを殺してしまう。彼の本当の気持ちを知らないで。
 さらに、クライに町を出て行くように告げた保安官のギャノンと決闘する羽目になる。
 「町に平和が戻ったら、俺は邪魔者さ」と言う彼自身の言葉通り、最後は、クライは街を去る。やはり、西部劇のラストシーンであった。

 西部劇は単純な勧善懲悪で構成されていると言ったが、この映画は様々な要素を含ませている。
 冒頭にあげた、男の生き様。死をも賭けるのが男なのか。
 ホモセクシャルにも似た男の友情。男の友情は、女への恋心と違って、分かりづらい。失ってはじめてその大事さを知るのだ。
 さすらいと定住。西部のガンマンはさすらいが定めだ。定住しようと思ったとき、何かを失う。その何かとは、自分自身でもあり、男の友情でもある。
 
 かつてアメリカの良心を代表する俳優と言えば、ゲーリー・クーパーであり、グレゴリー・ペックであり、ヘンリー・フォンダであった。
 だから、この映画の良心はヘンリー・フォンダだと思っていたが、どうもニュアンスが違う。彼は雇われガンマンでさすらい者であり、良心はリチャード・ウィドマークであった。
 しかし、存在感は何と言ってもヘンリー・フォンダであり、あくの強い俳優アンソニー・クインであった。
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