三隅研次監督 市川雷蔵 万里昌代 三条魔子 小暮美千代 1962年
会社を辞めてフリーになってしばらくたった頃、今から7、8年前になるが、故あって住宅雑誌の仕事をすることになった。出版している会社は、編集、営業あわせて10人にも満たない、その雑誌を定期刊行物として出しているだけの小さな会社であった。会社の場所は、地下鉄丸の内線、本郷3丁目から東大赤門に向かった本郷通りの途中のビルの中にあった。
最初は片手間のつもりであったのだが、しばらくして、その会社に本格的に通うことになった。その頃から、本郷3丁目の駅から通うのをやめて、朝はいつも地下鉄千代田線の湯島から歩くようにした。僕の住む小田急線と千代田線が連結していて便利だったからだ。しかし、駅から歩く時間は本郷3丁目からよりも、倍以上の15分ぐらいかかった。
湯島から歩くようにしたもっと大きな理由は、何よりもそこに湯島天神があったからだ。僕は、わざわざメイン通りから外れた湯島天神の境内の中を通って、会社に向かった。
夜、仕事が終わった帰りは、湯島に出たり、東大の横を通って弥生坂を下り、根津に出たりした。
仕事は、どんな好きなジャンルの仕事であれ、ストレスがかかるものである。本腰を入れれば入れるほどかかるものだ。そんな時、僕は脇道にそれるようにしている。一本道だけを歩いていると、しんどくなる。時々、本道から外れた道を歩くといい。
湯島の駅から湯島天神に向かって路地に入ると、少し時代を巻き戻したような薄暗い街並みになる。木造の店や民家に交じってラブホテルもあって、少し侘びしさを漂わせている。
その路地の通りからすぐのところに湯島天神の境内に続く石段があり、それは男坂、女坂と別れていて、途中に小さな祠があったりする。僕は、日によって男坂、女坂と違う道を通った。
朝、この境内を素通りするだけだが、それだけで心が少し清々しくなって、それから仕事場に行くのだった。
湯島天神は普通の日は、人はそう多くはないのだが、早春の梅の季節と秋の菊の季節には、屋台が出て花を見に来る客で賑わった。それに、受験シーズンには、数々の絵馬が掲げられ、受験生のお祈りする姿がいじらしかった。何しろ、学問の神様を祭る天神様なのである。
この神社に入ると、「湯島通れば、思い出す……」という歌の文句を思い出した。何度かリバイバルした「湯島の白梅」の歌である。しかし、そのあとの「おつた(お蔦)、ちから(主税)の、心意気」という文句がよく飲み込めなかった。
「湯島の白梅」は、泉鏡花の『婦系図』を歌ったもので、悲恋物語であることは知っていた。何しろ、一昔前までは、尾崎紅葉の『金色夜叉』とともに、日本の大衆小説のロングセラーであるばかりでなく、舞台や映画でも何度も繰り返し作られた、誰もが知っている大人気作品だ。
『金色夜叉』は、「今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らしてみせる」という貫一の台詞が、『婦系図』は、「切れる、別れるは、芸者のときにいうもの……、わたしには、死ねと言ってください」といった台詞が有名だ。
両方とも大まかな筋書きだけは知っていたが、原作は読んでおらず、それに何度か作られた映画も一本も見ていない。
だから、悲恋物語なのに、なぜ歌にある「湯島の白梅」が、「二人の心意気」なのだろうかと疑問に思っていた。
この映画を見て、やっとその疑問が解けた。
帝国大学(東京大学)出の学者の卵である早瀬主税(市川雷蔵)と、芸者のお蔦(万里昌代)は、師匠や世間に愛を引き裂かれる。お蔦と別れ、東京を離れ静岡に行った主税は、病気で床に伏しているお蔦のところへ、周りの勧めにもかかわらず、会いに行こうとはしない。その時、主税はこのような台詞を言う。
「これは、私の意地です。お蔦も、私が会いに来ないことを分かっていると思う。二人の意地なのです」
