かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 赤線地帯

2006-09-01 16:15:16 | 映画:日本映画
 溝口健二監督 京マチ子 若尾文子 小暮美千代 進藤英太郎 1958年作

 「白線流し」の白線は知っていても、「赤線」を知らない人は増えていることだろう。この言葉はだんだん日本語遺産になっていくに違いない。もちろん、「白線」にしたって、消えていくのは時間の問題だろう。
 日本に売春防止法が施行されたのが、1958(昭和33)年である。それまで、売春を国は認めていた。といっても、今の性風俗の氾濫を見ると、前と内実は変わらない。いや、近年の高校生の「援助交際」などの現象を見ると、線(ボーダー)がなくなり、性は野放しになったといっていい。

 売春防止法の施行以前の公の売春施設を「赤線」と言った。風俗営業法の許可を取っていない私設の売春組織を「青線」と言って区別したが、中身は大きくは変わらなかったという。また、戦後の一時期、米軍白人兵相手、および、もぐり売春を「白線」と言ったこともあった。
 
 赤線とは、この種の性風俗の地域を、地図上、赤線で囲んだことから由来するという。
 東京では吉原や新宿の歌舞伎町が有名であったが、ゴールデン街もその一部であったそうだ。新宿が年々変わっていく中で、ここだけは何だか戦後を意識させる。
 僕は、学生時代から、飲みにいくとなると新宿が多かった。僕は赤線を知らないが、ゴールデン街に来ると、時間を巻き戻したように感じる。昔のバラックの飲み屋街の名残が、色濃く見いだされるのだ。
 初めてここへ来る若い女の子は、新宿の大通りから路地に入って一変する、通りの異様な雰囲気に、「なにこれ、ここどこ?」と、立ちすくむ子もいるぐらいだ。
 時代が変わり、若い女性の店主も出てきて、かつてのゴールデン街らしからぬキャラクターの店も出現してきたが、この界隈に漂う胡散臭さやいかがわしさは健在だ。
 
 赤線は、多く映画の舞台にもなった。また、僕の敬愛する吉行淳之介の小説の舞台にもなった。
 しかし、この赤線を舞台とした表現は、消えていく運命だろう。性は、思いもがけないルートをたどって、多岐多様に浸透氾濫しているからだ。

 この映画は、売春禁止法が施行される前夜の頃の、赤線を舞台にした映画である。監督は、『雨月物語』、『山椒太夫』、『近松物語』などの名作を残した溝口健二である。
 客を取る売春婦に、京マチ子、若尾文子、小暮美千代、三益愛子など、多士済々の顔が並んでいる。彼女たちを通して、赤線で働く女性の様々な因縁、人間像が描かれる。
 僕は、赤線を吉原の遊郭のように、囲われた暗いイメージで捉えていた。いったん、そこへ入ったら二度とは出てこられなくて、女は囚われの身だと。
 植草圭之介の『冬の花 悠子』(中央公論社)には、実際の体験と思われる悲哀が描かれている。読んだあと、しばらく胸の痛みが消えなかった記憶がある。戦前の遊郭を知るには、この本は格好かもしれない。
 僕は、そのあとずっと、本棚に『春の花』『夏の花』『秋の花』(山と渓谷社)の横に、この『冬の花 悠子』を並べていた。
 
 映画で楽しいのは、ストーリーもさながら、その当時の街や風俗を知ることができることである。この時代の1950年代中頃は、日本が経済成長に入った頃である。
 赤線を吉原の遊郭のようなイメージを持っていたが、この映画では少し違っていた。
 この映画の赤線「夢の里」は、賑やかなネオンが輝き、モダンなビルのようで、1階に大きなフロアがあって、2階に女性たちの部屋があるのであった。店の前で、客を誘う様は、今のキャッチガールと変わらない。
 そして、見張りもいなくて、いつ逃げ出してもいい自由さがある。
 売春禁止法は、法案の国会での通過が、何度か成立せずに流れてしまう。このニュースが流れるたびに、店の主の進藤英太郎は、女性たちを並べて、噛み砕くように言う。
 「いいか、おまえたち。この売春禁止法が施行されたらどうなると思う。おまえたちは、これから、子どもに仕送りしなくちゃいけないだろう。ご飯もきちんと食べなきゃいかん。借金があるものは返してかなきゃいかん。俺は、政府ができないことを代わりにやっているんだ。よーく、冷静に考えるんだよ」
 下働きにきていた少女が、その日、建物の影から、初めて客に声をかける。怯えたような顔をして。

 この映画の封切りの直後に、売春防止法は成立した。その年、溝口健二は亡くなった。
コメント (1)
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