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かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

東京の初詣② 明治神宮

2016-01-09 02:00:38 | * 東京とその周辺の散策
 例えば、自分のふるさとの神社・お寺を除いて、一つだけ初詣に行くとすればどこに行くかと問われれば、である。
 佐賀だったら、鹿島市の祐徳稲荷神社だろう。福岡だったら太宰府天満宮で、長崎だったらおくんち祭りの諏訪神社だろうか。
 で、東京はというと、浅草・浅草寺も捨てがたいが、明治神宮ということになるのではなかろうか。
 だから王道を行って、1月2日の午後、明治神宮に向かった。

 小田急・多摩急行で地下鉄千代田線の明治神宮前で降りると、JR原宿駅前に出る。時計を見ると、午後3時過ぎである。
 出口を出ると、予想はしていたが多くの人だかりで、警察が車両の上からマイクを持って神宮への誘導をしている。やはり2日だといえども、大群の行列はあるようだ。

 明治神宮は、名前の通り明治天皇と昭憲皇太后を祀った神宮で、造られてから約100年近くになる。
 70万ヘクタール余の広大な敷地は、3つの参道とそれに繋がる細かい道、それに神殿や社務所等の建物の外は、森のように木々が覆っている。その間に、いくつかの池もある。
 この森の木々は神宮建設当時に計画的に植えられたものだが、その後は手を加えることなく自然にまかせているという。係りの人が参道を掃除して集めた落葉を、また森の中に戻している記録映像を見たことがある。自然の原生林のように、人の手がなるだけ入らないようにしているのだ。

 明治神宮は、北参道、西参道もあるが、やはり原宿の表参道から続く南参道の正面の鳥居から入る。
 明治神宮内に入るのは、両親が上京した時以来と思うから、25年ぶりぐらいになる。
 人垣が参道いっぱいに広がって、案内人による合図で少しずつ進んでは立ち止まる。前の人垣の塊との間を調節して進むことになっているのだ。周りを見渡すと、外国人もちらほらと見受けられる。男の外国人は、ほとんどが日本人の女性が付き添っているカップルなのもおかしい。
 なかなか前に進まないのに、みんな穏やかな顔をしている。外国人も日本人に倣ってしおらしく、そろりそろりと歩いている。
 彼ら外国人はここにいるのをどう思っているのだろうかと想像した。これが日本の文化だと思って、この人混みを味わっているのだろうか。それとも、観光としてやっては来たものの、どうしてこうも日本人は忍耐強いのだろうかと、内心では不思議に思っているのだろうか。案外、連れの恋人あるいは愛人の日本女性に誘われたので、やれやれと思いながら付き合っているにすぎないのかもしれない。
 人混みの中で、去年の桜の季節に解放された皇居の乾通りへの行列、はたまた2年前の夏、隅田川の花火を見るために浅草・吾妻橋前で並んだ行列を思い起こした。行列ではないけれど、原発、安保法案反対の国会議事堂前の集会も大変な人並みだった。デモという重い雰囲気はなく、時代も変わったなあと感じた。

 まあこの日は、正月3が日の2日目。例年全国トップの300万人以上の参拝客数を誇る明治神宮の初詣だから、行列するのも納得しようというものだ。
 食事をするのに食堂やレストランに並んだり、何かを買うために店に並んだりするのは嫌いだが、祭りの人混みやこんなときの混雑は嫌ではないし、少しも精神的苦痛は感じない。むしろ、心は高揚する。

 途中、行列が直角に曲がるところでは、前方に大型スクリーンが掲げられて、行列の状況をライブで映し出していた。神宮はこんなことまでやるようになったのだと思って、スクリーンを見つめた。あちこちでスクリーンに向かって手を振る人がいて、その自分の姿をスクリーンの中で探している。
 やっと参拝所である御社殿に着いた時は、神宮に入ってから1時間以上が過ぎていた。やはり、人が多い。(写真)

