例えば、自分のふるさとの神社・お寺を除いて、一つだけ初詣に行くとすればどこに行くかと問われれば、である。
佐賀だったら、鹿島市の祐徳稲荷神社だろう。福岡だったら太宰府天満宮で、長崎だったらおくんち祭りの諏訪神社だろうか。
で、東京はというと、浅草・浅草寺も捨てがたいが、明治神宮ということになるのではなかろうか。
だから王道を行って、1月2日の午後、明治神宮に向かった。
小田急・多摩急行で地下鉄千代田線の明治神宮前で降りると、JR原宿駅前に出る。時計を見ると、午後3時過ぎである。
出口を出ると、予想はしていたが多くの人だかりで、警察が車両の上からマイクを持って神宮への誘導をしている。やはり2日だといえども、大群の行列はあるようだ。
明治神宮は、名前の通り明治天皇と昭憲皇太后を祀った神宮で、造られてから約100年近くになる。
70万ヘクタール余の広大な敷地は、3つの参道とそれに繋がる細かい道、それに神殿や社務所等の建物の外は、森のように木々が覆っている。その間に、いくつかの池もある。
この森の木々は神宮建設当時に計画的に植えられたものだが、その後は手を加えることなく自然にまかせているという。係りの人が参道を掃除して集めた落葉を、また森の中に戻している記録映像を見たことがある。自然の原生林のように、人の手がなるだけ入らないようにしているのだ。
明治神宮は、北参道、西参道もあるが、やはり原宿の表参道から続く南参道の正面の鳥居から入る。
明治神宮内に入るのは、両親が上京した時以来と思うから、25年ぶりぐらいになる。
人垣が参道いっぱいに広がって、案内人による合図で少しずつ進んでは立ち止まる。前の人垣の塊との間を調節して進むことになっているのだ。周りを見渡すと、外国人もちらほらと見受けられる。男の外国人は、ほとんどが日本人の女性が付き添っているカップルなのもおかしい。
なかなか前に進まないのに、みんな穏やかな顔をしている。外国人も日本人に倣ってしおらしく、そろりそろりと歩いている。
彼ら外国人はここにいるのをどう思っているのだろうかと想像した。これが日本の文化だと思って、この人混みを味わっているのだろうか。それとも、観光としてやっては来たものの、どうしてこうも日本人は忍耐強いのだろうかと、内心では不思議に思っているのだろうか。案外、連れの恋人あるいは愛人の日本女性に誘われたので、やれやれと思いながら付き合っているにすぎないのかもしれない。
人混みの中で、去年の桜の季節に解放された皇居の乾通りへの行列、はたまた2年前の夏、隅田川の花火を見るために浅草・吾妻橋前で並んだ行列を思い起こした。行列ではないけれど、原発、安保法案反対の国会議事堂前の集会も大変な人並みだった。デモという重い雰囲気はなく、時代も変わったなあと感じた。
まあこの日は、正月3が日の2日目。例年全国トップの300万人以上の参拝客数を誇る明治神宮の初詣だから、行列するのも納得しようというものだ。
食事をするのに食堂やレストランに並んだり、何かを買うために店に並んだりするのは嫌いだが、祭りの人混みやこんなときの混雑は嫌ではないし、少しも精神的苦痛は感じない。むしろ、心は高揚する。
途中、行列が直角に曲がるところでは、前方に大型スクリーンが掲げられて、行列の状況をライブで映し出していた。神宮はこんなことまでやるようになったのだと思って、スクリーンを見つめた。あちこちでスクリーンに向かって手を振る人がいて、その自分の姿をスクリーンの中で探している。
やっと参拝所である御社殿に着いた時は、神宮に入ってから1時間以上が過ぎていた。やはり、人が多い。(写真)
参拝を終わったあとは、西側の西参道を通って小田急線の参宮橋駅に出るコースもあるが、東側に出て再び原宿駅方向へ戻ることにした。
途中、休憩所として焼鳥や焼きそばや飲み物などの出店が並ぶ広場のコーナーも設えてある。やはり、初詣は祭りのようだ。
JR原宿駅の手前の道で、普段は見たことがない改札口が出現していたので驚いた。新宿・池袋方面行きの山手線外回りのホームに直結させて、この時期だけ造った臨時の改札口だが、切符売り場も造ってあり極めて珍しい光景だった。
立ち止まって状況を見ていると、アナウンスの音が聴こえてきて、新宿方面の改札口は間もなく閉めます、と言っている。時計を見ると、夕方5時である。そろそろ神宮の参拝客も少なくなる時刻なのだろう。人を整理している係りらしい人に訊いたら、この改札口は4日までしか開いていないという。期間も時間も限定の改札口なのだ。
表参道の道に出て考えた。
近くに東郷神社がある。明治の軍人、日露戦争で有名な東郷平八郎を祀った神社である。