お蔦は主税と会うことなく息を引き取る。二人は、会わないことで、世間に対して意地を貫き通したのである。
主税の市川雷蔵は、何をやってもその役になりきる特技というか特徴がある。それに、甘さのほかにクールさも併せ持っている。
長谷川一夫による作品もあるが、彼では甘すぎるだろう。鶴田浩二は、哀愁がありすぎるんじゃなかろうか。何しろ、この主税は、歴代二枚目の役である。
蔦の万里昌子は素晴らしい。色気もあって、目を見張ってしまった。この人は、勝新太郎の『座頭市』シリーズや多くの作品に出ているが、もっと評価されてもいい女優である。僕もすっかり見落としていた。日本の美人女優の列伝に加えてもよいのに、映画史上から欠落してしまっている。作品に恵まれなかったのだろうか。ともあれ、この『婦系図』は、代表作に違いない。
主税の師匠の娘である、お嬢さん役を演じているのが三条魔子である。
この人は不思議な人である。橋幸夫の全盛期のヒット曲「江梨子」の映画化にあたり、橋の相手役として三条江梨子と名前を変えた。当時、吉永小百合、松原智恵子などによって、日活で花咲こうとしていた青春映画に対抗して大映が画策したのだろうが、青春女優として花咲くことはなかった。その後は再び三条魔子に戻り、江波杏子などとともに、『女賭博師』シリーズなどに出ていたが、目立った存在ではなかった。
また、不思議なことに、日活で吉永小百合の相手役であった浜田光夫と、これも当時青春歌謡として流行ったデュエット曲である、「草笛を吹こうよ」を出して、そこそこヒットさせている。
映画の相手役が橋幸夫で、歌の相手役が浜田光夫である。会社の都合とはいえ、本来なら逆であろう。
今では、湯島を通ると、湯島天神を通って本郷の小さな出版社に通った一時期を思い出す。
今では、湯島を通っても、お蔦と主税の心意気を思う人は滅多にいないに違いない。湯島天神でも、いずれこの恋物語は忘れ去られるのだろうか。
会社を辞めてフリーになってしばらくたった頃、今から7、8年前になるが、故あって住宅雑誌の仕事をすることになった。出版している会社は、編集、営業あわせて10人にも満たない、その雑誌を定期刊行物として出しているだけの小さな会社であった。会社の場所は、地下鉄丸の内線、本郷3丁目から東大赤門に向かった本郷通りの途中のビルの中にあった。
最初は片手間のつもりであったのだが、しばらくして、その会社に本格的に通うことになった。その頃から、本郷3丁目の駅から通うのをやめて、朝はいつも地下鉄千代田線の湯島から歩くようにした。僕の住む小田急線と千代田線が連結していて便利だったからだ。しかし、駅から歩く時間は本郷3丁目からよりも、倍以上の15分ぐらいかかった。
湯島から歩くようにしたもっと大きな理由は、何よりもそこに湯島天神があったからだ。僕は、わざわざメイン通りから外れた湯島天神の境内の中を通って、会社に向かった。
夜、仕事が終わった帰りは、湯島に出たり、東大の横を通って弥生坂を下り、根津に出たりした。
仕事は、どんな好きなジャンルの仕事であれ、ストレスがかかるものである。本腰を入れれば入れるほどかかるものだ。そんな時、僕は脇道にそれるようにしている。一本道だけを歩いていると、しんどくなる。時々、本道から外れた道を歩くといい。
湯島の駅から湯島天神に向かって路地に入ると、少し時代を巻き戻したような薄暗い街並みになる。木造の店や民家に交じってラブホテルもあって、少し侘びしさを漂わせている。
その路地の通りからすぐのところに湯島天神の境内に続く石段があり、それは男坂、女坂と別れていて、途中に小さな祠があったりする。僕は、日によって男坂、女坂と違う道を通った。
朝、この境内を素通りするだけだが、それだけで心が少し清々しくなって、それから仕事場に行くのだった。