 参拝を終わったあとは、西側の西参道を通って小田急線の参宮橋駅に出るコースもあるが、東側に出て再び原宿駅方向へ戻ることにした。
 途中、休憩所として焼鳥や焼きそばや飲み物などの出店が並ぶ広場のコーナーも設えてある。やはり、初詣は祭りのようだ。
 JR原宿駅の手前の道で、普段は見たことがない改札口が出現していたので驚いた。新宿・池袋方面行きの山手線外回りのホームに直結させて、この時期だけ造った臨時の改札口だが、切符売り場も造ってあり極めて珍しい光景だった。
 立ち止まって状況を見ていると、アナウンスの音が聴こえてきて、新宿方面の改札口は間もなく閉めます、と言っている。時計を見ると、夕方5時である。そろそろ神宮の参拝客も少なくなる時刻なのだろう。人を整理している係りらしい人に訊いたら、この改札口は4日までしか開いていないという。期間も時間も限定の改札口なのだ。

 表参道の道に出て考えた。
 近くに東郷神社がある。明治の軍人、日露戦争で有名な東郷平八郎を祀った神社である。
 日は暮れてきたが時間はある。これから、東郷神社に行ってみることにしよう。

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東京の初詣① 多摩市・白山神社

2016-01-06 20:40:42 | * 東京とその周辺の散策
 1月1日、従来なら佐賀の実家で迎える元旦には、初詣も佐賀の家の近くの寺と神社に行っていたのだが、今年は初めてとなる東京での初詣となった。
 やはり最初は地元の神社だろうと、1日は多摩市の白山神社に行くことにした。翌2日にでも、明治神宮に行こうと決めた。
 白山神社は多摩センター駅からも近く、パルテノン多摩の東、サンリオ・ピューロランドの奥にある清楚な神社で、僕も時々通りすがりに境内をのぞくことがある身近な神社である。

 元旦のお節料理を食べてゆっくりとくつろいでいるうちに、夕方になっていた。
 近所の人が、朝10時ごろ白山神社に行ったら階段の下まで並んでいましたよと言っていたのを聞いて、へぇー、多摩でもそんな人出があるのかと思った。そうだとしたら、もう人出も一段落したころで、ちょうどいいだろうと思って家を出た。
 階段を登る正面からではなく、パルテノン多摩から続く横道から白山神社に向かい、少し遅くなったかなと思いながら神社に着いた時は夕方の4時だった。

 本殿の横道から境内に入ると、意外や人がいっぱいいるではないか。入ったらすぐの本殿の横に設けられたテントで、白い装束の神社の人がお神酒をどうぞと言っている。
 まずは参拝をと思い、人混みの中に交じって本殿にお参りしようと思ってあたりを見渡すと、この人混みは乱雑ではあるが並んでいるようだった。よく見ると、確かに人混みは参拝の行列で、その先を見ると境内から下った階段の下の方の道まで続いている。階段の端には、整理・案内係の人までいる。
 明治神宮や浅草・浅草寺での初詣の混雑の人出は毎年のニュースで知っているが、この多摩市で出くわすとは思いもしなかった。普段はめったに人は見かけない静かな神社で、なおかつ日も落ちなんとしている夕刻である。
 考えてみれば、多摩地方でも、府中市の大國魂神社や日野市の高幡不動尊、調布市の深大寺など、有名な初詣に適う神社、寺がいっぱいあるのである。少し足をのばせば、最近人気の八王子市の高尾山薬王院もある。
 何で多摩市の有名でもない神社にこの人出と、つい思わずにはいられなかった。

 佐賀の田舎の八幡神社の元旦を思い浮かべた。
 その日はやはり、長い階段を上がった先の境内にはテントが設けられ、おみくじが売られ甘酒も出されるが、混雑などなくのどかなものである。それでも心なしか、年の初めの凛とした空気が漂っている。
 普段は街中でめったに見かけない子どもたちが、はしゃぐのを抑えているかのように、おみくじを見つめては何ぞやつぶやいている。正月に帰省したと思われる、にこやかな家族がいる。
 行き交う人たちが、恥じらいを隠してそっとあいさつを交わす。

 多摩の白山神社に来て、佐賀の田舎と違って、都心から離れているとはいえ、ここも東京なのだとつくづく思い知った。
 どの程度待つのか分からなかったので、いつでも来ることはできると、甘酒をいただいて神社をあとにした。
 古式な建物の神社の向こうにはベネッセの高層ビルがそびえていて、古さと新しさのコントラストを創っている。ここは、古くて新しいニュータウンなのだ。桜の季節に行った際に見る、靖国神社の本殿前の鳥居の向こうに聳える法政大のボアソナード・タワーの高層ビルとの風景を想起させた。