日は暮れてきたが時間はある。これから、東郷神社に行ってみることにしよう。
佐賀だったら、鹿島市の祐徳稲荷神社だろう。福岡だったら太宰府天満宮で、長崎だったらおくんち祭りの諏訪神社だろうか。
で、東京はというと、浅草・浅草寺も捨てがたいが、明治神宮ということになるのではなかろうか。
だから王道を行って、1月2日の午後、明治神宮に向かった。
小田急・多摩急行で地下鉄千代田線の明治神宮前で降りると、JR原宿駅前に出る。時計を見ると、午後3時過ぎである。
出口を出ると、予想はしていたが多くの人だかりで、警察が車両の上からマイクを持って神宮への誘導をしている。やはり2日だといえども、大群の行列はあるようだ。
明治神宮は、名前の通り明治天皇と昭憲皇太后を祀った神宮で、造られてから約100年近くになる。
70万ヘクタール余の広大な敷地は、3つの参道とそれに繋がる細かい道、それに神殿や社務所等の建物の外は、森のように木々が覆っている。その間に、いくつかの池もある。
この森の木々は神宮建設当時に計画的に植えられたものだが、その後は手を加えることなく自然にまかせているという。係りの人が参道を掃除して集めた落葉を、また森の中に戻している記録映像を見たことがある。自然の原生林のように、人の手がなるだけ入らないようにしているのだ。
明治神宮は、北参道、西参道もあるが、やはり原宿の表参道から続く南参道の正面の鳥居から入る。
明治神宮内に入るのは、両親が上京した時以来と思うから、25年ぶりぐらいになる。
人垣が参道いっぱいに広がって、案内人による合図で少しずつ進んでは立ち止まる。前の人垣の塊との間を調節して進むことになっているのだ。周りを見渡すと、外国人もちらほらと見受けられる。男の外国人は、ほとんどが日本人の女性が付き添っているカップルなのもおかしい。
なかなか前に進まないのに、みんな穏やかな顔をしている。外国人も日本人に倣ってしおらしく、そろりそろりと歩いている。
彼ら外国人はここにいるのをどう思っているのだろうかと想像した。これが日本の文化だと思って、この人混みを味わっているのだろうか。それとも、観光としてやっては来たものの、どうしてこうも日本人は忍耐強いのだろうかと、内心では不思議に思っているのだろうか。案外、連れの恋人あるいは愛人の日本女性に誘われたので、やれやれと思いながら付き合っているにすぎないのかもしれない。
人混みの中で、去年の桜の季節に解放された皇居の乾通りへの行列、はたまた2年前の夏、隅田川の花火を見るために浅草・吾妻橋前で並んだ行列を思い起こした。行列ではないけれど、原発、安保法案反対の国会議事堂前の集会も大変な人並みだった。デモという重い雰囲気はなく、時代も変わったなあと感じた。
まあこの日は、正月3が日の2日目。例年全国トップの300万人以上の参拝客数を誇る明治神宮の初詣だから、行列するのも納得しようというものだ。
食事をするのに食堂やレストランに並んだり、何かを買うために店に並んだりするのは嫌いだが、祭りの人混みやこんなときの混雑は嫌ではないし、少しも精神的苦痛は感じない。むしろ、心は高揚する。
途中、行列が直角に曲がるところでは、前方に大型スクリーンが掲げられて、行列の状況をライブで映し出していた。神宮はこんなことまでやるようになったのだと思って、スクリーンを見つめた。あちこちでスクリーンに向かって手を振る人がいて、その自分の姿をスクリーンの中で探している。
やっと参拝所である御社殿に着いた時は、神宮に入ってから1時間以上が過ぎていた。やはり、人が多い。(写真)
参拝を終わったあとは、西側の西参道を通って小田急線の参宮橋駅に出るコースもあるが、東側に出て再び原宿駅方向へ戻ることにした。
途中、休憩所として焼鳥や焼きそばや飲み物などの出店が並ぶ広場のコーナーも設えてある。やはり、初詣は祭りのようだ。
JR原宿駅の手前の道で、普段は見たことがない改札口が出現していたので驚いた。新宿・池袋方面行きの山手線外回りのホームに直結させて、この時期だけ造った臨時の改札口だが、切符売り場も造ってあり極めて珍しい光景だった。
立ち止まって状況を見ていると、アナウンスの音が聴こえてきて、新宿方面の改札口は間もなく閉めます、と言っている。時計を見ると、夕方5時である。そろそろ神宮の参拝客も少なくなる時刻なのだろう。人を整理している係りらしい人に訊いたら、この改札口は4日までしか開いていないという。期間も時間も限定の改札口なのだ。
表参道の道に出て考えた。
近くに東郷神社がある。明治の軍人、日露戦争で有名な東郷平八郎を祀った神社である。
日は暮れてきたが時間はある。これから、東郷神社に行ってみることにしよう。