
胸騒ぐ 散る花びらを 唇(くち)に受けて
咲き誇りける 乙女いずこへ
――かつての花咲く乙女たちを想い――沖宿
この季節、日本列島が桜の花で覆われた。もうすでに散った南の島から、これから咲こうとする北の大地まで多少の時差はあるものの、九州から関東地方は先週にソメイヨシノの満開を迎えた。
多摩市・鶴牧西公園の大きな枝垂桜の古木も葉桜となり、その近辺を源流としている多摩川の支流である乞田川沿いの桜も花吹雪となった。
毎年見に行く千鳥ヶ淵の桜もそろそろ散ってしまうなと思い、4月3日に出向いた。
夕方、JR市ヶ谷の駅を出ると、すぐに外濠公園の桜が目に入った。この市ヶ谷界隈は、僕が長年通った懐かしい街だ。
市ヶ谷駅からすぐのところにある旧私学会館であるアルカディア市ヶ谷を挟んで、右手の大通りが靖国通りで、左手のJR中央・総武線に沿って飯田橋へ続く小高い土手は、外濠公園の遊歩道となっている。
外濠公園の通りは桜の並木になっていて、通りに入ると、花見の人であろうか、立ち止まっている人や、そぞろ歩きの人たちが上目づかいに左右の並木を見上げている。歩道脇の草むらにはシーツを敷いて、すでに宴会を始めている人たちも目に入る。
市ヶ谷から飯田橋に向かって延びている外堀の内側にある、この外濠公園の通りのある側は千代田区で、この公園から見るとJR線路に沿って横たわる外堀の向こう側には、外堀通りが走っていて、そちら側は新宿区である。
外堀通りの黒いソニービルの手前から、小さなまっすぐに延びた上り坂が見える。ここが左内坂である。左内坂の左手に市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮があるのだが、今はビルの陰になっている。
外濠公園の桜は、まさに散らんとする前の刹那の華やかさをまき散らしていた。
外濠公園通りを飯田橋方面に歩いていくと、左に水を湛えた外堀が、左右から延びた桜の梢の先に、高層ビルの法政大学が見える。(写真)
公園通りを歩いて法政大学にぶつかったところは五叉路になっていて、外堀通りの新見付の橋から延びた道を右手に一口坂を歩いていくと、市ヶ谷駅前で分かれた靖国通りにぶつかるのである。
靖国通りを歩いて、靖国神社へ出た。
この境内にある、気象庁が東京の桜の開花宣言をする際の基準木となっている桜を見て、千鳥ヶ淵に向かった。靖国神社の桜も、まさに散ろうとしている。
老木化が伝えられる千鳥ヶ淵の桜だが、皇居の堀に向かってしなだれるように延びる桜と水の状景は、東京の桜では最高の眺めであろう。
この日は風が強いせいか、例年千鳥ヶ淵の堀に浮かぶボートが、人を乗せることなく繋がれて並んでいた。
千鳥ヶ淵の桜も、この日が盛りだった。少しチラチラと花びらが舞った。思いがけなく、1枚の花びらが口に入った。ずいぶん前にも、こんなことがあったことを思い出した。
今年の千鳥ヶ淵の桜を見られるのは、この日が最後かもしれない。かろうじて花が持ったとしても、明日までだろう。例年より早いかもしれない。
5年前の4月10日、母の葬儀の日、葬儀場の桜は一斉に風に吹かれて散り、花びらが舞ったのだった。そのとき、散っても散っても花びらがなくならないように感じだ。
千鳥ヶ淵を出て、皇居の堀に沿って歩き、半蔵門から桜田門へ出た。
そういえば、去年はこの先の坂下門が一般に開かれ、人混みの中で皇居の中の乾通りの桜を見たのを思い出した。
春のこの季節、毎年桜は咲き続ける。人はそれを見て、楽しむ。
人には、年ごとの桜がある。馴染みの桜を見る以外に、旅先で見る初めての桜もあろう。ひっそりと人知れず咲いている桜もあれば、華やかに並んでいる名所の桜もあろう。
まだ蕾のときもあれば、はらはらと散る花吹雪のときもあろう。一人で見るときもあれば、友人や家族と、あるいは恋人と見るときもあろう。
楽しい思いばかりでなく、悲しい思いに包まれる桜もあるだろう。
満開の桜の時に、気紛れに雪が降った日があった。淡いピンクの花びらの上にのった、白い淡い雪。この季節の雪はすぐに溶けるから、儚い短い光景だ。市ヶ谷の外堀の桜と多摩の桜、これまで僕は2度しか体験していない。
毎年日本のどこかで花咲く桜は、その年の人それぞれの節目になるのだろう。それに何か記憶に残る思い出が加われば、それに越した桜はない。
*
「桜に雪」のことを書いたら、翌日、つまり今日だが、4月8日の朝、窓のカーテンを開けると、外はうっすらと煙っている。庭の垣根のカイヅカイブキの緑の葉が濡れているので、小雨が降っているようだ。
いや、よく見ると、小さい白い綿のようなものが舞っている。
雪が降っているのだ。多摩の桜はまだ咲いているので、桜に雪だ。いや、雨交じりなので、正確には霙(みぞれ)だが、確かに粉雪が舞っているのだった。
積もるほどではないが、「雪月花」の二つが揃う花に雪だ。今宵、月が出て、桜木のそこに雪が舞えば、そんなことを夢想してしまった。
昼頃には、霧雨のようになり、白い雪はもう消えていた。幻のような4月の雪だ。
咲き誇りける 乙女いずこへ