 明日2日、最も東京の初詣らしい明治神宮に行くことにしよう。

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市ヶ谷界隈の桜から、千鳥ヶ淵へ

2015-04-08 01:43:31 | * 東京とその周辺の散策
 胸騒ぐ 散る花びらを 唇(くち)に受けて
     咲き誇りける 乙女いずこへ
   ――かつての花咲く乙女たちを想い――沖宿

 この季節、日本列島が桜の花で覆われた。もうすでに散った南の島から、これから咲こうとする北の大地まで多少の時差はあるものの、九州から関東地方は先週にソメイヨシノの満開を迎えた。
 多摩市・鶴牧西公園の大きな枝垂桜の古木も葉桜となり、その近辺を源流としている多摩川の支流である乞田川沿いの桜も花吹雪となった。

 毎年見に行く千鳥ヶ淵の桜もそろそろ散ってしまうなと思い、4月3日に出向いた。
 夕方、JR市ヶ谷の駅を出ると、すぐに外濠公園の桜が目に入った。この市ヶ谷界隈は、僕が長年通った懐かしい街だ。
 市ヶ谷駅からすぐのところにある旧私学会館であるアルカディア市ヶ谷を挟んで、右手の大通りが靖国通りで、左手のJR中央・総武線に沿って飯田橋へ続く小高い土手は、外濠公園の遊歩道となっている。
 外濠公園の通りは桜の並木になっていて、通りに入ると、花見の人であろうか、立ち止まっている人や、そぞろ歩きの人たちが上目づかいに左右の並木を見上げている。歩道脇の草むらにはシーツを敷いて、すでに宴会を始めている人たちも目に入る。
 市ヶ谷から飯田橋に向かって延びている外堀の内側にある、この外濠公園の通りのある側は千代田区で、この公園から見るとJR線路に沿って横たわる外堀の向こう側には、外堀通りが走っていて、そちら側は新宿区である。
 外堀通りの黒いソニービルの手前から、小さなまっすぐに延びた上り坂が見える。ここが左内坂である。左内坂の左手に市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮があるのだが、今はビルの陰になっている。

 外濠公園の桜は、まさに散らんとする前の刹那の華やかさをまき散らしていた。
 外濠公園通りを飯田橋方面に歩いていくと、左に水を湛えた外堀が、左右から延びた桜の梢の先に、高層ビルの法政大学が見える。(写真)
 公園通りを歩いて法政大学にぶつかったところは五叉路になっていて、外堀通りの新見付の橋から延びた道を右手に一口坂を歩いていくと、市ヶ谷駅前で分かれた靖国通りにぶつかるのである。

 靖国通りを歩いて、靖国神社へ出た。
 この境内にある、気象庁が東京の桜の開花宣言をする際の基準木となっている桜を見て、千鳥ヶ淵に向かった。靖国神社の桜も、まさに散ろうとしている。
 老木化が伝えられる千鳥ヶ淵の桜だが、皇居の堀に向かってしなだれるように延びる桜と水の状景は、東京の桜では最高の眺めであろう。
 この日は風が強いせいか、例年千鳥ヶ淵の堀に浮かぶボートが、人を乗せることなく繋がれて並んでいた。
 千鳥ヶ淵の桜も、この日が盛りだった。少しチラチラと花びらが舞った。思いがけなく、1枚の花びらが口に入った。ずいぶん前にも、こんなことがあったことを思い出した。
 今年の千鳥ヶ淵の桜を見られるのは、この日が最後かもしれない。かろうじて花が持ったとしても、明日までだろう。例年より早いかもしれない。
 5年前の4月10日、母の葬儀の日、葬儀場の桜は一斉に風に吹かれて散り、花びらが舞ったのだった。そのとき、散っても散っても花びらがなくならないように感じだ。

 千鳥ヶ淵を出て、皇居の堀に沿って歩き、半蔵門から桜田門へ出た。
 そういえば、去年はこの先の坂下門が一般に開かれ、人混みの中で皇居の中の乾通りの桜を見たのを思い出した。

