俺の明日はどっちだ

50歳を迎えてなお、クルマ、映画、小説、コンサート、酒、興味は尽きない。そんな日常をほぼ日替わりで描写

ジョアン・ジルベルト Joao Gilberto

2006年05月18日 23時20分23秒 | 時系列でご覧ください
春が過ぎ、夏が近づくにしたがって普段聴く音楽の中にサルサやレゲエが徐々に増えてくるのだけど、ここ数年はそうした中にボサ・ノヴァが含まれるようになり、年毎にその傾向は強くなっていくみたいだ。

そんな少し夏の予感を感じさせた昨日の夜、尾山町の『四遊』から高岡町の『空海』というおなじみのコースで日本酒を飲んだあと、久しぶりに木倉町の『ジョアン』へ。

実際には午前2時まで頑張ってやっている営業時間を何故か勝手に12時までだと感違いしていたこともあって、久しぶりにお邪魔したのだけど、なかなかの盛況ぶり。

そしてこれまた大きな勘違いだったのだけど、漠然とここはワインバーだと思い込んでいて、人にこの店を勧めるときもそう紹介していながら、改めて入り口の看板を見てみると“ BAR ”の文字が・・・・。げげげっ!
とにかくこういった思い込み違いが最近多かったりして我ながら困ったもんだ(苦笑)。

そんな中、カウンターに陣取っていた外国人の人と話をすると何と彼らカーゴルクス航空の日本とルクセンブルグ間を飛ぶ国際貨物定期便のパイロットだった。
日系3世のブラジルの女性に紹介された一人はブラジル人でもう一人はドイツ人のパイロットで、聞くところによるとカーゴルクス航空では26カ国(!)のパイロットが在籍しているそうで、何となく冒険小説に出てきそうな話が聞けそうでワクワクしつつも、少々酔っ払っていたこともあってさりげない会話に終始。楽しみは次回ということに。

で、最近ブラジル人のお客が多くなったというこのお店、基本的にジャズが流れているんだけど、マスター曰く、店名が店名だからということが彼らブラジルの人にとって来店動機の一番大きな理由らしい。
何故にこの店名にしたのか、肝心なことを昨日も聞くのを忘れたけれど、とにかくジョアン繋がりで今日はアルバム紹介。



1931年6月10日、ブラジル北東部バイーア州ジュアゼイロに生まれる。
本名ジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・オリヴェイラ。
1950年、19歳でリオデジャネイロへ出て、ヴォーカルグループ「ガロットス・ダ・ルア」にリードヴォーカルとして参加。
51年、同バンドと2枚のレコードを、翌52年ソロレコードを発表。
58年、アントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)、ヴェニシウス・ヂ・モラエスによるシングル「想いあふれて<シェガ・ヂ・サウダージ>」を、翌年にアルバムを発表。
まもなく「ボサノバ」と呼ばれるようになる音楽スタイルで、ブラジル中を熱狂させる。
彼の創造した、複雑で誰も真似することができない高度な演奏法のギターと、つぶやくような発声、独自の間合いによる歌は、彼以後のすべてのポピュラーミュージックに大きな影響を与えることになった。
かのマイルス・デイヴィスをして「ジョアン・ジルベルトは電話帳を読んでも 美しく聞かせることができる」と言わしめた
↑クーッ、いい話やなあ。
※詳しいバイオグラフィはコチラまで。

そんなジョアン・ジルベルトが73年に録音した代表傑作がこのアルバム「三月の水」。
ジョアンの歌とギター、それにパーカッションが一人加わるだけという編成。そうしたミニマムな編成が故に聴いていてかなり地味に聴こえるかもしれないけれど、聴きこんでいくと彼のヴォーカリストとしてのオーラみたいなものを感じてしまいます。
このアルバムを聴くと、スタン・ゲッツとの「イパネムの娘」(←これはこれでいいとは思いますが)には、いささか違和感すら覚えてしまいます。

とにかく1曲目の「三日月の水」をはじめ、4曲目の「夜明けのベランダ」6曲目の「喜びのサンバ」と物静かさに満ちた素敵な歌に溢れているアルバムだけど、極めつけはアルバムの最後を飾る押しかけ女房ミウシャとともに歌う「イザウラ」。
ラストナンバーに相応しい曲で、ことしは初夏にかけてこのアルバム、そしてこの曲が個人的には一番のヘビーローテーション入りしそうです。

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1 コメント

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以前… (masashi)
2006-05-19 09:59:17
友達になったブラジル人にこのアルバムがいかに素晴らしいか!

というのを熱く語ったんですが、あまりピンと来ていないようでした…。

母国よりも海外での評価が高いようですね。

「イザウラ」、デタラメポルトガル語でなら完璧に歌えます。

あくまでデタラメですが…。
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