写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

錦帯橋発見

2011年10月26日 | 旅・スポット・行事

 行楽には絶好の秋日和の日、エッセイ同好会の仲間13人と「宮島探訪&グルメの旅」に出かけた。旅の目的は物見遊山ではなく、近くにあっても意外と知らない宮島の史跡を訪ねて歩くことである。下調べをして見ると、岩国と関わり深いものがいくつかあることが分かった。

 年甲斐もなく小学生の遠足のようにはじけた気分で電車に乗った。宮島の桟橋に10時半上陸。駅前広場の目の前にある小山に上った。ここは1555年、厳島の戦いの時、毛利元就が陣取った宮尾城跡である。頂上からは普段見ることのない宮島の家々の屋根を、大鳥居をバックに眺められる。

 続いては、一般観光客が通る表参道を避け、1本裏筋の町屋通りを散策。昔情緒のある古い家並みを見物。やがて、真正面に高く五重塔が「写真を撮ってくれ」と言わんばかりに迎えてくれる。

 観光パンフレットを読みながら千畳閣でひと休みすると、昼食タイムだ。予約しておいた店の2階でゆっくりとくつろぎながらの昼食。午後一番、国宝や重要文化財満載の厳島神社を、一つ一つ確認しながら雅な寝殿造りの廻廊をゆっくりと歩く。潮が満ちてきて干潟が刻々と消えていく様子を
、早送りの映像のように眺めた。

 廻廊を抜けると、正面に真言宗の大願寺というお寺がある。本尊の厳島弁財天は鎌倉の江の島、琵琶湖の竹生島とともに日本三大弁財天のひとつである。その本堂前の軒下に、意外なことに精巧に作られた錦帯橋の大きな模型が掛けられている。大きさは、実物の25分の1で長さは11mもある。

 説明書によると、
明治時代に開かれたパリ万国博覧会に出展されたもので、その後、1896(明治29)年に岩田三郎左門から寄進された。岩田氏の詳しい経歴や作者、奉納された理由などは全く不明だという。1950(昭和25)年のキジア台風で流された橋の再建時には、史料が少ないため、当時の棟梁が復元の参考にしたというほどのものである。

 宮島のお寺に錦帯橋。それもパリ万国博覧会帰りの代物である。どんな経緯があったのか。どうして故郷岩国まで帰ってこなかったのか。疑問は残るが、この錦帯橋、世界文化遺産の宮島を目指してやって来る世界の観光客の目に留まり、岩国まで足を延ばすきっかけになることを期待しながら、この日最後の目的地・大聖院へ向かった。

 岩国の皆さん、宮島の錦帯橋、これはこれで一見の価値があります。ぜひ一度お訪ねあれ~