吉野山 こずえの花を見し日より
心は身にも そはずなりにき
奈良の吉野を有名にしたのは西行にほかならない。
西行に魅かれて吉野を歩いたのは、20年前である。桜の季節を外れた秋であった。そのときは奥千本の西行庵まで歩いた。途中の柿の葉ずしや葛餅などの店を眺めながらゆっくりと歩いた。当然桜の華やかさはなく、行き交う人も少なく、周囲は緑に囲まれた山道だった。そして、その足で高野山に行った。
それから、桜の季節にいつか行こうと思っていながら叶わなかった。
そんなとき、今年の4月、朝日新聞の「be特集」アンケートによる「お花見名所の日本一」に、千鳥ヶ淵を押さえて吉野山が1位と掲載された。
それを見て、やはり吉野の桜を見たいという欲望がわき上がってきた。
吉野山の桜は、下千本、中千本、上千本、奥千本と下から順に咲いていくので、長い間桜が見られる。
調べてみると、今年は、4月初旬に下千本で開花した桜は、順次山上に昇っていき、4月21日に上千本にて開花とあった。
今年も時期を逸したが、九州・佐賀の実家へ帰る途中、吉野へ寄ろうと思った。
4月25日、奥千本あたりにはまだ桜は残っているかもしれないという淡い期待を持って、吉野へ行った。
やはり、下千本、中千本あたりはたまに八重桜がところどころで見うけられるものの、あの霞のような山桜はなく、緑一面である。
上千本の金峰神社に着くと、境内にやっと山桜が何本か咲いていた。しかし、あたりはどこを見渡しても桜の群れは見あたらない。奥の山道は針葉樹に囲まれている。山を薄桃色に染める景色は、どこにあるのだろうと思った。
金峰神社から針葉樹の山道を登って、横道にそれたところの西行庵の近くに行き着くと、白に近い薄桃色の桜が出てきた。その奥は奥千本で、薄もやの中、山の中ほどを刈り上げたように薄桃色に染まっていた。
吉野山 花のさかりは限りなし
青葉の奥も なおさかりなり
しかし、すでに盛りは過ぎていた。今度は、本当に花の盛りに行こうと思った。
山道の途中の店で、20年前食べなかった柿の葉ずしと葛餅を買って食べた。柿の葉ずしは、軽く握った酢めしに薄く切った塩鯖をのせ、柿の葉でくるんだ押し鮨である。要するにバッテラで、なかなか美味い。
帰りに、橿原神宮、石舞台、高松塚に寄った。
橿原神宮の裏山が畝傍(うねび)山と聞いたときに、一瞬歴史の授業を思い起こした。記憶の奥に眠っていた名前だった。そして、思わず、天香久(あまのかぐ)山と耳成(みみなし)山はどこだろうと見渡したのだった。
心は身にも そはずなりにき
奈良の吉野を有名にしたのは西行にほかならない。
西行に魅かれて吉野を歩いたのは、20年前である。桜の季節を外れた秋であった。そのときは奥千本の西行庵まで歩いた。途中の柿の葉ずしや葛餅などの店を眺めながらゆっくりと歩いた。当然桜の華やかさはなく、行き交う人も少なく、周囲は緑に囲まれた山道だった。そして、その足で高野山に行った。
それから、桜の季節にいつか行こうと思っていながら叶わなかった。
そんなとき、今年の4月、朝日新聞の「be特集」アンケートによる「お花見名所の日本一」に、千鳥ヶ淵を押さえて吉野山が1位と掲載された。
それを見て、やはり吉野の桜を見たいという欲望がわき上がってきた。
吉野山の桜は、下千本、中千本、上千本、奥千本と下から順に咲いていくので、長い間桜が見られる。
調べてみると、今年は、4月初旬に下千本で開花した桜は、順次山上に昇っていき、4月21日に上千本にて開花とあった。
今年も時期を逸したが、九州・佐賀の実家へ帰る途中、吉野へ寄ろうと思った。
4月25日、奥千本あたりにはまだ桜は残っているかもしれないという淡い期待を持って、吉野へ行った。
やはり、下千本、中千本あたりはたまに八重桜がところどころで見うけられるものの、あの霞のような山桜はなく、緑一面である。
上千本の金峰神社に着くと、境内にやっと山桜が何本か咲いていた。しかし、あたりはどこを見渡しても桜の群れは見あたらない。奥の山道は針葉樹に囲まれている。山を薄桃色に染める景色は、どこにあるのだろうと思った。
金峰神社から針葉樹の山道を登って、横道にそれたところの西行庵の近くに行き着くと、白に近い薄桃色の桜が出てきた。その奥は奥千本で、薄もやの中、山の中ほどを刈り上げたように薄桃色に染まっていた。
吉野山 花のさかりは限りなし
青葉の奥も なおさかりなり
しかし、すでに盛りは過ぎていた。今度は、本当に花の盛りに行こうと思った。
山道の途中の店で、20年前食べなかった柿の葉ずしと葛餅を買って食べた。柿の葉ずしは、軽く握った酢めしに薄く切った塩鯖をのせ、柿の葉でくるんだ押し鮨である。要するにバッテラで、なかなか美味い。
帰りに、橿原神宮、石舞台、高松塚に寄った。
橿原神宮の裏山が畝傍(うねび)山と聞いたときに、一瞬歴史の授業を思い起こした。記憶の奥に眠っていた名前だった。そして、思わず、天香久(あまのかぐ)山と耳成(みみなし)山はどこだろうと見渡したのだった。
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