――かつての花咲く乙女たちを想い――沖宿
この季節、日本列島が桜の花で覆われた。もうすでに散った南の島から、これから咲こうとする北の大地まで多少の時差はあるものの、九州から関東地方は先週にソメイヨシノの満開を迎えた。
多摩市・鶴牧西公園の大きな枝垂桜の古木も葉桜となり、その近辺を源流としている多摩川の支流である乞田川沿いの桜も花吹雪となった。
毎年見に行く千鳥ヶ淵の桜もそろそろ散ってしまうなと思い、4月3日に出向いた。
夕方、JR市ヶ谷の駅を出ると、すぐに外濠公園の桜が目に入った。この市ヶ谷界隈は、僕が長年通った懐かしい街だ。
市ヶ谷駅からすぐのところにある旧私学会館であるアルカディア市ヶ谷を挟んで、右手の大通りが靖国通りで、左手のJR中央・総武線に沿って飯田橋へ続く小高い土手は、外濠公園の遊歩道となっている。
外濠公園の通りは桜の並木になっていて、通りに入ると、花見の人であろうか、立ち止まっている人や、そぞろ歩きの人たちが上目づかいに左右の並木を見上げている。歩道脇の草むらにはシーツを敷いて、すでに宴会を始めている人たちも目に入る。
市ヶ谷から飯田橋に向かって延びている外堀の内側にある、この外濠公園の通りのある側は千代田区で、この公園から見るとJR線路に沿って横たわる外堀の向こう側には、外堀通りが走っていて、そちら側は新宿区である。
外堀通りの黒いソニービルの手前から、小さなまっすぐに延びた上り坂が見える。ここが左内坂である。左内坂の左手に市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮があるのだが、今はビルの陰になっている。
外濠公園の桜は、まさに散らんとする前の刹那の華やかさをまき散らしていた。
外濠公園通りを飯田橋方面に歩いていくと、左に水を湛えた外堀が、左右から延びた桜の梢の先に、高層ビルの法政大学が見える。(写真)
公園通りを歩いて法政大学にぶつかったところは五叉路になっていて、外堀通りの新見付の橋から延びた道を右手に一口坂を歩いていくと、市ヶ谷駅前で分かれた靖国通りにぶつかるのである。
靖国通りを歩いて、靖国神社へ出た。
この境内にある、気象庁が東京の桜の開花宣言をする際の基準木となっている桜を見て、千鳥ヶ淵に向かった。靖国神社の桜も、まさに散ろうとしている。
老木化が伝えられる千鳥ヶ淵の桜だが、皇居の堀に向かってしなだれるように延びる桜と水の状景は、東京の桜では最高の眺めであろう。
この日は風が強いせいか、例年千鳥ヶ淵の堀に浮かぶボートが、人を乗せることなく繋がれて並んでいた。
千鳥ヶ淵の桜も、この日が盛りだった。少しチラチラと花びらが舞った。思いがけなく、1枚の花びらが口に入った。ずいぶん前にも、こんなことがあったことを思い出した。
今年の千鳥ヶ淵の桜を見られるのは、この日が最後かもしれない。かろうじて花が持ったとしても、明日までだろう。例年より早いかもしれない。
5年前の4月10日、母の葬儀の日、葬儀場の桜は一斉に風に吹かれて散り、花びらが舞ったのだった。そのとき、散っても散っても花びらがなくならないように感じだ。
千鳥ヶ淵を出て、皇居の堀に沿って歩き、半蔵門から桜田門へ出た。
そういえば、去年はこの先の坂下門が一般に開かれ、人混みの中で皇居の中の乾通りの桜を見たのを思い出した。
春のこの季節、毎年桜は咲き続ける。人はそれを見て、楽しむ。
人には、年ごとの桜がある。馴染みの桜を見る以外に、旅先で見る初めての桜もあろう。ひっそりと人知れず咲いている桜もあれば、華やかに並んでいる名所の桜もあろう。
まだ蕾のときもあれば、はらはらと散る花吹雪のときもあろう。一人で見るときもあれば、友人や家族と、あるいは恋人と見るときもあろう。
楽しい思いばかりでなく、悲しい思いに包まれる桜もあるだろう。
満開の桜の時に、気紛れに雪が降った日があった。淡いピンクの花びらの上にのった、白い淡い雪。この季節の雪はすぐに溶けるから、儚い短い光景だ。市ヶ谷の外堀の桜と多摩の桜、これまで僕は2度しか体験していない。
毎年日本のどこかで花咲く桜は、その年の人それぞれの節目になるのだろう。それに何か記憶に残る思い出が加われば、それに越した桜はない。
*
「桜に雪」のことを書いたら、翌日、つまり今日だが、4月8日の朝、窓のカーテンを開けると、外はうっすらと煙っている。庭の垣根のカイヅカイブキの緑の葉が濡れているので、小雨が降っているようだ。
いや、よく見ると、小さい白い綿のようなものが舞っている。
雪が降っているのだ。多摩の桜はまだ咲いているので、桜に雪だ。いや、雨交じりなので、正確には霙(みぞれ)だが、確かに粉雪が舞っているのだった。
積もるほどではないが、「雪月花」の二つが揃う花に雪だ。今宵、月が出て、桜木のそこに雪が舞えば、そんなことを夢想してしまった。
昼頃には、霧雨のようになり、白い雪はもう消えていた。幻のような4月の雪だ。
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