 春のこの季節、毎年桜は咲き続ける。人はそれを見て、楽しむ。
 人には、年ごとの桜がある。馴染みの桜を見る以外に、旅先で見る初めての桜もあろう。ひっそりと人知れず咲いている桜もあれば、華やかに並んでいる名所の桜もあろう。
 まだ蕾のときもあれば、はらはらと散る花吹雪のときもあろう。一人で見るときもあれば、友人や家族と、あるいは恋人と見るときもあろう。
 楽しい思いばかりでなく、悲しい思いに包まれる桜もあるだろう。
 満開の桜の時に、気紛れに雪が降った日があった。淡いピンクの花びらの上にのった、白い淡い雪。この季節の雪はすぐに溶けるから、儚い短い光景だ。市ヶ谷の外堀の桜と多摩の桜、これまで僕は2度しか体験していない。

 毎年日本のどこかで花咲く桜は、その年の人それぞれの節目になるのだろう。それに何か記憶に残る思い出が加われば、それに越した桜はない。

 *

 「桜に雪」のことを書いたら、翌日、つまり今日だが、4月8日の朝、窓のカーテンを開けると、外はうっすらと煙っている。庭の垣根のカイヅカイブキの緑の葉が濡れているので、小雨が降っているようだ。
 いや、よく見ると、小さい白い綿のようなものが舞っている。
 雪が降っているのだ。多摩の桜はまだ咲いているので、桜に雪だ。いや、雨交じりなので、正確には霙(みぞれ)だが、確かに粉雪が舞っているのだった。
 積もるほどではないが、「雪月花」の二つが揃う花に雪だ。今宵、月が出て、桜木のそこに雪が舞えば、そんなことを夢想してしまった。
 昼頃には、霧雨のようになり、白い雪はもう消えていた。幻のような4月の雪だ。



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桜散るなん、皇居内に初めて入って見る「乾通り」の花見

2014-04-09 02:32:10 | * 東京とその周辺の散策
 桜の季節、東京での桜といえば千鳥ヶ淵に勝るものはないと、いつもここに花見に行っていた。桜が咲き誇る千鳥ヶ淵の堀を挟んだ皇居の土手にも競うかのように桜が咲き誇り、桜花と堀の水と空の青の織りなすその様は、まさに桜の絶景といえる。
 今年も、4月1日、古い友人たちと靖国神社から千鳥ヶ淵への花見散策を行い、皇居沿いに歩いて日比谷に出た。その日、桜は満開であった。

 今年、天皇陛下の傘寿を記念して、初めて皇居内の乾通りの桜を4月4日から8日まで一般に公開するというので、この機会を逃してはならないと思い、行くことにした。
 二重橋の隣の坂下門から入り、約650メートルの乾通りの約80本の桜が植えてある道を歩き、乾門に出るという皇居内を南北に縦断するものである。開門時間は午前10時から午後4時までで、3時が入門締め切りである。
 初日の4月4日(金)は、開門時間前から入口の坂下門には行列ができ、予想以上の訪問者で入門の締切り約1時間前に、門を閉めたと報道された。翌日の新聞報道では約5万4千人が訪れたとあり、テレビ・ニュースでの紹介や新聞報道もあって、翌日以降の週末の土、日曜日はさらなる大勢の人の来訪が予想された。

 *

 4月7日(月)は、平日であるから少しは混雑は緩和しているだろうと思い、この日出かけた。
 地下鉄の二重橋駅に着いたのが午後1時50分、出口を出て皇居の方を見るとすでに人垣が見え、あちこちに警察官が立っていた。二重橋の前にも人が並んでいる。見渡すと、地下鉄の出口からずっと坂下門まで続いているのだった。
 坂下門の前では、二重橋方面からと反対側の大手町側からの行列の一本化が行われ、先の門の前は細くなっているので入場調整が行われていているようで、少し待たされた。
 このような体験を最近したなあと思ったら、去年の夏、隅田川花火大会の時に浅草の吾妻橋で並んだことを思い出した。あの時は、途中から大雨が降って大変だった。
 また、一昨年夏の国会議事堂前の脱原発のデモ集会でも、熱い人の波の混雑状況だった。
 知らぬ間に、いくつもの季節が通り過ぎている。時が過ぎるのは速いものだ。

