俺の明日はどっちだ

50歳を迎えてなお、クルマ、映画、小説、コンサート、酒、興味は尽きない。そんな日常をほぼ日替わりで描写

「サラエボの花 」  GRBAVICA: THE LAND OF MY DREAMS

2008年02月22日 13時03分25秒 | 時系列でご覧ください
昔々、ちょうどインデペンデント紙 ( The Independent ) が創刊された頃にイギリスで居住者として新聞を読んでいて、一番印象深かったのは外交や海外ニュースの扱いの多さだった。
とにかく日本の新聞とは比較にならないその情報量の多さに圧倒され、こうした日頃の環境の違いが、やはり世界を考えたときにその捉え方に大きく影響するんだろうなあと強く強く実感したものだった。

そして今、コソボがセルビアから独立するという新たなる展開となり、日本の新聞等でもそれなりに報道されているものの、自分を含めて多くの日本人にとって7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、そして2種類の文字を持っていたかつてのユーゴスラヴィアが解体したあと、バルカン半島でいったいどんなことが起こっていたのか、その実態はほとんど知らずにいたというのが正直なところだろう。



そういった意味では昨年イザベル・コイシェ 監督の映画「あなたになら言える秘密のこと」で恥ずかしながらはじめて知ったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での『民族浄化』に対しては、何ともやり切れない思いを感じたものだった。

そんな中、先日神戸で観た「サラエボの花」もまた、95年に一応の決着をみたボスニア内戦がもたらしたその後の苦悩を、“傷跡”を引きずって生きているシングルマザーを主人公に据えて描いていた。



12歳の娘サラと2人で暮らしているエスマは、生活のため子供がいるのを隠してナイトクラブで働く気丈夫さを見せる一方、バスで隣に男が坐ったり、酔った男女の様子を見たりしただけでも強い拒否反応を見せる。
かたや娘のサラは父親の不在をシャヒード(殉教者)という母親からの偽りの理由で納得し、自分と父親との共通点を訊ねたりし、そんな父親を誇りにさえ思っていた。
そしてそうした日常が繰り返される中、突然明かされる真実。

「我々、グルバヴィッツァの住人は、かつてサラエボのこの地区が、すべての者がともに共存し、生活を営み、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる象徴的な場所であったことを決して忘れない。」
公式サイトに掲載されているオシム元サッカー日本代表監督の言葉にあるように、戦火のあとさえ見なければ、とても心豊かな風景に満たされ、かつては冬季オリンピックも行われた街、サラエボ。

そこでともに平和に暮らした民族が互いに傷つけあうこととなった「戦争」の愚かさがこの映画では、決して戦闘シーンがあるわけでもないのだけど、余すところなく描かれていた。



セラピーを受けている仲間たちの前で、レイプされて生まれてきたサラを腕に抱いたとき、「この世にこんなに美しいものがあることを知らなかった」と告白するエスマ。そして父親との唯一の共通点だと教えられた髪の毛を切り落とすサラ。
主演の二人のリアリティ溢れる演技にも支えられ、重苦しいテーマながら大いに惹き付けられ心に残る作品だった。

そして映画の冒頭、何人もの女性のうつろな姿が延々と映し出されていたけれど、彼女らが、「民族浄化」の犠牲者たちだと知ってあることがわかったとき、この映画の重さを改めて感じたりもしたけれど、終盤、バスの中からサラが手を振り、それまで不安な表情を見せていたエスマの笑顔に一抹の希望を見出すことが出来て、そんな監督のこれからのサラエボへの思いが伝わってきたのだ。



とにもかくにも 
Hopefully this movie will be internationally known, not only in Europe. 
と IMDb に書き込んでいたドイツ人の言葉に思わず賛同であります。
機会があれば是非!


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1 コメント

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地区 (kimion20002000)
2008-06-30 22:13:25
TBありがとう。
オシム監督がいうように、この地区では、それなりの緊張はあったかもしれないけど、民族や宗教の違いをのりこえて、人々はコミュニケイトしていたわけですからね。
結局、国外からの圧力で、自民族の系列含めて、侵略されたんだと思います。
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