湯島天神は普通の日は、人はそう多くはないのだが、早春の梅の季節と秋の菊の季節には、屋台が出て花を見に来る客で賑わった。それに、受験シーズンには、数々の絵馬が掲げられ、受験生のお祈りする姿がいじらしかった。何しろ、学問の神様を祭る天神様なのである。
この神社に入ると、「湯島通れば、思い出す……」という歌の文句を思い出した。何度かリバイバルした「湯島の白梅」の歌である。しかし、そのあとの「おつた(お蔦)、ちから(主税)の、心意気」という文句がよく飲み込めなかった。
「湯島の白梅」は、泉鏡花の『婦系図』を歌ったもので、悲恋物語であることは知っていた。何しろ、一昔前までは、尾崎紅葉の『金色夜叉』とともに、日本の大衆小説のロングセラーであるばかりでなく、舞台や映画でも何度も繰り返し作られた、誰もが知っている大人気作品だ。
『金色夜叉』は、「今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らしてみせる」という貫一の台詞が、『婦系図』は、「切れる、別れるは、芸者のときにいうもの……、わたしには、死ねと言ってください」といった台詞が有名だ。
両方とも大まかな筋書きだけは知っていたが、原作は読んでおらず、それに何度か作られた映画も一本も見ていない。
だから、悲恋物語なのに、なぜ歌にある「湯島の白梅」が、「二人の心意気」なのだろうかと疑問に思っていた。
この映画を見て、やっとその疑問が解けた。
帝国大学(東京大学)出の学者の卵である早瀬主税(市川雷蔵)と、芸者のお蔦(万里昌代)は、師匠や世間に愛を引き裂かれる。お蔦と別れ、東京を離れ静岡に行った主税は、病気で床に伏しているお蔦のところへ、周りの勧めにもかかわらず、会いに行こうとはしない。その時、主税はこのような台詞を言う。
「これは、私の意地です。お蔦も、私が会いに来ないことを分かっていると思う。二人の意地なのです」
お蔦は主税と会うことなく息を引き取る。二人は、会わないことで、世間に対して意地を貫き通したのである。
主税の市川雷蔵は、何をやってもその役になりきる特技というか特徴がある。それに、甘さのほかにクールさも併せ持っている。
長谷川一夫による作品もあるが、彼では甘すぎるだろう。鶴田浩二は、哀愁がありすぎるんじゃなかろうか。何しろ、この主税は、歴代二枚目の役である。
蔦の万里昌子は素晴らしい。色気もあって、目を見張ってしまった。この人は、勝新太郎の『座頭市』シリーズや多くの作品に出ているが、もっと評価されてもいい女優である。僕もすっかり見落としていた。日本の美人女優の列伝に加えてもよいのに、映画史上から欠落してしまっている。作品に恵まれなかったのだろうか。ともあれ、この『婦系図』は、代表作に違いない。
主税の師匠の娘である、お嬢さん役を演じているのが三条魔子である。
この人は不思議な人である。橋幸夫の全盛期のヒット曲「江梨子」の映画化にあたり、橋の相手役として三条江梨子と名前を変えた。当時、吉永小百合、松原智恵子などによって、日活で花咲こうとしていた青春映画に対抗して大映が画策したのだろうが、青春女優として花咲くことはなかった。その後は再び三条魔子に戻り、江波杏子などとともに、『女賭博師』シリーズなどに出ていたが、目立った存在ではなかった。
また、不思議なことに、日活で吉永小百合の相手役であった浜田光夫と、これも当時青春歌謡として流行ったデュエット曲である、「草笛を吹こうよ」を出して、そこそこヒットさせている。
映画の相手役が橋幸夫で、歌の相手役が浜田光夫である。会社の都合とはいえ、本来なら逆であろう。
今では、湯島を通ると、湯島天神を通って本郷の小さな出版社に通った一時期を思い出す。
今では、湯島を通っても、お蔦と主税の心意気を思う人は滅多にいないに違いない。湯島天神でも、いずれこの恋物語は忘れ去られるのだろうか。