 坂下門の前で、簡単だが手荷物の検査を行っていた。まるで、飛行機に搭乗する時のようだ。
 坂下門内に入ったときは、2時半だった。人は多いが、予想していたよりも待ったわけではない。来ている人を見ると、平日ということもあってやはり中高年が多いが、若いカップルや外国人もかなり見受けられる。
 坂下門を入ると、すぐに頑強そうな建物の宮内庁庁舎があり、そのまま乾通りに連なっていた。道りは、すでに人でいっぱいだ。
 人混みは、亀のようにゆっくり進んでいく。みんな写真を撮りながら進むので、止まったり歩いたりである。婦警を含めた係官が、止まらないで進んでください。後ろからまだたくさん人が来ていますから、と叫ぶ。無理な話だ。
 通りの両サイドには松や様々な種類の木に紛れて桜が花を咲かせていて、まだ散るのは控えてくれていた。
 通りの右手には木々の奥の蓮池濠の先に東御苑の石垣が続いていて、ここがかつて江戸城内だったのだと改めて教えてくれる。
 
 乾通りをほどほど進むと、左手に道灌濠(どうかんぼり)があり、その周辺はいまだ手つかずの自然の風景のようだ。見事な桜も今が盛りのように咲いている。ここが、最も見どころの場所なのだ。(写真)
 ここでは、警備の中年の警官が「私が司令長官です。ここで写真を撮ってください。記念の写真は1枚で、10秒間です。10秒たったら後ろの人と交代しましょう。あとは心の写真を撮りましょう」などと、隅田川花火大会の時のDJポリスのように、マイクで話している。

 道灌濠の道灌は、言わずと知れたこの江戸城を築いた太田道灌に因んだ名である。
 ある日、道灌が出先で雨にあった。蓑を借りようと農家に立ち寄ったところ、そこの娘から山吹の花を渡されたという話の、「七重八重 花は咲けども 山吹の実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき」の歌のごとく、ここ道灌濠にも何と黄色い山吹が咲いているではないか。

 道灌濠を過ぎると、右手に東御苑に続く西桔橋が見える。橋を渡り、そのまま東御苑に出ることもできるが、普段は通ることができない乾門から出ることにした。
 乾門を出て、東御苑に入った。ここに入るのも初めてだ。
 すぐに、オーストラリアのエアーズロックのように、でんと構えた天守台の石垣に出くわしたので、そこに登った。こんなところに、江戸城の天守閣はあったのか。ここから、大手町や日比谷が見える。
 その東御苑から大手門に出て、皇居をあとにした。
 東京駅はすぐだ。
 今年の東京の桜は、そろそろ終わりだ。
 もう散っているかと思った皇居の桜も、開門期間中の4月8日までは散らずに待っていてくれそうだ。

 翌8日のニュースによれば、この日の7日の皇居乾通りの参訪者は約9万人で、開門期間の5日間の合計は38万5千人とのことであった。
 皇居乾通りは、今秋の紅葉の季節にも一般公開する予定だという。

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桜の花咲く前に、高尾の梅郷

2014-03-26 02:43:59 | * 東京とその周辺の散策
 春分の日も過ぎ、近くの公園では梅が満開だ。(写真)
 この季節、梅、桃、桜と、春の樹の花が続く。
 多摩の桜はまだ蕾が付いたところだが、3月25日の午後、東京都心も開花宣言をしたようだ。桜が咲きほころぶのも近い。
 桜の花弁は、小学校の頃の学生帽の校章や学生服のボタンに刻まれていたように、花弁の先に割れ目が入っている。それに、何といっても桜は見慣れているし、花柄が長いのでわかりやすいのだが、梅と桃の区別は注意深く見ないとむつかしい。梅の花弁は丸く、桃は梅に比べて花弁がやや細長く先が尖っているのだ。
 今日、日本で花あるいは花見といえば桜だが、そもそも、古代奈良時代ぐらいまでは宮廷で花といえば、中国に倣って梅であった。「万葉集」でも圧倒的に梅を歌ったものが多い(しかし数でいえば「萩」が最も多い)。
 当時の桜は山桜で、今のソメイヨシノほど派手ではなかったのだ。

