かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

横浜・盛り場ブルース① 裏横浜をあるく

2024-02-29 02:30:06 | * 東京とその周辺の散策
 潮の匂いに誘われて 川のほとりでカモメが群れる
  ここは横浜 黄金 末吉 若葉町……

 これまで、横浜の街を何度か散策した。
 それは、ある程度目的地およびテーマを決めて、湘南の同好の士による緻密な計画・行程のもとに歩きまわり、そしてたどり着く最終地である中華街で、もう一つの目的である東北・満州料理を堪能するという巡行であった。
 それは、このブログにて、「ブルーライト・ヨコハマ」①~④、「日本発症の地を求めて、横浜」①~⑦、に書いてきた。
 ちなみに付加しておくと、そのなかの「ブルーライト・ヨコハマ②——馬車道から汽車道」の記事が、予想外のことだったが「Yahoo! Japan」にいきなり登場(2022.2.1)したこともあった。
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/ad67ab2f1c700a6936fd69f739aa2bad

 これら横浜のたどった散策地といえば、山下公園、みなとみらい、日本大通り、馬車道、元町、山手、根岸、中華街etc.であった。
 つまり、主に横浜港に面した地域で、横浜の観光ガイド地図を見れば、まずこの地域が表れる横浜の顔ともいうべき一帯である。
 地図を見れば、JR根岸線が横浜駅から横浜港を抱くように南東へ向かって、高島町、桜木町、関内、石川町と下っている。その海辺の港側一帯が横浜の表、いわば「関内」である。
 「横浜三塔」と呼ばれるビルである、神奈川県庁本庁舎、横浜税関、横浜市開港記念会館もこの地にある。
 「関内」とは、横浜港が開港した江戸幕末期、大岡川の分流「派大岡川」に吉田橋を架け、武士と外国人との接触を避けるため、そこに関門(関所)を設けた。関内とは、その関門の内(横浜)側ということである。
 関内が横浜の表となると、裏を忘れてはいけない。
 となると、「関外」にも足を踏み入れなければならない。裏横浜、そこから花を咲かせた盛り場の街を目指そう。

 *噂に聞いた街、黄金町から歩く

 横浜の「黄金町」といえば、名前は聞いてはいたが行ったことはなかった。
 横浜の裏町といえば、ここから出発するのが最も相応しいと思った。かつて映画やテレビドラマの舞台として登場したこともある、戦後、麻薬密売の温床地として魔窟と称され、青線地帯、そして、いわゆる「ちょんの間」の街でもあったところである。

 2024(令和6)年1月11日午後、京急黄金町駅を出発点として駅を降りたった。
 黄金町駅は、大岡川に沿ってあり京急線は高架を走っている。
 駅から歩いてすぐのところに、電車線の高架に寄り添うように2階建ての建物が連なっていた。そこが、あの街だとわかった。
 通りの表は区切られた戸口(扉)が並んでいて、戸口には貼り紙らしきものが貼ってあったり、1階と2階の間の軒下には店の印の看板らしきものが書かれていたりして、一見して飲み屋街、もしくは飲み屋街だったとわかる。もしくはと過去形にしたのは、その通りには人影がなく、そこが活動しているようには見えなかったからである。
 高架の線路と建物群の間は、車1台が通れるほどの道である。
 その一角、そこを”街”と言っておこう。その街は、くたびれ切って生気を失っているように見えた。
 そこが、例の黄金町の一角だった。(写真)
 驚きや感動も、失望や落胆もなかった。
 そこは、かつて栄えた過疎が進む炭鉱町などに見られる、失われつつある繁華街、商店街を思わせたからである。
 ゆっくり一軒一軒見ながら、通りを歩いた。もう店をやっていないところが多かったが、まだ営業していると思われるとこともあった。飲食店以外の、おやこんなところにと思わせる美術関連の店舗もある。
 というのは、いわゆる「ちょんの間」(置屋)と称されて行われていた売春関連の店が2005(平成17)年、一斉摘発・閉店に追い込まれ、その後この一帯の店がアート関連業へイメージチェンジした時の名残なのだ。

 黄金町の連なる建物群は途中で途切れるが、さらに高架と大岡川の間の通りを歩いた。黄金町駅前の大岡川に架かる前田橋から続く末吉橋、黄金橋の先に架かる旭橋のところまで歩き、そこから大岡川に沿ってまた黄金町駅の方へ戻った。
 川に沿った通りは広くきれいに舗装されて、整然と桜の木が植えられている。一時は濁った川だったらしいが、水もきれいだ。この川沿いの通りを歩いていると、誰もこのあたりがかつて魔窟と称されていたとは思えないだろう。
 途中、黄金町交番があり、その建物の屋根の上では大きな鷲か鷹が川の方を睨んでいた。もちろん、造り物だが。

 *大岡川に沿って末吉町、若葉町へ

 黄金町駅前の太田橋を渡って、大岡川沿いに北、横浜屈指の繁華街のある方へ歩いた。
 大岡川の黄金町の対岸沿いは「末吉町」といい、この地に黄金劇場というストリップ劇場が2012(平成24)年まであったという。
 昭和の時代に全国の繁華街や温泉街にあったストリップ劇場も、絶滅危惧種なのだろうか、次第に姿を消している。

 大岡川に沿って歩いていると、川べりのガードパイプの上に白い鳥がとまっている。
 鳩かなと思っていると、士が「カモメですよ。足に水かきが付いているでしょ」と言う。川と言っても、ここは横浜。海に近いのだ。よく見ると、白いカモメはあちこちに目につく。 
 すると、中年のおじさんがふらふらとやってきた。カモメが動きだした。おじさんは持っている紙袋の中から何やら摘まんで手を上に掲げた。すると、飛んできた1羽のカモメがその手先のものを摘まんだ。パン屑かポップコーンかわからないが、えさを与えているのだ。
 それを合図のように、ガードパイプにとまっていたカモメや川の中にいたカモメが飛びたって、おじさんの周りに群がってきた。おじさんは、せっせと摘まんで餌をやっている。
 川のほとりで、カモメが群れている。

 末吉橋のところで右(西)折すると、すぐに「若葉町」となる。
 そこは、横浜名画座、横浜日劇という映画館があったところだ。横浜日劇は閉館となったが、横浜名画座はシネマ「ジャック & ベティ」として今も営業している。
 街の古い名画座も消滅をたどっている。

 若葉町を北西へ、つまり関内方向へまっすぐ進む。
 すると、タイ式マッサージの店が目についた。こんなところにポツンと紛れ込んだのかなと思いながら歩いていくと、そこ1件ではなく通りの左右にパラパラと店の看板が目に入るのだ。マッサージ店に交ざってタイ料理店も点在している。これほどタイの店が集まっているところも珍しい。
 この街は、タイ・ストリート、タイ街のようだ。
 この若葉町の先(西)の通りは「伊勢佐木町」である。
 伊勢佐木町の方には向かわず、若葉町から再び大岡川方向の「日ノ出町」に向かうことにした。
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