  風運ぶ 花の香りを 頬に受けて
      君がくちびる 思いおこすや
                    沖宿

 *

 先週春一番が吹いた3月18日、高尾に梅を見に行った。
 正確に言うと、高尾に行ったので、梅を見てきたのだ。
 実は、その前週末に、知人が出演した芝居「冬の夜ばなし」(座シェイクスピア公演)を青山に観に行った。見終ったあと曙橋で食事をした帰りに、四ツ谷駅から中央線の快速電車に乗り、新宿で降りた際、その電車の吊り棚に本を置き忘れてしまったのだ。本はもう在庫がなくなった自分の本「かりそめの旅」の新本で、個人的には貴重なのだ。
 すぐに翌日、JRに電話で問い合わせたが、届いていないという。また、後日かけなおしてください、遅れて届く場合もありますからと言われたが、残念だが、僕の失態だから仕方がないと半分諦めた。再度その翌日電話してみた。すると、何と届いていた。忘れた当日ではなく、約1日後の翌日届けられたようだ。
 それで、直接受け取る場合は、保管してあるJR高尾駅に来てくれとのことなので、中央線の終点、高尾駅まで出向くことになったのだ。

 気象庁によると、この日春一番が吹いた。高尾にも暖かい風が吹いたのだった。
 高尾には、高尾山以外に梅郷があった。青梅の吉野梅郷は以前行ったことがあるが、高尾梅郷は知らなかったので、ちょうどその季節だったので高尾を歩いてみることにした。
 高尾梅郷とは、街道沿いにあるいくつかの梅林を総称して言っているらしい。
 JR高尾駅から甲州街道を西に歩く。東京とはいえ道沿いに団子屋などがあり、田舎の風情が漂っている。
 途中梅が散らばって咲いている土手のようなところがあったが、そこを通り過ぎて、梅林を探して歩き続けた。なかなか梅林に出くわさないなあと思っているうちに、京王線の高尾山口駅に出てしまった。梅林があるのは、甲州街道でも旧甲州街道沿いだったのを思い出した。
 そういえば西浅川の交差点を過ぎたところで、梅の集まりがあったのを思い起こして、戻ることにした。そこは遊歩道梅林であった。まだ全開とはいかないが梅が土手沿いに咲いていた。そこから、北の方の旧甲州街道に入って、西に向かった。
 しばらく行くと、小仏関跡があり公園になっていて、そこも梅林となっていた。
 さらに西に向かって歩いた。道に沿って並ぶ家々の庭にも、ちらほらと梅が目につく。いや、脳や目が必死で梅を探し求めているのだ、と思った。
 梅の集まりがあったので表示を見ると、荒井梅林だった。写真で見た通りで、それ以上の広がりはなく、箱型に閉じ込めたような梅林だ。
 地図によるとさらにこの先西の方にもまだ梅林があるのだが、梅林散策はもうこの辺でいいだろうと思い、バス停にあった地図を見た。すると近くに天満宮があり、そこも天神梅林となっているので、そこを見てから帰ろうと思いついた。
 街道に沿って流れている小仏川に掲げてある梅郷橋を渡ると、丘になっていて梅の林があった。それまでの小さな箱庭のような梅林ではなく、この梅の丘は野性味溢れている。丘の中腹には、新しい造りだが鳥居がある天満宮もちゃんとあった。あと何十年かしたら、枯れた味を醸し出すだろう。
 高尾梅郷は吉野梅郷に比べて、散在する梅林がどれも小ぢんまりとしていて少しがっかりしたのだが、最後に行った天満宮の梅で、満足することができた。満開の時に、弁当とビールでも持ってきたら、その野趣を楽しめるだろう。
 帰りは、またゆっくりとJRの高尾駅まで歩いた。
 駅に着いたころに、日が暮れた。駅前で、食堂を探した。

 本を電車の中に忘れたことで、高尾の梅を見ることができた。
 ものごと、何かが何かに繋がっている。
 「因果応報」よりも、「禍福はあざなえる縄のごとし」あるいは「人間万事塞翁が馬」とも言った方がいい。良いことも悪いことも、コインの裏表のようなものである。
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